第九章:命の灯火
玲菜は、否、玲菜の姿を模した人形は、他の人形と違って武器を持っていなかった。
理由はいたって簡単。そんな物は必要無いからだ。
ネクロの能力は、核となる骨に力を込めて人形を作る。その強さは、ネクロがどれ程力を核に注ぐか、もしくはどれ程多大な材料を使うかで決まる。そうレエンが説明していた通り、遺骨の全てを使って造られた玲菜は、今までのどの人形よりも遥かに強力なのだ。
玲菜の人形が飛び掛ってきたスピードは人間よりも遥かに速かったが、それでも手を抜いているのだろうか、目視出来ない範囲ではなかった。しかし、その堅く握られた拳が天人に向かって振り下ろされ、空を切って床に叩きつけられた時、コンクリートの床は風化した土の様に呆気なく崩れ、床に大きな穴を開けるに至ったのだ。
先程のギロチン人形が砕き割ったのとは訳が違う。その力は鋼鉄の板にも風穴を開けるだろう。
「どうした、姫君と人間よ。流石に手も足も出ぬか」
挑発的なネクロの言葉が部屋に響き渡る。しかしその声も、巨大な別の音によって掻き消されていた。床にまた一つ、大きな穴が開く。
「あれはただの人形よ! 天人には其れがよく解ってるはず!」
天人を庇う様に応戦しつつ、レエンが檄を入れる。其れくらい解っている。解ってはいるが、天人の体は攻撃を拒絶していた。
レエンと玲菜の人形。激突し戦う姿は、髪と瞳の色こそ違えど瓜二つ。玲菜が玲菜と戦っている様に見えるが、どちらもそうじゃない。レエンを助けなければ、一緒に戦わなければならないのに、天人の右手は意思と反して上がらない。
俺は、死んだ玲菜の頬に触れて、自分でその死を確かめた。想像の形も、その影響で形作った。そんな事、今更確認するものじゃないのに。なのに。
「何で動いてくれないんだよ……!」
玲菜を、妹と同じ姿のものを殺さなきゃいけない。
――殺さなきゃいけない。
そう考えると、どうしても体が拒絶する。この様な最低の策を用意し、実行したネクロに怒りがこみ上げるも、同じ顔が戦っている目の前の光景を見ると、手を出せない。
右手を見つめる。頼むから動いてくれと懇願するが、自分の一部である筈の右手は一向に戦いの構えをとってはくれない。
「きゃあっ!」
悲鳴を聞いて、天人は弾かれたように我に戻り、顔を上げた。目の前にはレエンの背中があった。猛スピードで突っ込んできたレエンを何とか受け止めようとしたが、堪えきれずに共に壁まで吹き飛ぶ。
どん、と背を強く壁に打ち付け、レエンと板ばさみになって肺の空気が一気に吐き出されたが、痛みを堪えて息を整える。見れば、玲菜は蹴りの構えを戻す所だった。たった一撃、レエンを文字通り一蹴したのだ。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわ。一気に削られた。まったくもう、恐ろしいもの作り出してくれたわね、あいつ……!」
いまだ氷の笑みを浮かべるネクロを睨みつけ、レエンと天人は体勢を整えた。余裕のつもりか、その隙を見逃す玲菜とその創造主。
「天人、私が何とか人形を引き付けるわ。その間に、ネクロに攻撃して」
「大丈夫なのか?」
「死神を甘く見ないでよ」
とは言うものの、彼女の表情は焦燥と不安に満ちていた。玲菜の人形を破壊するだけなら、全力をもってすれば可能だろう。しかし、残るネクロを天人だけに任せる事は出来ない。奴と天人とでは、力の差が圧倒的過ぎる。
「いくわよ!」
レエンが駆けた。同時に天人も。対する玲菜の紛い物は、その場から動かずに二人を迎え撃つ。
走りながら、レエンは両手を頭上で合わせ、想像を開始した。
「天人、跳んで!」
レエンの掛け声の直後、天人は持てる限りの跳躍力でネクロに向かって跳んだ。同時に頭上から床に叩きつけられた手から、最初の一団を葬り去った時と同じく電流がほとばしる!
しかし読まれていたか、玲菜とネクロも宙に舞っていた。地を這う電撃は誰を焼き焦がすでもなかったが、これは予想の範囲内。
「空中じゃ、満足に移動出来ないでしょ」
玲菜の脇をすり抜けるようにして跳んでいた天人は、そのまま背後に隠れるようにしていたネクロに向かって右手を突き出した。この攻撃で倒せるとは思っていないが、其れでもこの状況を何とか打破出来る方法を探さなければ。
しかし、いけると確信していた為に油断が生じたか。天人の右足が、がっしと掴まれた。
「なっ!」
玲菜が空中で自らの腹を手刀で断ち割り、体を仰向けにへの字に曲げて、脇を通って抜けようとした天人の足を掴んだのだ。まさか自分で自分の体を切り裂くという行動を取るとは予想せず、天人はそのまま彼女の怪力で、半円を描くようにして背中側から床に叩きつけられた。
薪を割ったような音がした。
続く、ぼきぼきという不快な音と共に、天人の体がコンクリートに沈んでいく。腹の奥から込み上げてきた嘔吐感に耐え切れずに口を開くと、幾つもの血塊が止め処無く吐き出された。
「天――!」
急いで駆け寄ったレエンだったが間に合わず。天人の体は見る見るうちに床に沈み、底を抜けて下層の床に落下する。コンクリートの床が押し上げられて捲れ上がり、穴の周りに壁となって現れた。
レエンはすぐさま下層に下りると、倒れている天人に駆け寄った。あれだけの一撃を受けておいて、即死かとも思われたが、辛うじてまだ息は有った。床に叩きつけられる瞬間、身を捻って床に右手を付き、床の一部を凍らせてダメージを和らげた事には、さしものレエンも気付かなかった。しかし、其れでも充分奇跡的である。
考える事も無く、レエンは即座に天人の治療を開始した。ここで力を使えば、等という考えは一切無かった。
「レエン、お前、治療なんかしたら……」
咄嗟の防御の甲斐あって、天人は意識は何とか保つ事が出来ていた。レエンが触れる場所の傷がたちどころに癒えていくのを実感したが、しかしこれだけの怪我を治すのにはそれ相応の力が要ることを知っている。
「いいの、天人を死なせるわけにはいかないから」
レエンは言いつつ笑った。辛そうな笑みではあるが。
「俺の怪我を治すのは、ある程度で構わない。それよりも、奴を」
「そんな事、出来るわけないじゃない。私の作戦ミスなんだし」
治療を続けるレエンを見、自分の力の無さと油断を悔いた。作戦ミスなんかじゃない。自分にもっと力があれば、こんな無駄な力を使わせずに済んだのに。
「何故生かす? そこの人間が役立たずである事は明白。力を無駄に使っては、勝ち目も消えように」
上層の穴から見下ろすネクロ。窓の月が逆光となってその顔は見えなかったが、余裕と嘲りの表情である事は声色から明らかだ。
「無駄じゃない」
治療を続けながら、レエンは振り向きもせずに静かに言った。
「その人間の魂の残り屑を喰えば、多少の勝機は望めるかも知れんぞ? 死の姫君よ」
「黙りなさい!」
レエンの語気に、ネクロは一瞬気圧された。
一体何故、人間にそこまで肩入れするのだろう。どう考えてもネクロやレエンの方が圧倒的に強いというのに、何故自らの力の損失を知った上で治療などするのだろう。
其れはレエンにも不思議に思うところだった。何でここまで天人を助けたいのだろう。天人の力は、勿論信用しているし、レエンにとって心強い味方であることは間違いない。しかし、ここまでの怪我を治療すれば、それこそネクロを倒す力は残らないだろう。其れは分かっているのに。
ネクロが無言で穴からこちらに降りてきた。続いて玲菜の人形も。
治療を終えたレエンは何も言わずに立ち上がると、くるりとネクロに向き直った。その瞬間彼女から発した殺気、怒り。ネクロの其れを圧倒し、部屋の空気を塗りなおす。
力ももうあまり残っていないのに、この気は何だろう。一体どれ程の意を秘めて、ネクロを圧倒したというのか。
「ネクロ」
静かに口を開くレエン。
「倒すわ、お前を」
「もう力も残らぬ貴殿が、か? この状況を考えよ、姫君。その力を驕るのも……」
「驕っているのはお前の方よ」
意を決した表情で、レエンは駆け出した。しかし、固い決意を秘めたその顔は、どこか哀愁を感じさせる。
「もしかしたら――」
駆けながら小さく呟いた。
もしかしたら、ネクロを倒すまでには至らないかも知れない。その時は、天人――!
迎撃の体勢を取る玲菜の人形。レエンは躊躇せずにその懐に飛び込み胴を貫く様に拳を放った。すかさず反撃しようと玲菜は拳を振り上げたが、そのままぐんと押されて体勢を崩した。
レエンは玲菜の体を貫き、そのまま玲菜を抱えてネクロに突進したのだ。この勢いのままにネクロも貫くつもりか。攻撃を受ける事を前提とした諸刃の一撃。
予想外の特攻に舌打ちしつつも、ネクロは人形に指令を飛ばした。体勢を立て直した玲菜はレエンを止めるべく、その背に拳を打ち込んだ。しかし、レエンの疾走は止まらない!
「レエン!」
天人の声が飛ぶ。しかし止まらない。止まれない。自らの強い意志の為に。
何度も何度も拳を打ち下ろすが、一向に止まる気配を見せないレエン。これだけ防御もせずにネクロを討とうとするのは、まさか。
「止めろ、そんな事をすれば貴殿もただでは済むまい!」
初めて見せるネクロの焦りの表情。レエンは玲菜の重い一撃を耐えながらも、ネクロの元に駆け寄り、その胴に手を巻きつけた。
「そうね。でも、お前もただじゃ済まない。一緒に消えるのよ、ネクロ」
レエンの体が金色の霊光を放つ。全ての力が彼女の体の一部……心臓に終結する!
「止めるんだ、レエン!」
「ごめんね、天人」
悲痛とも言える天人の叫びに小さく答えると、レエンは持てる力の全てを解放した。
瞬間、金の極光が部屋の影を消し去り、全てを飲み込んで膨張していく! 音も無くレエンから発した命の光は太陽にも似て、その眩しさ故に目を開けていることすらままならない。
「愚かな! その命を賭してまで、我が魂を消滅させようと言うのか!」
今までに無いネクロの焦りの声。今までの余裕は、既に微塵も残ってはいない。
レエンのその光は暖かく、しかし哀しい光だった。最大限の無尽光となったその瞬間、薄っすらと開けた天人の目に映ったのは――
消え行く直前の、レエンの笑顔。その笑顔は眩しかったが、痛々しくもあった。
「レエン!」
天人の彼女を呼ぶ声は、光に掻き消されるようにして消えた。