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吾輩は朝の顔である

掲載日:2026/10/14

吾輩は朝の顔である。

自称ではない。現場の評価だ。


朝になれば人が来る。

鉢の前でしゃがむ。

のぞく。騒ぐ。書く。

だいたいこの流れである。


まことに忙しい花だと思う。


同じように咲いている花は他にもある。

昼に咲く者もいれば、夕べに風情ぶる者もいる。

だが、観察されるのはだいたい吾輩である。


悪いな、昼顔。

おまえは時間帯が中途半端だ。

夕顔、おまえは雰囲気に頼りすぎる。

やはり朝である。

朝は強い。

人間は朝から何かを育て、何かを書かされ、何かを反省する。

そのついでに吾輩も見られる。

時代は朝顔なのだよ。


なぜ吾輩ばかり人気なのか。

理由はいくつか考えられる。


まず、見た目がよい。

これは大きい。

花である以上、避けて通れぬ話だ。

しかも吾輩は基本的に紫である。

王道の色である。

派手すぎず、地味すぎず、なんとなく品があり、ちょっと賢そうにも見える。

花に賢そうも何もないが、見えることが大事なのだ。


たまに違う色が出ることもある。

すると人間は騒ぐ。

珍しいだの、きれいだの、今年は当たりだの、好き勝手なことを言う。

失礼な話である。

紫の時点で十分に当たりだ。

違う色はおまけではない。

表現の幅である。


花の色にはアントシアニンという色素が関わるそうで、人間はそういう言葉を覚えるとすぐ言いたがる。

なるほど、たしかに賢そうだ。

吾輩にも似合う。

白い花が出ると、これもまた大騒ぎになるが、白は白で別の色素があるというわけではないらしい。

出すものを出さぬ美学というのもあるのだろう。

沈黙の色である。 (kids.gakken.co.jp)


それから吾輩は、美しいだけの花ではない。

うっかり何でも口に入れる者には少々向いていない。

花というものは、ただ愛らしい顔で風に揺れていればよいと思われがちだが、そんな甘い世界ではないのである。

美と危うさは、ときに同居する。

人気者には奥行きが要る。 (jstage.jst.go.jp)


もっとも、そういう話をいちばん熱心に聞いているのは子どもではない。

子どもはもっと率直だ。


「咲いた」

「ふえた」

「でかい」

「こっち、むらさきこい」

「なんか今日すごい」


語彙はやや心配だが、反応は悪くない。

あれだけ素直に驚かれると、こちらとしても少し気分がよい。


ただし、近い。


顔が近い。

指も近い。

ときどき鼻まで近い。

観察とは、もっとこう、尊敬をもって遠巻きに行うものではないのか。

とはいえ、あの小さな者たちは容赦がない。

昨日より葉が一枚多いだけで大事件のように騒ぎ、つぼみが膨らんだだけで拍手を始める。

つるが支柱に巻きつけば、まるで吾輩が知恵を働かせたように感心する。

いや、まあ、多少は働かせているのだが。


とくに、朝早く来た子は熱心である。

まだ眠そうな顔で鉢をのぞき込み、

「あ、きょう咲いてる」

と急に目を丸くする。

あれを見ると、こちらも少し考える。


別に、子どもどものために咲いているわけではない。

そこは誤解してもらっては困る。

吾輩は吾輩の都合で咲く。

朝だから咲く。

朝の顔だから咲く。

言ってみれば職務である。


だが、せっかく見に来た者に、

今日は変化なし。帰れ。

というのも、教育上いかがなものかと思うのである。


だから、少し気をつかう。


つぼみが開けそうなら、なるべく朝のうちに開く。

葉もできるだけつやを出す。

色がきれいに見える角度も心得ている。

こちらも人気商売だ。

見せ場というものがある。


ある日、隣の鉢の者が言った。

そこまで人間に合わせて疲れぬか、と。

失礼な。

合わせているのではない。

導いているのだ。


葉の枚数を数えさせ、

つるの伸びを見せ、

つぼみの待たせ方を教え、

咲いたら咲いたで、しぼむことまで見せる。

植物というものは、黙っていても案外多くを語る。

吾輩はその中でも、とくにわかりやすく語ってやっているだけである。

まったく、親切な花だ。


親切すぎて困ることもある。


こちらが一輪だけ控えめに咲いた朝でも、

「きょうもがんばってるね」

などと言われる。

がんばっている、という表現はあまり好かぬ。

努力の跡を見せた覚えはない。

できれば、

さすがだね。

くらいにしてほしい。


だが先日、小さな子がしぼんだ花を見て、少し寂しそうな顔をした。

そして横のつぼみを見つけて、ぱっと明るくなった。

「あした、これがさくかも」

と言った。


その言い方が、なんだかずるい。


期待というものは、向けられると少々重い。

だが、嫌いではない。

むしろ、かなり嫌いではない。


ゆえに吾輩は、翌朝きちんと咲いた。


別にその子のためではない。

偶然である。

植物の事情である。

季節と日差しと水分と、その他いろいろがかみ合った結果である。

そう、結果なのだが。


「ほんとに咲いた」


そう言って笑うのを見たとき、吾輩はちょっとだけ胸を張った。

ちょっとだけである。

かなり堂々とはしていたが、気持ちとしてはちょっとだけだ。


人気者とは難儀なものだ。

咲けば騒がれ、咲かなければ心配される。

紫なら王道と言われ、違う色なら特別扱いされる。

毒があると知れれば少し神秘的に見られる。

まったく忙しい。

だが、それだけ見られている以上、無様なところも見せられぬ。


だから吾輩は今日も咲く。

昼顔には悪いが、昼までは待てぬ。

夕顔にも気の毒だが、夜まで引っ張る気もない。

朝のうちに決める。

それが吾輩である。


鉢の前で、また子どもが歓声をあげた。


「見て、きょうの朝顔、いちばんきれい」


ふふん、知っておる。


知っておるが、あえて教えてやるまでもない。

人気者とは、発見されてこそ人気者なのである。

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