第四章:一夜明けて
翌日、窓から差し込む陽光と、ケータイのバイブレーションの音で、天人は目を覚ました。
ジーンズのポケットに入れたままになっていたケータイを取り出し、見る。時計は九時半。二通のメールが届いていた。差出人は両方、四王寺 久哉。
やばい。そういえば昨日、カラオケボックスに先に向かわせておいたままにしていた。当然、怒っているだろうな。思えば、自宅にも連絡を入れていない。
今日は妹の墓参りに行かなきゃいけないというのに、まずい事態になった。レエンの家は、あの商店街からどれくらいの距離が有るのだろう。間に合えば良いが。
「天人、おはよう。よく眠れたみたいね」
ノックも無しに、レエンが部屋に入ってきた。その手にはトレイが乗っている。朝食を用意してくれたようだ。そういえば、昨日は夕飯を摂っていない。朝食としても少し遅い時間だ。
ケータイのバイブレーションを止め、ベッドから起き上がる。
「ああ、お陰さまで」
「ご飯作ってみたの。食べるわよね?」
トレイをテーブルに置きながら、レエンが天人に笑いかけた。本当に、見れば見るほど玲菜に似ている。もっとも今日、その妹の墓参りに行くわけだが。
「ああ、ありがとう」
テーブルに向かい、並べられた食事を見る。チーズとスクランブルエッグの乗ったパンに、ホットコーヒー、それとデザートのフルーツのセット。どこかの喫茶店のメニューに有りそうな一品だった。
「……レエンの分は無いのか?」
トレイに乗っているのは、一セット分だけ。天人の分しかない。
「私には、普通の食事は必要じゃないから」
「普通の食事……」
そうか、こいつは死神なんだっけ。食事を必要としないのも当然か。改めて、彼女の異常性を認識する。
「まぁ、多分食べれるものにはなってる筈だから、食べて」
食事を必要としない者が作った食事なのだから、味の保障は無い。
何か異物でも入ってるんじゃなかろうかと不安にもなったが、食べてみれば普通のモーニングセットだった。味付けの方も案外いける。
「美味しい?」
テーブルに身を乗り出して、ずずいっと顔を近付けてくるレエン。期待の篭った碧眼で天人を見つめている。
「ああ、美味しいよ」
「そう、良かった」
満足気ににっこりと笑うと、今度は天人の食べる姿をじっと見つめ始めた。何だか、一夜明けただけで随分と打ち解けたような気がする。こんなに子供じみた仕草を取るとは、昨日のレエンからは想像もつかない。もっと余所余所しいというか、刺々しい雰囲気が有ったのに。
それに、どこか妹の影を帯びるレエンの仕草。顔が似ているからそう感じるだけなのかもしれないが。
玲菜は、もっと甘えん坊で、明るく元気で、どこか頼りなく、しかし一番可愛い自慢の妹だった。勉強もそこそこ出来たし、人望もあった。性格的にも何となく似ている所は有るかも知れないが、それでもレエンとは違うのに。
「今日は、天人は何か予定あるの?」
「何だよ、いきなり」
妹の事を思い出していた所で、レエンから唐突な質問が飛んできた。
「さっき、電話が鳴ってたから、何かあるのかなと思って。ひょっとして、彼女か何か?」
痛い所を突いてくる。彼女なんか、大学に入ってからというもの、ただの一度も恵まれたことがない。ルックスはそこそこ良いのだが、天人が発する近寄りがたい空気が原因なのだろう。天人自身、自分が暗い雰囲気を出していることに気付いてはいるのだが。
「残念ながら、それは無いんだよな。今日は、死んだ妹の墓参りなんだ」
「それじゃ、家族の人からの電話だったんだ」
「いや、そうじゃないんだけど……昨日ほったらかしにしてきた、友達からのメールだよ」
ケータイを取り出して、メールを開く。レエンが自分の隣に移動してきて、それを覗き見ようを首を伸ばしてきたが、流石に追い払った。別に見たって良いじゃない、と膨れたが、プライベートなものを見せるのはいい気がしない。
『天人、お前どこ行ってたんだよ。あの女の子がどうかしたのか? 一人でカラオケ入って、何もせずに出てくるなんて、結構恥ずかしいことやっちまったじゃねーか。お前の責任だぞ、今度何か奢れ』
一通目の内容は、こんな内容だった。やっぱり怒ってたか、無理もない。
苦い顔をしながら、次のメールを開く。
『明日、墓参りには行くんだろ? 行くときゃメールくれよ。俺も行くから』
短い内容だった。久哉も、毎年必ず妹の墓参りに付き合ってくれている。天人の親友である久哉は、玲菜のことをよく思ってくれていたし、玲菜にとっても親友と呼べる間柄だったからだ。
「いい人だね」
背後からのレエンの声。気付かないうちに背中側から覗いていた。
「あのなぁ、人に届いたメール、勝手に見るなよ。失礼だろ」
これには流石に呆れた。
「別に減るもんじゃないし、彼女からのメールって訳でもないから良いじゃないの、けち」
「けちとかそういう問題じゃなくてなぁ」
「私も行っていい? お墓参り」
「はぁ!?」
これまた突拍子も無い。見ず知らずの者の墓参りなんて、それこそ行くものじゃないし、普通遠慮するものだろうに。世間一般の常識を超えている存在とは言え、これは予想外だった。
「行ってどうする」
「別にどうしようって訳じゃないんだけど、ちょっと考えてみて。天人は、成り行きとは言えネクロの人形を倒してしまった。私の味方をしてくれた。これってどういうことか、判るわよね?」
少し考えて、なるほどそういう事かと納得した。
「ネクロは私を邪魔と思っている。折角手に入れた力を削ぐ存在だから。だから、遅かれ早かれ奴は私を襲うわ。そして、力を分けたあなたも、ね。二人とも何時襲われるか判らないような状況だったら、固まって動いてた方が安全でしょ?」
「そりゃそうだけど……」
どうにも気が引ける。家族とは時間を別にして行けば良いが、久哉は自分と一緒に行く訳で、つまりはレエンと顔を合わせる事になるだろう。妹とよく似ている彼女と会わせるのは、何だかレエンを追ったときの自分の気持ちが察せられそうで嫌だった。
しかし、彼女の言うことはもっともで、自分より遥かに強い力を持っているネクロやその僕と対峙してしまった場合には対処できるかどうか判らない。
しばらく考えた挙句、天人は渋々同行を許可した。
対するレエンは、満足そうな笑みを浮かべている。その表情を見て、天人は呆れ返るばかりだった。
一度家族に連絡を入れ、昨日の夜は何処に行っていたのという母親の質問を適当に誤魔化しながら、何とか時間をずらす事に成功した。それから久哉に電話し、昨日の事に平謝りしつつも、何とか機嫌を取って待ち合わせの時刻と場所を決めた。
場所は、昨日と同じ、駅前ロータリー。待ち合わせの時刻は正午。
レエンが用意してくれた新しい服……元着ていたものと全く同じ、黒と白の横縞のセーターを着込み、待ち合わせの場所に向かった。
墓参りに行くのに横縞柄の服は遠慮したほうがいいと聞いたことがあるが、これしか無いのだから仕方が無い。そしてこの服を用意した本人も、赤のリボンに淡い黄色のハイネック、赤いロングスカートという出で立ち。せめて無彩色系の色にしろと言ったものの、彼女が承諾せずに渋々了解した。
どうせ久哉は遅れてくるだろうと判っていた為、少しゆっくりと家を出る。アパートは商店街から程近く、歩いて十分ほどの距離の場所に有ったものだった。
「いいな、もう一回確認するぞ。レエンは俺の従姉妹で、妹によく似ている」
通りを歩きながら、天人がレエンに話しかけた。なるべく小声で話しかけたが、二人の会話に耳を傾ける者は無かった。しかし一応、念を押して。
「名前は御堂 蓮で、歳は今年で十七歳。親の都合でこっちに来てて、ついでに従姉妹である玲菜ちゃんのお墓参りに来てる、と。これで良いのよね?」
彼女も続いて返す。
「ついでに、今から会う友達、久哉の前では力を使わない。とにかく普通の人間の振りをする」
「判ってる。大丈夫よ、何とかするから」
久哉には、さっき言ったとおりの説明をして誤魔化すことにしていた。
従姉妹なのに妹の生き写しという時点で限りなく嘘っぽさが漂うが、他に良い案が思いつかなかった為の苦肉の策だった。久哉には悪いが、さて巧く騙されてくれるものか。全てはレエンの演技力にかかっている。
一抹の不安を覚えつつも、昨日の場所に到着した。案の定、久哉の姿はまだ無い。ロータリーの時計は、待ち合わせ時刻を十分過ぎた時を指していた。やはり十分程度の遅刻では済まなかったか。
ポケットから煙草を取り出す。残り二本のうち一本を咥え、火を着けた。
「遅れてるわね、友達」
「いつもの事だからな。俺はもう、別に気にもならないけど」
さて、昨日みたいに三十分以内の遅刻で済めばいいのだが。どこか喫茶店にでも入って待っていればいいかなとも思ったが、所持金もあまり無いし。
久哉に奢ってもらえることは判っていたから、昨日はあまり財布に入れずにここに来た。確認してみると、千円札が一枚と小銭が沢山、入っているだけだった。別にレエンとデートしている訳でもないし、彼女に食事は必要ないし、これだけ有れば充分事足りそうだが。
「大体どれくらい遅刻してるの? 久哉、だっけ」
「昨日は三十分で済んだな。二時間待たされたことも有る。それと、久哉の前ではせめて「君」とか「さん」とか付けろよ」
そういえば、レエンは最初から敬称を付けるということをしていない。其れに違和感も感じずに接していた自分も、なんだかおかしなものだ。初対面から呼び捨て、しかも名前の方。やはり心のどこかで、彼女を妹と同じ存在として見ているのだろうか。
「天人は別に気にしなかったのにね。久哉は気にするんだ」
「気にするとかしないとかじゃなくて、其れが世間一般の常識というか、礼儀みたいなもんだろう」
「何だか私が非常識で礼儀知らずみたいな言い方ね」
ぷうっと膨れるレエン。実際の所、非常識な存在であり、ついでに礼儀知らずであることに間違いは無いのだが、天人はあえて何も言わなかった。
「何よ、その顔。酷いなぁ、天人は」
おっと、どうやら顔に出ていたらしい。弱ったな、と思いながら、煙草を投げ捨て踏みつける。仕方ない、思っていたことを言うしかないかと口を開いた。
「レエン、お前自分がどういう存在なのか、本当は自覚してないだろ……」
「だから私は死」
急いでレエンの口を塞ぐ。全く、誰が聞いてるか判らない場所で「私は死神です」なんて言う奴があるか。見ず知らずの人間にどう思われようが勝手ではあるのだが、それでも変な宗教団体と間違われるような発言は聴かれたくない。
「そういうことを往来で平気で言えるから、非常識だって言ってるんだよ……」
天人を睨みつつも、かくかくと頷くレエンを見、天人は口から手を離した。大げさに息を吸いこむレエン。
本当にこんな調子で巧く久哉を騙し通せるのだろうかと心配になり、大きなため息をつく天人だった。