第三章:追う者と邪なる者
「我が作り出した死人形を倒したか。それにしても、厄介な事をしてくれる」
真夜中の路地に、佇む影が一つ有った。
今日この日にこの路地で起きた怪事を知る者は、天人と少女、そして、彼。
彼は落ちていた骨片を拾い上げると、忌々しそうにそれを見つめ、そして握り潰した。ぱっと開かれた手から、粉となった骨が落ち、僅かに吹き込む風に流されて夜の闇に消えた。
「あと一歩で邪魔な姫を仕留めることが出来たというのに、あの人間……」
そのすらりと伸びた身の丈の所為か、顔は闇に隠れて見えなかったが、発する気は人間の其れとは全然似ても似つかない。
「ん、あぁ? 一体誰だ、こんな夜中にぶつぶつと……」
この場所をねぐらにしているホームレスが、男の声に反応して目を覚ました。毛布代わりにしている新聞紙を乱暴に剥ぎ取り、男に近付く。
「あのなぁ、お前」
ホームレスが男の面を自分のほうに向けようと、男の腕を掴む。しかし男は動こうとしない。
代わりに発生した重苦しい空間。これは、彼から発する殺気によるものか。
「……小汚い人間か。人形を壊され、幾ばくか力が足りていないものでな」
流石にホームレスの男もこの異常性を察したか、急いで手を離す。しかし、足は地に縫い止められたように動かなかった。
くるりと振り向く長身の男。腰まで届く長い銀髪と、黒のロングコートが風に靡いた。
「丁度良い。その魂、喰わせて貰う」
がっ、と突然首を掴まれ、ホームレスは小さな悲鳴を上げた。その細い体躯の何処からそんな力が出るのだろう。体重八十キロを超える男を、片手だけで軽々と吊り上げた。
次の日、一人の男の死体が、路地裏で発見された。
目立った外傷は無かったが、背骨だけが全て抜き取られるという変死体として――
「ん……」
何時の間に気を失っていたのか、目が覚めた天人はベッドから体を起こした。
見慣れない部屋。どうやら自宅ではないようだ。窓の外はまだ暗く、未だ夜は明けていないと判った。どうやら、どこかのアパートの一室の様だ。向かいの家の屋根が見える。
ぐるりと部屋を見渡す。家具は綺麗に整頓され、生活に不必要なものは一切無い。ベッド、タンス、小さなテーブル、テレビが置いてあるだけ。さっぱりとしているが、ひどく殺風景だ。
カーペットやクッションで部屋を彩ってはいるものの、がらんとした空間であることは変わっていない。
「ここは……?」
「私の部屋よ」
突然の声にびくっと身を強張らせたが、次の瞬間部屋に入ってきた少女を見、ようやく自分に何が起こったかを思い出した。
そうだ、商店街で会った少女を追いかけ、そして非現実的な戦いに巻き込まれ――
「あなたを運ぶの、大変だったわよ。でもまぁ、私の所為で怪我させちゃったし、初めて力を使って疲れただろうから、しょうがないわよね」
言われて、ばっと自分の左肩を触った。
しかし、痛みも何も無い。愛用のセーターは脱がされ、肩は露になっている。おかしい、確かに俺は刺されて、大怪我をした筈なのに、と左肩を見てみるも、やはり傷跡一つ残っていなかった。
夢の出来事の様にも思えたが、今天人はあの少女の部屋に居る。あの少女の目の前に居る。あの出来事が非現実的な現実であることは、間違い無かった。
「あ、大丈夫。傷なら私が治しておいたわ。痛まないでしょ?」
あれだけの傷を治癒するとは考えられなかったが、何せ魔法の様な力を使う少女だ。全く実感が沸かないが。
「……一体何者なんだ?」
「私?」
「ああ」
「レエン。其れが私の名前。敬称とか付けなくてもいいわよ。お互いに名前知らないと、呼ぶのに難儀するでしょ?」
そういえば、まだ名前を訊いていないし、名乗ってもいなかった事に気付く。レエン、どう考えてもこの国の人間ではない。いや、この世界の人間であるかどうかすら。
「俺は、御堂天人」
「天人……変わった名前だね」
「レエンに言われたくはないけどな」
「あ、酷い言い方ね」
「お互い様だろ」
いや、こんな漫才みたいなやりとりをやっている場合じゃない。自分には、何が起こったかを訊く権利がある。訳の判らないまま事件に遭遇し、力を得たなんて、原因は自分に有るにせよ、気分の良いものではない。
「で、レエンは一体何者なんだ? あの、襲ってきた奴等は何なんだ? 俺に与えた力ってのは、そもそも何なんだ?」
「そんなにいっぺんに質問されても困るんだけど……まぁ、何にも判らないんじゃしょうがないわよね。順序だてて説明するわ」
よっこらしょ、と老けた声を出しながら、レエンはテーブル近くのクッションに座った。天人もベッドから降り、向かい側に座る。
「私は、あなた達人間とは違う存在。そうね、死神って呼ばれる存在に近いわ」
とてもじゃないが、常識では考えられない台詞を、レエンはさらりと言ってのけた。しかし、疑う余地も無い。元々常識外の存在であることは明らかだったし、そこまで驚きはしなかった。
「死神?」
「ええ、人間の魂を司る世界で、番人の役目をやる。其れが私と同じ存在たちが居る意味だから、天使とかそういうものとも言えるんだけど……私の場合は役割が違うから、死神ってところね」
魂の世界だとか、天使だとか、どこかの怪しい宗教でもあるまいし、常人なら一笑に伏すような話だろう。それを半ば真剣に聴いている自分が、とても滑稽なものに思えた。
「私の役目は、禁忌を犯した番人を見つけ、駆除すること。つまりは、異端者……私たちは「イーヴル」って呼んでるけど、そういった連中を殺すことが目的で作られているの」
「異端者っていうと、昼間の連中みたいな奴等の事になるのか?」
レエンがふるふると首を横に振った。金のツインテールがふわりと揺れる。
「あれは、イーヴルの一人が造り出した人形よ。奴等は、言わば被害者ね」
そうだ、レエンはこう言っていた。「こいつらは骨を核として『造られて』る」と。あの骨に何らかの力を与え、意思を持たず、ただ操られるままの人形を造り出している者が居る。「被害者」ということは、恐らくあの姿をした人間は過去に生きており、その遺骨を使って同じ姿の人形を造られた、という事なのだろう。
「イーヴルって呼ばれてる奴等が犯した禁忌ってのは、一体何なんだ?」
レエンが、少しだけ押し黙った。話して良いものかと思案しているような表情だったが、しばらく後、顔を上げて続けた。
「天人は、今まで成長してきたわよね?」
突拍子も無い質問に、天人は眉根を寄せた。
「何だ、いきなり。当然じゃないか」
「それじゃ、どうやって成長してきたか、判るわよね?」
「そりゃあ、飯を食べて、睡眠をとって、ちゃんとした生活をしてきて……」
「そうよね、人間だから、お肉とか野菜とか、栄養を摂って成長する。それは、あなた達人間の体が、「栄養分」によって構成されているから。……それじゃあ、私たち、魂の世界の者が強くなるため、成長する為には、何が必要になると思う?」
レエンが言わんとすることを察し、天人は青くなった。
「まさか」
「そう、魂を摂る事によって、私たちは力を増す事が出来るの。私たちは、普通の魂なんかとは比べ物にならない力を授けられて生まれてくるわ。番人となる者だから、それは至極当然のこと。……でも、それを利用して、更なる力を求め、魂を喰う者も、少なからず居るわ」
「それが、イーヴルって奴か……」
こくりと頷くレエン。その面持ちは神妙だ。
「本来、番人の力は一定なの。そして、魂を取りまとめるために、それぞれが特別な力を持つわ。でも、イーヴルとなった者は、番人の力を悠に超える力を持つようになる。勿論番人には対抗するだけの力が無いから、私みたいな処分役が生み出されるの」
「それじゃ、レエンがこの世界に居る意味は――」
考えるだけでもぞっとする。
魂を喰う、ということは、其れは勿論この世界に生けるもの全ての命を奪うということになるのだろうから。
人間よりも遥かに力を持つ存在が、自分の力を高めるためだけに、生き物を殺す。そんな横行が、ずっと繰り返されたとしたら。
「私は、一人のイーヴルを追ってここに来た。人間の姿をとって、人間と暮らしながら、そいつを探してる。でも、奴は思った以上の力を付けてたわ」
悔しそうに俯きながら、レエンは続けた。
「倒せなかった。でも、力を削ぐ為にも、奴の作り出した人形を何人も何人も相手にして、それでも力を使い果たしそうになって……」
「そこで、俺が現れた、ってことか」
「予想外だったけどね。深い一撃貰って、おまけに天人を助けるために力を使っちゃったから、代わりに天人に戦ってもらうしかなくなって」
つまりは、自分が無闇にレエンを追ったりしなければ、彼女も問題無く敵を倒せただろうし、自分もこんな大事に巻き込まれる事もなかったということか。そう考えると、更に後悔せずには居られないというか、何とも情けないというか。
そういえば、ナイフを刺された筈のレエンの肩は、傷跡一つ無い。魂と同じ存在だから当然か。攻撃を受けたときの表情も、痛かったのではなく力を削がれた事に対する舌打ちだったのだろう。
「悪かったな」
「最終的には二人とも無事でいられたんだから、まぁ、終わり良ければ全て良しってね。其れに、ちゃんと天人が倒してくれたし」
あっけらかんと、レエンは言いのけた。お互い深い傷を負った筈なのに、無事でいられたというのもおかしなものだが、レエンは元々傷を受けるのではなく力を削がれるだけだし、天人もレエンに治癒してもらっている。生きてさえいれば良いと言う事だろうが、よくよく考えれば妙な言い方だ。
「それじゃ、次の質問良いか?」
「どーぞ」
「力を削ぐ為に、イーヴルの人形を倒していたって言ってたけど、削がれた力ってのは回復するものなのか? レエンも力を使い果たしたって言ってたし、まさか回復するのに食事が要る、なんてことは」
言ってみて、自分の置かれている立場を考え、はっとした。いやまさか、力を分け与えた俺を喰うつもりで連れてきた、ってことは無いよな、と。
天人の心境を察したか、レエンはくすっと悪戯っぽく笑った。
「大丈夫、一定までの力、本来自分が持つだけの力は、単純に時間が経てば回復するわ。天人も同じね。魂を削って凍結の力を使ってるけど、寝たり、時間が経てばすぐに回復できる。別に天人を取って食べようってわけじゃないから、安心しなさい」
読まれたか、と天人は苦い顔。其れを見てレエンはもう一度笑ったが、すぐに面持ちを正し、続けた。
「でも、一定以上……魂を喰って手に入れた更なる力を回復するためには、それだけの魂が必要になるわ」
「ってことは、イーヴルも放っておけば、魂を喰って歩くってことになるのか?」
「そうね。そうなる前に仕留めなきゃいけないんだけど、私の力も限界だったし」
明日には、誰かしらの死亡事件がニュースで報道されたり新聞記事に載るかも知れないと考えると、恐ろしくなった。
食事の方法がどんなものであるのか知らない。頭から丸ごと食べるのか、それとも魂だけを食べるのか分からない。しかし、何かしら変死体の形で発見されるのは間違いないだろうと察しがついた。
奇しくも、その予想は見事に的中することになるのだが。
「まぁ、大体こんな所ね。他に何か質問は有る? 大体説明は出来たと思うけど」
死神、魂の世界、能力、そしてイーヴル……頭の中で整理するが、どうしても現実味を帯びない。ただ、混乱は無かった。
しかし、あと一つ、気になることがあった。
「レエンの追ってる奴は、一体どういう奴なんだ?」
レエンは「そこまで話していいのかな」と小さく呟いたが、しかし天人の目を見ながら質問に答えた。
「私が追ってる奴は「ネクロ」と呼ばれてる奴よ。能力は、人間や動物の一部を媒介として、不死の人形を作り出す力。体も武器も、元々人形が持っている者であれば簡単に再生する、死なない兵隊みたいなモノをね。奴は、喰った人間から骨を抜き取り、それを媒介にして多くの人形を作り出してる。媒介が大きければ大きいほど、与える力が多ければ多いほど、その強さは人間を大きく凌ぐわ」
たった手の平大の骨片で、あれだけの身体能力。レエンからすれば倒すのに難のない相手かもしれないが、それはとても自分たち人間に太刀打ち出来る相手ではないと知れた。どれほどの力をあの人形に与えていたのか知る由もないが、どう考えても増産型であるのは間違い無く、それほど力を込めて造ったものとは思えない。
破壊してもすぐに再生し、人間を超越した力で襲い来る人形。そんなものが隊を組んできたら、それこそ人間の力ではどうにもできないだろう。
「それじゃ、私から質問、良い?」
自分でも恐ろしいと思える考えを払拭するようなレエンの問いに、天人はいつの間にか俯いていた顔を戻した。
「何だ?」
「どうして天人は、あれだけの力を簡単に使えたの? 確かに力の使い方は教えたけど、そうそう簡単に想像出来るものじゃない筈よ。私は、最初から生まれ持った力だから、炎でも武器でも何でも想像できるし、難なく使える。でも、天人は普通の人間だわ」
確かに、レエンが不思議がるのも判る。天人自身、あそこまで自然に使えると考えなかった。
しかし、理由を語るのは、どうにも気が引けた。言いたくないのだ。
しばしの沈黙の後、天人は口を開いた。
「俺には、妹が居たんだ」
「過去形ってことは、死んだって事ね」
「ああ。妹は死んだ。――あの時、妹の葬式の日に、俺は妹の顔に触れて、その冷たさを知った。未だに手にへばりついて離れない、あの冷たさ……氷みたいに冷たかった。五年経った今でも、あの感触、あの冷たさは、俺の記憶と右手に焼き付いてる」
そこまで言って、天人は黙った。レエンも何も言わなかった。重苦しい空気。居心地が悪かった。
妹の死が、力の形となっている。皮肉としか思えない。発動させたのは自分自身だが、言葉で再認識してしまい、何とも言えない気分だ。
「ごめんね」
「何で謝るんだよ」
「何となく、悪いなって思って」
別にレエンが悪い訳でもないのだが。謝られても、悪い気しかしない。
沈黙。
しかし、このまま黙っている訳にもいかないだろう。何より、気まずい。
「ああ――」
「そろそろ休んだほうが良いわ。もうこんな時間だしね」
レエンに切り出され、天人は言葉に詰まる。しかし、何を話そうという訳でもなかったし、助かったとも言える。
彼女が指差す方向にあったデジタル時計は、現在二時半であることを告げていた。随分長く眠っていたものだ。
「私は別室のソファで寝るから、天人はそこのベッド使って良いわよ。新しい服は、明日にでも買っておいてあげるから。それじゃ、おやすみなさい」
やや早口で捲くし立て、レエンがドアに向かって歩き始めた。
しかし、ドアの前まで来てぴたりと止まり、天人の方に向き直る。
「何かしたら、ただじゃおかないから」
「ばっ! 何言ってんだ、するわけ無いだろ!」
ほんとかな、と怪訝そうに、しかし悪戯っぽい表情を残し、レエンは部屋を出て行った。全く、あんな能力を使う奴相手に手を出すも何もあったものじゃない。
それに、妹に、玲菜に瓜二つの彼女にどうこうしようなんて、考え付くわけがない。もっともそんな事、レエンは知る訳もないのだが。
呆れた表情のまま、天人はベッドに戻った。なんて厄介ごとに足を突っ込んでしまったのだろうかと後悔しつつ、寝て起きたら夢の話だったなんていう漫画みたいな結果を、無駄と判りつつも期待しながら目を閉じた。