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家を出た理由

作者: あかみんご
掲載日:2026/01/13

 正志が家を出て三年が経つ。

 食卓の座席にはうっすら埃が積もり、

 私はそれを指で払うのが習慣になってしまった。


 かつて、三人で暮らしていた空間。

 使われずに棚の奥で眠る食器やマグカップ、テーブルには箸も揃えられぬまま、

 かつて三人で過ごした日々の気配だけが残っている。


 あの子が出ていくずっと前から、この家は静かになりすぎていた。

 妻が亡くなってから、私は“人”というものがどうにも信じられなくなった。

 彼女は誰よりも強くて、誰よりも優しい人だったのに、

 その優しさが踏みにじられるようにして消えてしまった。


 何を恨めばいいのか、誰を責めればいいのか。

 その答えを探すうちに、私は自分でも気づかぬ道へと踏み込んだ。

 正志だけは、同じ道に立たせてはいけない。

 そう思っていたはずなのに。


 あの日のことは、今でも胸の底に鉛のように沈んでいる。

 まだ十七だった息子の目は、恐怖と迷いで揺れていた。

 私は「遅くなる」とだけ告げて地下室に降りた……つもりだった。


 だが、階段の影に、人の気配があった。

 後で思えば、あのとき彼は見てしまったのだ。

 夜気の揺らぐ地下室で、私の“もうひとつの顔”を。


 並んだ影と、その前で何かを整えている私の姿を。

 あの光景が、あの子の胸にどんな思いを残したのだろう。

 彼は翌朝、何も言わずに家を出た。

 たった一言「ごめん、父さん」と書かれたメモだけを、テーブルに置いて。


 あの子は優しかった。

 曲がったことを嫌い、正義という言葉を子供らしく信じていた。

 だからこそ、私の“仕事”を知ったとき、どれほど苦しかっただろう。


 彼が家を出てから、しばらく経った頃。

 街では、夜になると不可思議な光や影を見たという噂が広がった。

 どこかで静かな騒ぎが起きては、翌朝には跡形もなく収まっている。

 そんな日々が続いていた。


 私は時折、耳に届く報せに心をざわつかせた。

 それは仕事の範囲の出来事に過ぎないはずなのに、

 胸の奥が妙に熱く、そして痛むのだ。


 そして今日。

 玄関のチャイムが鳴った。

 扉を開けると、そこにいたのは三年前よりずっと大人びた正志だった。

 頬はこけ、目は強く——そして痛々しく優しい。


 「……久しぶり、父さん」


 私は言葉を失い、ただ頷いた。

 正志はゆっくり口を開いた。


「本当は、もっと早く帰りたかった。

 でも……父さんのそばにいたら、僕はきっと迷ってしまうと思った。

 あなたの力も、あなたの弱さも……全部わかってるから」


 胸の奥がずきりと痛む。


「だから逃げた。僕は、悪には加担したくなかった。

 父さんのことは……大好きだからこそ、遠ざかるしかなかったんだ」


 そのときだった。

 私の杖に仕込まれた探知機が鋭く震えた。

 “敵性反応”——間違いなく、目の前の息子からだ。


 正志は静かに腕を差し出した。

 上着の袖をまくると、そこには小さなブレスレット型の装置が光を放っていた。

 青白く脈打つ光が、手首を中心に広がる。装備展開の前兆だ。


「父さんの野望は、今日で終わらせる」


 私はゆっくりと背筋を伸ばした。

 長年、誰にも見せてこなかった“首領”としての表情が、自然に顔に浮かぶ。


「……やはり、お前だったのか」


 私はゆっくりと背筋を伸ばし、ずっと隠してきた“本当の姿”を晒した。


 その瞬間、部屋の光がわずかに揺らいだ。

 床や壁に映っていた無数の日常が、まるで風に吹かれる紙のように溶け、消えていく。

 冷たく青白い光を放っていた幻影装置は、一斉に沈黙した。


 まるで空気ごと入れ替わったかのように、部屋は静寂と無機質な暗闇に包まれた。

 息子の目に、先ほどまでの温もりある幻影はもう映らない。


 現れたのは、冷たく整然とした鉄と影の空間——

 私が本当に支配する世界だった。


 「……父さん……」


 息子はわずかに息を呑んだ。

 その胸に去来する衝撃と覚悟を、私は静かに見守った。


 「では―――やってみるがいい。正志……いや、《コウセイバー》よ」


 「……光剣降臨!」


 その一言とともに、息子の体が青白い光に包まれた。

 光は彼を中心に旋回し、空気の振動が低い轟音となって空間に響く。


 胸元の装甲が展開し、肩や腕に鋭角のラインが浮かび上がる。

 まるで夜空に走る閃光そのものが、彼の体を纏ったかのようだった。

 床に落ちていた影や埃が、光に押されて舞い上がる。

 その光が収束すると、目の前にはまるで別人のような、青白く輝くヒーローの姿——

 鋭い瞳の奥に決意が宿り、握った手には光剣が青く煌めいていた。


 「いくよ、父さん」


 静寂の中で、変身を終えた息子は私を見据えた。

 光と影の対比は鮮やかで、冷たい空気に緊張が張り詰めた。


 「終わらせよう。僕たちの——三年分の決着を」


 光と影が、震えた。

 世界の命運を賭けた、父と息子の対決が始まろうとしていた。

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