吾輩は朝の顔である
吾輩は朝の顔である。
自称ではない。現場の評価だ。
朝になれば人が来る。
鉢の前でしゃがむ。
のぞく。騒ぐ。書く。
だいたいこの流れである。
まことに忙しい花だと思う。
同じように咲いている花は他にもある。
昼に咲く者もいれば、夕べに風情ぶる者もいる。
だが、観察されるのはだいたい吾輩である。
悪いな、昼顔。
おまえは時間帯が中途半端だ。
夕顔、おまえは雰囲気に頼りすぎる。
やはり朝である。
朝は強い。
人間は朝から何かを育て、何かを書かされ、何かを反省する。
そのついでに吾輩も見られる。
時代は朝顔なのだよ。
なぜ吾輩ばかり人気なのか。
理由はいくつか考えられる。
まず、見た目がよい。
これは大きい。
花である以上、避けて通れぬ話だ。
しかも吾輩は基本的に紫である。
王道の色である。
派手すぎず、地味すぎず、なんとなく品があり、ちょっと賢そうにも見える。
花に賢そうも何もないが、見えることが大事なのだ。
たまに違う色が出ることもある。
すると人間は騒ぐ。
珍しいだの、きれいだの、今年は当たりだの、好き勝手なことを言う。
失礼な話である。
紫の時点で十分に当たりだ。
違う色はおまけではない。
表現の幅である。
花の色にはアントシアニンという色素が関わるそうで、人間はそういう言葉を覚えるとすぐ言いたがる。
なるほど、たしかに賢そうだ。
吾輩にも似合う。
白い花が出ると、これもまた大騒ぎになるが、白は白で別の色素があるというわけではないらしい。
出すものを出さぬ美学というのもあるのだろう。
沈黙の色である。 (kids.gakken.co.jp)
それから吾輩は、美しいだけの花ではない。
うっかり何でも口に入れる者には少々向いていない。
花というものは、ただ愛らしい顔で風に揺れていればよいと思われがちだが、そんな甘い世界ではないのである。
美と危うさは、ときに同居する。
人気者には奥行きが要る。 (jstage.jst.go.jp)
もっとも、そういう話をいちばん熱心に聞いているのは子どもではない。
子どもはもっと率直だ。
「咲いた」
「ふえた」
「でかい」
「こっち、むらさきこい」
「なんか今日すごい」
語彙はやや心配だが、反応は悪くない。
あれだけ素直に驚かれると、こちらとしても少し気分がよい。
ただし、近い。
顔が近い。
指も近い。
ときどき鼻まで近い。
観察とは、もっとこう、尊敬をもって遠巻きに行うものではないのか。
とはいえ、あの小さな者たちは容赦がない。
昨日より葉が一枚多いだけで大事件のように騒ぎ、つぼみが膨らんだだけで拍手を始める。
つるが支柱に巻きつけば、まるで吾輩が知恵を働かせたように感心する。
いや、まあ、多少は働かせているのだが。
とくに、朝早く来た子は熱心である。
まだ眠そうな顔で鉢をのぞき込み、
「あ、きょう咲いてる」
と急に目を丸くする。
あれを見ると、こちらも少し考える。
別に、子どもどものために咲いているわけではない。
そこは誤解してもらっては困る。
吾輩は吾輩の都合で咲く。
朝だから咲く。
朝の顔だから咲く。
言ってみれば職務である。
だが、せっかく見に来た者に、
今日は変化なし。帰れ。
というのも、教育上いかがなものかと思うのである。
だから、少し気をつかう。
つぼみが開けそうなら、なるべく朝のうちに開く。
葉もできるだけつやを出す。
色がきれいに見える角度も心得ている。
こちらも人気商売だ。
見せ場というものがある。
ある日、隣の鉢の者が言った。
そこまで人間に合わせて疲れぬか、と。
失礼な。
合わせているのではない。
導いているのだ。
葉の枚数を数えさせ、
つるの伸びを見せ、
つぼみの待たせ方を教え、
咲いたら咲いたで、しぼむことまで見せる。
植物というものは、黙っていても案外多くを語る。
吾輩はその中でも、とくにわかりやすく語ってやっているだけである。
まったく、親切な花だ。
親切すぎて困ることもある。
こちらが一輪だけ控えめに咲いた朝でも、
「きょうもがんばってるね」
などと言われる。
がんばっている、という表現はあまり好かぬ。
努力の跡を見せた覚えはない。
できれば、
さすがだね。
くらいにしてほしい。
だが先日、小さな子がしぼんだ花を見て、少し寂しそうな顔をした。
そして横のつぼみを見つけて、ぱっと明るくなった。
「あした、これがさくかも」
と言った。
その言い方が、なんだかずるい。
期待というものは、向けられると少々重い。
だが、嫌いではない。
むしろ、かなり嫌いではない。
ゆえに吾輩は、翌朝きちんと咲いた。
別にその子のためではない。
偶然である。
植物の事情である。
季節と日差しと水分と、その他いろいろがかみ合った結果である。
そう、結果なのだが。
「ほんとに咲いた」
そう言って笑うのを見たとき、吾輩はちょっとだけ胸を張った。
ちょっとだけである。
かなり堂々とはしていたが、気持ちとしてはちょっとだけだ。
人気者とは難儀なものだ。
咲けば騒がれ、咲かなければ心配される。
紫なら王道と言われ、違う色なら特別扱いされる。
毒があると知れれば少し神秘的に見られる。
まったく忙しい。
だが、それだけ見られている以上、無様なところも見せられぬ。
だから吾輩は今日も咲く。
昼顔には悪いが、昼までは待てぬ。
夕顔にも気の毒だが、夜まで引っ張る気もない。
朝のうちに決める。
それが吾輩である。
鉢の前で、また子どもが歓声をあげた。
「見て、きょうの朝顔、いちばんきれい」
ふふん、知っておる。
知っておるが、あえて教えてやるまでもない。
人気者とは、発見されてこそ人気者なのである。




