日々の静寂 ――侍女クレアとの対話
朝が来るたび、滝はあらためて世界を洗う。
夜の闇を削ぎ落とし、草の露を弾き、
あらゆる音をまっさらに戻す。
クレア・マリオンは、その音の中を進んでいた。
両手には、温かいスープの入った銀のポットと、乾いたタオル。
王立庁から正式に命じられた任務は
「被断罪者ロウフォード嬢の観察および安全確保」だった。
だが彼女自身、そんな任務などどうでもよかった。
心配だった。ただ、それだけだ。
「……また、打たれておいでなのですね」
霧の向こうに、アメリアの姿があった。
滝の下で、ひとつの白い影が静かに揺れている。
まるで水そのものが人の形をとって立っているようだった。
クレアはそっと滝壺の手前に腰を下ろし、
持ってきたスープを岩の上に置いた。
その香りが、微かに湿気に溶けていく。
「お嬢様。せめて、これだけでもお召し上がりを」
アメリアは滝の音の中から振り向き、
濡れた髪の隙間から、ゆるやかに微笑んだ。
「ありがとう、クレア。あなたの手の温もりがございますもの」
その声は、まるで水滴が岩に触れるときのように、
かすかで、しかし確かな響きをもっていた。
アメリアは両手でカップを受け取り、
しばらくその湯気を見つめていた。
湯気は風に押され、滝の白い霧に溶け、
やがてどちらがどちらの息なのかわからなくなる。
「……お嬢様、冷めてしまいます」
「ええ、そうですわね。けれど、
風邪もまた、滝のひとしずくですわ」
クレアはため息をついた。
それは呆れと安堵のあいだにある、
不思議な音だった。
「そんな理屈、王都では誰も信じません」
「ここでは、信じる人もおりませんのよ」
アメリアはそう言って微笑む。
滝の雫が頬を伝い、その笑みごと揺らしていった。
クレアは見上げた。
滝の上から射す朝の光が、無数の糸になって降っていた。
水音の中に、一定のリズムがあることに気づく。
規則正しい打音――まるで心臓の鼓動のようだった。
“滝が、息をしている”
クレアはふと、そう思った。
その呼吸の中で、自分の心も同じ速度で動いている。
「……滝の音の中に、日常の鼓動がある」
誰にともなく呟いた言葉が、
霧のなかでやさしく溶けていった。
その瞬間、クレアは初めて、
この滝のもとでの“静寂”が、
恐ろしくも、どこか安らかなものだと感じた。




