第3話:群れと首領
道が、狭くなっていた。
両脇に木々が迫る。
葉が青く茂り、空が細く切れている。
陽が長い季節だった。
朝から汗が出る。
転戦の疲れが、足に染みていた。
それでも、脚は止まらない。
「次の集落まで、あとどのくらいだ」
レイが問う。
「日が落ちる前には着きます」
ガロが答える。
しばらく歩いて、レイは口を開く。
「ヴェリスとオルガントは?」
ジークが答える。
「ヴェリス隊長は王都に呼ばれたまま長引いています。オルガント卿は領地の外れで問題が起きたと。子供が人質に取られているという話で——戻れるのはしばらく先になると」
レイは前を向いたまま、頷く。
――――――――
集落が、見えてきた頃だった。
煙が上がっていた。
焚き火の煙ではない。
黒い。
太い。
嫌な臭いを孕んでいた。
「急げ」
レイが踏み出す。
兵たちが続く。
――――――――
集落は、荒れていた。
倉庫の扉が破られていた。
中身が、ない。
食糧も。
農具も。
残っているのは、壊れた棚と、散らばった藁だけだった。
広場に、村人たちが座り込んでいた。
老人。
子供。
傷を負った者もいる。
レイは膝をついた。
目線を合わせる。
「やられたのか」
老人が頷く。
声が、震えていた。
「ゴブリンです。昨日の夜明けに……」
「どの方角へ消えた」
「北の森へ……でも、また来ます。必ず来ます」
老人の目に、諦めがあった。
長年、繰り返してきた目だった。
「食糧は」
「全部持っていかれました。残っているのは……各自が隠していた分だけで」
レイは立ち上がる。
振り返る。
「ガロ、軍団の携行食から回せるだけ回してやれ」
「……了解」
ガロは一瞬だけ間を置いた。
動く。
胸の奥で何かが、静かに固まる。
(また来る、か)
――――――――
北の森に入ったのは、翌朝だった。
痕跡が、あった。
踏み荒らされた草。
引きずられた跡。
折れた枝。
ゴブリンは隠すことを知らない。
あるいは、隠す必要を感じていない。
「数は」
レイがジークに問う。
ジークは痕跡を読む。
目が鋭い。
「……百五十から二百。ただ」
一拍、置く。
「統率されています。引きずった跡が一方向に揃っている。獲物を仕分けしながら運んでいる」
「烏合の衆じゃない、ということか」
「はい。首領格がいると見た方がいい」
レイは頷く。
(首領を潰せば崩れる)
それだけ確認できれば十分だった。
――――――――
群れの根城は、森の奥の岩場だった。
見張りが、いた。
二体。
岩の上で、武器を持っている。
人間から奪ったものだ。
錆びた剣。
折れかけた槍。
粗末だが、使える。
(知恵がある)
レイは木陰から観察する。
ジークが耳打ちする。
「左の見張りが交代するタイミングがある。右は固定です」
レイはジークを見る。
ジークは前を向いたまま、静かに言う。
「左が岩から下りたタイミングで入れます。十数えるくらいの隙です」
レイは小さく息を吐く。
「行くぞ」
――――――――
左の見張りが岩から下りた。
ジークが目で合図する。
音を殺して、岩場に入る。
岩の内側に、小部屋があった。
見張りの予備と、伝令役だ。
四体。
眠っていた。
ガロが動く。
無言で、的確に。
声が上がる間もなかった。
「情報系統、ほぼ潰しました」
ガロが静かに言う。
レイは頷く。
「先へ進む」
――――――――
中央の広場は、暗かった。
岩に囲まれた窪地だ。
無数のゴブリンが、折り重なるように眠っていた。
息を殺して、進む。
一歩。
また一歩。
その時だった。
後方の兵の足が、何かに当たった。
鈍い音。
寝ていたゴブリンが、目を開く。
一瞬の静寂。
叫んだ。
甲高い声が、岩場に響く。
応答する声が、奥から返ってきた。
一つではない。
十。
二十。
それ以上。
ゴブリンが岩の上から飛び降りてくる。
雨のように、降ってくる。
「弓、上を狙え!」
レイが叫ぶ。
矢が飛ぶ。
二体が落ちる。
だが、止まらない。
地面からも来る。
岩の隙間から。
草の陰から。
あらゆる方向から。
だが、叫び声を聞いて飛び出してきたものの突然の侵入者にゴブリンたちは混乱を隠せない。
統率がない。
今だ。
「押せ、押せ!!」
ガロの声が飛ぶ。
古参兵の怒声だ。
動じていない。
ただ、的確だ。
兵たちが前へ出る。
混乱したゴブリンを、次々と仕留めていく。
十体。
二十体。
三十体。
それでも、まだいる。
左翼が崩れかけた瞬間、ガロがそこへ動いていた。
盾を構え、押し返す。
一体、また一体。
怯まない。
退かない。
「左を支えろ、そこが薄い!」
レイの指示が飛び、兵が動く。
――――――――
その時。
混乱が、止まった。
甲高い一声が、岩場に響く。
命令ではない。
それでも、群れが動きを変えた。
首領が、現れた。
他のゴブリンより、頭一つ大きい。
鎧を着ていた。
人間のものだ。
サイズが合っていない。
だが、着ている。
手には、鉄の棍棒。
村から奪ったものではない。
鍛えられた、重いものだ。
どこで手に入れたのか。
そんな思考が一瞬過ぎる。
首領がレイを見た。
真っ直ぐに、見た。
(こいつが中心だと判断している)
賢い。
本能ではなく、判断している目だった。
首領が踏み込む。
重い。
速い。
棍棒が薙ぐ。
レイは弾く。
腕に、痺れが走る。
力が、違う。
(……強い)
退く。
また来る。
受ける。
弾く。
退く。
押されている。
兵たちがレイを援護しようと動く。
首領が、そちらに視線を向ける。
その瞬間だった。
配下のゴブリンたちが援護に向かった兵たちに殺到する。
指示ではない。
目配せだ。
首領の目配せで、群れが動いた。
(統制されている……!)
レイは歯を食いしばる。
援護できない。
孤立する。
首領と、一対一になる。
棍棒が、また来る。
今度は上から。
レイは横へ跳ぶ。
地面に転がる。
砂が、口に入る。
立ち上がる。
膝が笑っている。
(……まずい)
――――――――
その時。
首領の動きが、わずかに止まった。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
首領が、周囲を見た。
何かを、感じ取ったように。
だが、何もいない。
森の木々が揺れている。
風だ。
それだけだ。
首領はレイに向き直る。
だが。
その一拍の隙で、レイは立て直していた。
剣を構える。
冷えていた。
内側が、冷えていた。
(……来い)
踏み込む。
首領が棍棒を振る。
レイは潜る。
懐に入る。
剣が、首領の脇腹を抉る。
深い。
首領が、よろめく。
下がる。
膝をつく。
その瞬間。
配下の群れに、動揺が走った。
首領の動きが、止まった。
それだけで。
群れの統制が、ほつれ始めた。
「今だ、押せ!!」
ジークが叫ぶ。
兵たちが前へ出る。
群れが、崩れる。
あっという間だった。
首領を失った群れは、ただの烏合の衆だった。
四散する。
森の奥へ、消えていく。
――――――――
静寂。
レイは荒い息をついていた。
ジークが近づいてくる。
「……やりましたね」
静かな声だった。
レイは頷く。
ガロが戻ってくる。
損害を報告する。
負傷者、数名。
死者は、出なかった。
「……そうか」
レイは目を閉じる。
一拍。
開く。
「引き上げるぞ。村に戻る」
――――――――
岩場を離れる前。
レイはふと、足を止めた。
首領が倒れていた場所を見た。
首領は、いなかった。
死骸が、ない。
逃げたのか。
息があったのか。
あの傷で。
(……生き延びたとすれば)
また来る。
もっと学んで。
もっと強くなって。
「……行くぞ」
レイは前を向く。
歩き出す。
胸の奥の、冷えた火は――まだ、消えていなかった。
――――――――
岩場の上。
何かが、静止していた。
眼下の、去っていく人間たちを見ていた。
感情ではない。
ただ、見ていた。
やがて。
人間たちの姿が、木々の向こうに消えた。
それを確認して。
静かに、消えた。




