2 屋敷を追い出された僕たち
目を覚ました僕は、泣きながら両手でナイフを構えている男の子と目が合った。
「!?」
「ううっ⋯⋯ごめん、ニコラ⋯⋯お前を天国へ送った後で、兄様もすぐにお前の後を追うからなっ⋯⋯」
男の子は金髪に緑色の目をしたカッコいい子だけど、すごく思い詰めた表情をしていて、ナイフを向けられているこっちが心配してしまうほどに痩せている。
僕にはこの男の子が、前世のお兄ちゃんの生まれ変わりだと見た瞬間にわかった。前世のお兄ちゃんもカッコよかったけど、目の前のこの子とは顔も全然似てないし、目と髪の色も違うのに。
「お、お兄ちゃん、お願いだから落ち着いて。とりあえず、どうしてこんなことをしようとしたのか話を聞かせてほしいな」
僕はお兄ちゃんが握りしめている果物ナイフを転移魔法で安全な場所に移した。
「!?」
握り締めていたナイフが突然消えて、お兄ちゃんは驚いている。
「ニコラ⋯⋯今の、君がやったのか?」
「うん。そうだよ。熱を出して寝ている間に不思議な夢を見たんだ。そうしたら僕、色んな魔法が使えるようになったんだよ」
正確には、女神さまが言っていた『危機』が訪れたから、封印されていた僕の記憶が蘇ったのだ。記憶が蘇ったその時から、魔法と魔力の使い方が手に取るように分かるようになった。
今世の僕はニコラという名前で四歳になったばかり。お兄ちゃんはセドリックで八歳、年の差が四歳なのは前世と同じだ。
お兄ちゃんは気が抜けたのか、へなへなと床に座り込んで泣き出してしまった。
僕はそれまで横たわっていた粗末なベッドから飛び降りると、お兄ちゃんが泣き止むまで背中をさすり続けた。
僕とお兄ちゃんは女神さまが言ったとおり、前世とは違う世界の貴族の兄弟に生まれ変わっている。我が家はトール伯爵家という裕福な貴族の家だった。
けれど半年くらい前のある日、お父さんとお母さんが憲兵隊の人に縄をかけられて連れて行かれた。その日のうちに伯爵家に乗り込んできた叔父さん夫婦によって、僕とお兄ちゃんは屋敷から追い出されてしまったんだ。
追い出される時にお父さんたちはお金の不正をして捕まったと聞かされた。けれどその濡れ衣を着せたのは叔父さんだと思う。
女神さまがお父さんとお母さんは親族のろくでなしに罠に嵌められるって言っていたし、お父さんたちが捕まったその日にちょうど我が家にやってくるなんて、捕まることを知らないとできない。
今の僕たちが住んでいる場所は、伯爵家の広い庭の片隅だ。そこに建っている、昔は庭師の人が住んでいたという古くて小さな木の家⋯⋯家というか、あちこちに隙間があって今にも壊れかけのおんぼろな小屋だ。
僕たちがここに追いやられる前までは物置き小屋だったらしく、埃をかぶった農具や鉢植えが所狭しと置かれていたのを覚えている。それをお兄ちゃんが片付けてくれて、何とか生活できるようになったんだ。
狭い小屋の中には小さな木のテーブルと椅子が一つずつ、それと幅の狭いベッドが一つあるだけで、どれも古くて脚がガタついている。
僕とお兄ちゃんはその狭いベッドに身を寄せ合って寝ていた。夏はとても暑かったけど、寒いよりはましだったと季節が変わってから思った。
ベッドにはぼろぼろのシーツと毛布が一枚ずつあるだけで、暖炉もストーブもない。秋が過ぎて冬になり始めた頃、僕は寒さで体調を崩して高い熱を出した。
小屋には叔父さん達が住んでいる屋敷から一日に二回だけ、メイドさんが水と食べ物を詰めたバスケットを運んで来る。バスケットの中身はいつも同じ、硬いパンと冷え冷えの具なしスープと、水差しに入った生水だった。
僕もお兄ちゃんも屋敷へ近づくことを叔父さんたちに禁止されていたから、お兄ちゃんは当番制で小屋にやってくるメイドさんたちに、僕をお医者さんに診てもらえるよう必死にお願いしてくれた。でもどれだけ頼んでもお医者さんを呼んでくれるどころか薬の一粒もくれなかった。叔父さんがメイドさんたちにそう命令したんだと思う。
でも僕の命に危険が迫ったことで、封じられていた前世の記憶が蘇った。自分に治癒魔法をかけた僕はすっかり元気になったけど、病気の僕をたった一人で看病してくれていたお兄ちゃんの目の下にはクマができて、体も痩せ細ってしまっている。
泣き止んだお兄ちゃんの手を引いて、椅子に座ってもらった。椅子は一つしかないので僕はベッドに腰かける。
「⋯⋯本当にごめん、ニコラ。僕はどうかしていたよ⋯⋯」
「いいんだよ。だけど一体何があったの?」
「⋯⋯医者も呼んでくれないし薬も貰えなくて、このままじゃニコラまで死んでしまうと思ったから、僕は誰にも見られないように屋敷に忍び込んだんだ⋯⋯薬を探して盗むつもりで。その時にちょうど叔父さんと叔母さんの話し声が聞こえて⋯⋯」
お兄ちゃんによると、叔父さんと叔母さんは僕が熱を出して死にそうなことを知っていて見殺しにしようとしていた。それだけじゃなく、もし回復したら僕を奴隷商に売るつもりでいたようだ。
伯爵家の正統な跡取りは長男であるお兄ちゃんだ。叔父さんたちはお兄ちゃんが大人になるまでの『後見人』という保護者のような立場にいて、お兄ちゃんを完全に屋敷から追い出してしまうと憲兵隊に調べられて捕まってしまうらしい。
だけど後継ぎでもない僕がいなくなってもそこまでの騒ぎにならないそうで、邪魔な僕をこっそり処分しようと企んでいたみたいだ。
「こんなに小さなニコラが奴隷の身分に落とされてつらい目にあうくらいなら、いっそ僕がこの手で、って思って⋯⋯その後で僕も一緒にっ⋯⋯」
お兄ちゃんがまた泣き出してしまった。お兄ちゃんが泣いてしゃくりあげるたびに、おんぼろの木の椅子がガタガタと鳴る。
「お兄ちゃん、もう泣かないで。僕を看病してくれて本当にありがとう。おかげで元気になれたよ。ここは寒いから、いっしょに温かいココアでも飲もう」
記憶が蘇る前の僕はお兄ちゃんを『兄さま』と呼んでいた。お兄ちゃんの名前はセドリックだから、たまに『セディ兄さま』とも呼んでいた記憶もある。でも僕には『お兄ちゃん』呼びがしっくりくるから、これからはお兄ちゃんと呼ぶことにする。
収納魔法の中を探ると、女神様が入れておいてくれたと思われるマグカップ入りのココアを見つけた。僕はそれを二つ取り出してテーブルの上に置く。
クリーム色のマグカップに波々と注がれたココアからは白い湯気が立ちのぼり、部屋の中が甘い匂いでいっぱいになる。
隙間だらけの小屋には常にビュービューと冷たい風が吹き込んでくるから、薄手の寝間着を一枚着ているだけのお兄ちゃんの顔色は青白くて唇なんて紫色になっている。一刻も早く暖まってもらわないと。
お兄ちゃんはマグカップを手に取ると、フゥフゥと息を吹きかけながら少しずつココアを飲んだ。
「⋯⋯すごくあったかい⋯⋯それに、甘くてとても美味しいよ。⋯⋯ココアなんて久しぶりに飲んだな。これもニコラの魔法なのかい?さっきのナイフを消した魔法といい、ニコラにこんなすごい魔法使いの素質があったなんて気づかなかったよ」
そう言って泣いてるみたいに笑ったお兄ちゃんを見たら、僕の中に叔父さんと叔母さんへの怒りがふつふつと湧き上がった。あの人たちを魔法で懲らしめてやりたいけど、まずはお兄ちゃんを寒さから守るのが先だ。
「お兄ちゃん。今まで僕の面倒を見てくれてありがとう。これからは僕がお兄ちゃんの力になるから頼りにしてね」
「ふふ。ニコラは元から賢い子だったけど、熱から回復したらなんだか一段と頼もしくなったな」
記憶が蘇る前の僕も後の僕も同じ人間だけど、前世の記憶を思い出したことで、中身が一気に四歳から六歳になったからね。
お兄ちゃんとココアを飲み終えた僕は、小屋のドアとは反対側の窓のない壁に、魔法で出したドアを取り付けた。
木製のシンプルなドアだ。それを開けるとドアの向こう側に、小屋の三倍以上の広さの綺麗な部屋が現れる。僕が空間魔法と創造魔法を組み合わせて作った部屋だ。壁や床とかのデザインは、僕たちが住んでいた伯爵家の屋敷に似ている感じにした。
何も無いはずの空間に突然部屋が現れたから、お兄ちゃんはびっくりしすぎて言葉も出ない様子だった。
「広いキッチンと大浴場にトイレもあるよ。大きなベッドも僕とお兄ちゃん用に一つずつあるから、今夜はこの部屋でぐっすり寝よう」
自動で快適な温度にしてくれる設定にしたから、魔法の部屋の中は温かい。
僕とお兄ちゃんは大浴場で体の芯まで温まったあと、キッチンでホットミルクとかぼちゃのおかゆを食べて、ふかふかのベッドでぐっすりと眠った。




