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氷葬  作者: 澄氏 新
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第十章:氷による葬送

 全てを包む光が治まったとき、ようやく霞んでいた視界がはっきりと映ってきた。だが、見たくない。レエンの姿は、もうそこには無い筈なのだから。

 しかし、少しの希望を持って、天人は顔を上げた。先程の金色の光は既にかけらも残っておらず、まるで何も無かったの様に夜の闇が全てを包む冷たい部屋。今までの戦いが夢だった様にも思える静寂。

 何も残ってはいなかった。ネクロも、玲菜も、そしてレエンも。

「……くっ!」

 天人は伏して、思い切り床を殴った。手に伝わる鈍い痛み。それでも構わず殴り続けた。目から溢れる熱い雫。まだ出会って数日しか経っていないが、レエンの事を思うと涙が溢れた。ぽたぽたと床に染みを作っては消えていく。

 何故、レエンはあんな事をしたんだろう。そう簡単にはやられない、消えるのも勿体無い、なんて昨日言っていたのに。

 勿論彼女の決死の覚悟は、天人にも理解できた。でも。俺が不甲斐無いばっかりに、レエンが犠牲になる事はなかったのにと思うと、悔しさばかりが込み上げる。

 

 慟哭。夜の闇を震撼させる程の叫びが、部屋中に反響した。確かに終わった。戦いも、これ以上の魂の死も、もう無い。レエンが終わらせてくれた。

 しかし。

 玲菜の死に続き、玲菜によく似たレエンの死までこの目で見届けた。心に大きな穴が開いたような感覚。そして、悔しさ。其れを埋めるかのように、ただ叫ぶ。

 コンクリートに打ち付けた手は、血が滲んでいた。涙の跡の上に紅い点が滴り落ちる。 

 しばらく後、ようやく顔を上げた天人は、体にかかった埃をはたき落とし、ふらりと立ち上がった。

「帰ろう……レエンが、終らせてくれたから」

 誰にともなく呟いて、天人は一歩を踏み出した。


 が、次の瞬間。

 どくん、と鼓動が聞こえた気がした。何かの気配を感じる。其れはとても大きな存在であるような。胸を不安が一気に押し潰した。

 突如静寂の空間がざわめいた。黒い瘴気が空気を重く変え、夜の闇を濃くしていく感覚。まさかと思い、辺りを見回す天人。

 この感じは――そんな、馬鹿な!

 闇に紛れているのか、その姿は確認出来なかったが、奴が居る。そう直感が告げた。気のせいであってくれと心の何処かで願ったが、しかし周囲の空気が其れが無駄な祈りである事を証明している。

「まさなここまでとは……危うく滅するところであった」

 レエンの、命をかけての最期の攻撃を受けたのに。しかし、今響いた声は、紛れもなくネクロの声。その声はどこか弱々しくも聞こえたが、其れでも勝利を確信した自信に満ちた声だった。

「流石の我も、姫君の最期の力には焦燥を感じ得た。しかし、まだ貴殿を殺し、魂を喰う程の余力は残っておるぞ、人間よ」

 かつん、かつんと硬い足音が、狂気の静寂に響き渡る。部屋の奥、宵闇の幕からこちらに向かってくる其れは次第に大きくなり、ネクロはその姿を現した。彼の余裕を表すかのような冷酷な笑みが天人に向けられる。逆に天人の顔にはネクロに対する憎しみと、どこか絶望にも似た感情が浮き出た。

 悪夢だ。レエンの消滅は無駄だったと言うのか。彼女の覚悟は及ばなかったのか。脱力し、がくりと床に膝を着く。その様を見て、ネクロは更に冷酷な笑みを更に深めた。

「貴殿の妹のものであったか、あの骨は役に立ってくれた。消滅を免れたのも、ひとえにあれの功績であることよ」

 ぴくりと天人の手が動いた。ネクロのその一言に怒りが渦巻く。

「死の姫君も、また愚かな真似をする。貴殿を治癒などせねば、あの一撃で我を倒せたものを」

「黙れ」

 そうだ、その通りだろう。確かに自分の怪我を回復したりしなければ、ネクロを仕留め損ねることもなかっただろうと、天人は不甲斐無さから唇を噛み締めた。そして、玲菜を敵の盾とさせることも。

 だが、レエンを愚かだと言うのか。全てを込めて敵を滅そうとした彼女の意思や決意を全て否定するのか。

「人間よ、貴殿は悔いているのではないか? 自らの力の無さを認めつつも、我に歯向かおうと牙を向けたことを」

 違う。

 お前には解らない。

「姫君によって人外の力を得、そしてその結果がこの様な形となった。貴殿にとってはこれ程不幸な結末も有るまい。力の無さを悔いるか? 其れとも、姫君を恨むか?」

「黙れ!」

 強い天人の語気に、ネクロは不服そうに眉をしかめて顔を強張らせた。この時天人に向けた殺意は今まで以上のものではないだろうか。

「人間如きが思い上がるな。貴殿に勝ち目など露程も有りはしないという事が未だ理解出来ぬと見える。愚かなり」

 かつ、かつとブーツを鳴らしながら、天人に近付くネクロ。それは死の迫る緊迫と正に同種だった。しかし、天人は動こうともしない。膝立ちの状態で顔を俯けたまま、腕はだらんと下ろし、無防備な状態で居た。

 諦めたわけではない。天人の心を占めるのは、怒りや憎しみの負の感情、そして秘めたる一つの意思。それらが天人の体を支配し、爆発せんとしている。

 ネクロには見えはしない。人間よりも優れていると思い込んでいる彼には、天人の心など読める筈も無かった。

 余裕を見せる様にゆっくりと天人の前まで歩いたネクロは、そのまま天人の首を鷲掴みにすると、軽々とその体を持ち上げた。脱力した様に動かず、されるがままに宙に浮く天人。其れを完全に諦めたと取ったか、ネクロの口角が禍々しく吊り上がる。

「ではさらばだ、力無き者よ。貴殿は我が人形としても扱わぬ。魂を全て喰い尽くし、肉体は髪の一筋も残らぬ程に、完全に抹消してやろうぞ」

 初めてレエンと出会ったあの時、彼女に力を分けてもらった時に感じたような生温い何かが、自分の体を伝わりネクロの腕へと流れていこうとしているのを感じた。

 その瞬間。

 

 天人の首を掴んだネクロの右手が、高い音を立てて肘から砕けた。空中に、青白い花弁の様に散った光の欠片が月の光を反射する。

 魂を喰われようとした刹那、天人の右手はほぼ無意識にネクロの手首を掴み、その能力を発動させたのだ。しかし、局部的な凍結しか今まで成し得なかった筈なのに、手首から手、そして肘までを一気に凍らせ破壊したのは、彼の怒りによるものか。

 宙に散ったネクロの腕は、数瞬きらきらと輝いて消えた。

「くっ、貴様ァ!」

 天人が力を発動させたと見た瞬間に跳び退ったネクロだったが、その凍結のスピードは今までのものを遥かに越えている。レエンと同じく死者の冷たさを有するネクロだが、その体温以上の絶対零度を想像し、瞬時にここまでの破壊を見せるその能力は。

 支えを無くしてどさりと床に落ちる天人。しかしすぐに立ち上がり、俯いたままでネクロに迫る。先程彼がやった様に、足音を鳴らしながら。烈火の様に湧き上がる感情。

 敵を「殺したい」と。

「救えぬ。我の更なる怒りを呼ぶだけだと知るか! この程度の損傷なれば、簡単に――」

 言いかけて、止めた。

 再生させようと力を送り込もうと、時がどれだけ流れようと、一向に右腕が再生する兆しが無いのだ。これは一体、何が起きたというのか?

 いや、それだけに留まらず、腕の切断面に張り付いた氷は更にネクロの体を侵食し、右腕全体を包もうとしているではないか!

 天人の能力の新たな開放に戸惑いつつも、ネクロは自ら肩から腕を引きちぎった。侵食された部分を大きく切り取って、ようやく腕は再生を開始する。

 何なのだ、これは。一体何を想像し、創造したか。

「ネクロ、お前は俺の妹を、玲菜を、俺とレエンを殺すために使い」

 かつ、かつと数歩。

「そしてレエンの命を、あいつの決意を卑下した」

 闇が再びざわめいた。今やネクロの闇よりも、天人の心の方が打ち勝っている。ネクロにもし肉体が有ったなら、冷や汗が首筋を伝うだろう。

 更に数歩。空気が張り裂けそうなくらいに、負の感情で膨張していく。

「殺してやる、絶対に」

 天人の顔が、ようやく上がった。その目に宿るのは、勿論怒り憎しみの類だったが、其れよりも更に強い光。全力で敵を倒すという確固たる決意の表れだ。

 ネクロは思わず一歩後ずさった。無意識のうちに下がった己の脚を見て、自分に焦りと恐怖が存在している事に気付いたか。

「はは、ははははは! 何故我が、何故!」

 狂ったように叫ぶネクロ。彼にとって自分の力は絶対であり、無比のものであった筈なのに、何故後退したのか。その行為が信じられず、また目の前の人間に対してその時どのような感情を持ったか、彼に理解し得るだけの余裕が有っただろうか。先程までの驕りと余裕は既に無い。

 天人が駆けた。その瞳は勝利を確信しているかのように輝きを増している。彼の右手の軌跡が、瞬間凍結して薄い銀の光を放つ。抑えきれない魂の爆発の証明だった。

 未だかつて味わった事の無い感情に意思を食われつつも、ネクロもまた駆けた。彼もまた、自分の力を確信しているのだから。人間如きには届く筈も無い、強大な魂の力を。

 月明かりを反射する銀の影と黒の影が互いに疾り、交えた。

 ネクロが繰り出した平突きは、天人の右手によってガードされた。いや、通常なら触れた右掌を突き破り、天人の心臓を貫いていた筈。しかしどうだろう、天人の氷の手に触れた途端、まるでその手に吸い込まれるように凍結し、砕け、ぼろぼろと散っていくではないか!

 肩口まで一気に凍りつき、攻撃を繰り出した筈のネクロの腕は形も無く空に消えた。その凍結部分は、先程と同じく侵食を開始する。

 交錯した後床に降り立ったと同時に、ネクロは再び侵食箇所を抉り取った。

「お前がどれだけ強い力を持っていようが関係無い。俺が凍らせるのは、お前の魂そのものだから」

 ネクロの方に向き直りながら、天人は静かに言った。

「魂そのもの、だと? 人間であるお前が、何故魂の形を想像し得る!?」

 再びネクロが飛び掛ってくる。今度は天人は不動だった。既に強者としての威厳も余裕も無く、半ば自棄やけを起こしたように襲い来る敵に対し、もう怖れは感じない。もし今より冷静であったなら、同情したかも知れない。

「教えてもらったからだ」

 死神という存在のこと、魂の世界のこと、そして最期に見せた命の無尽光。全て、レエンに教えてもらった。その行動を基にして想像すれば。

 今見えているネクロの姿が魂と呼べるものであるならば、体の部分毎に凍らせようと想像する必要も無い。手も脚も胴も、何も関係無い。そんなものは、ネクロにとっては見た目だけの、本質を映さぬ虚像でしかない。

 

 そう、奴を一つの「魂」として、その力も、身体能力も、全てを氷と変え、葬る。

 想像し創造する力は、元の持ち主が見せた全てによって進化する!

 

 自分でも気付かずに渾身でかかるネクロ。飛び掛るスピードは勿論のこと、単調ながらもう一撃繰り出された突きは電光石火。今までの冷徹な鉄の表情は跡形も無く、情けない程に醜く湾曲していた。

 天人は慌てず、右手をゆっくりと突き出した。レエンの覚悟に勝るか解らないが、天人も死を隣に置く事に恐れない程の決意を持っているのだから。

「殺す! 貴様を殺した後に、我は比類なき存在へと昇華し、魂の全てを――!」

 叫びは消えた。其れは断末魔になったか。

 びきびき、とネクロの体にひびが走った。狂った顔も其のままに、まるで時が止まったように微動だにしなくなったその体を亀裂が埋める。天人の右手は、ネクロの突きを先程と同じ様に砕き割り、そのまま左胸を貫いていた。

 左胸を中心に、次第に亀裂は深くなり、そして。

「終わりだ。消えろ、ネクロ」

 静かな声と同じくして、ガラスを割ったような音と共に木っ端微塵に砕け散る! 既にどの部分だったのか解らない程に細かく霧散した氷の屑は、煙の様に消えていった。

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