滝の庵 ――白露の段
王都から東へ二日。
雲よりも低く霧が流れる峡谷に、「白露の段」と呼ばれる滝がある。
古の修道士がその音に心を溶かしたと伝えられる場所だが、
いまでは誰も近づかない。
湿原の底に沈んだ祈祷場は、苔むし、石像は眼を失い、
祭壇の上には名も知らぬ水草が咲いていた。
その滝の下に、ひとりの女が立っている。
アメリア・セリーヌ・ロウフォード――
かつて断罪広場を歩み去った“悪役令嬢”。
彼女は今も、断罪式の日と同じ純白のドレスをまとっている。
布は滝に洗われ、色を失い、
それでもどこか、光を返すような清らかさを帯びていた。
髪はほどけ、宝石は流れ去り、
残ったのは皮膚と息と、微笑だけ。
滝は絶えず打ちつけ、
その一滴一滴が、まるで言葉のように彼女の肩を叩く。
昼も夜も、音は途切れない。
夜になると、水霧が月を隠し、世界は白い帳に包まれた。
風すら息を潜め、
ただ水の粒だけが生きている。
アメリアは、滝に打たれながら目を閉じた。
唇からこぼれる声は、祈りとも呟きともつかない。
「滝は罰ではなく、声なのですわ」
その言葉はすぐに、滝音の渦に飲まれる。
泡立ち、砕け、空へ散っていく。
誰の耳にも届かない。
けれど、その無音のなかで、
滝だけが確かに、彼女の言葉を聞いているようだった。
水は、彼女の輪郭を少しずつ削り、
その身を“声”のかたちに変えていく。
肉体が音になり、音が風に触れ、
風がまた滝へ還る。
その循環の中で、
アメリアは一歩も動かず、ただ立ち尽くしていた。
そしてその姿を、
朝霧の向こうから見つめる小さな影があった。
侍女クレア。
彼女は、まだ呼びかける勇気を持てずにいた。
滝の音があまりに強く、
人の声など、簡単にかき消してしまうからだ。




