沈黙の回帰
夜明け前の空は、灰のように薄く光っていた。
クレアは、霜を踏みながら白露の段へと歩いていた。
滝が枯れてから、幾年が過ぎている。
それでも彼女の足取りは、まるで昨日の続きを歩くかのように迷いがなかった。
滝壺の跡は、いまや静かな窪地。
かつての水音を覚えているかのように、岩肌がかすかに光を返している。
その奥――洞窟の入口に、一本の杖が立てかけられていた。
見覚えのある杖だった。
白木に銀の飾り、長年の祈りで磨かれた跡。
クレアはその前に立ち、そっと手を伸ばす。
冷たくも、どこか温もりを含んだ感触。
洞窟の奥は、暗くて何も見えなかった。
けれど、彼女は知っていた。
その沈黙の向こうに、もう一度、滝が息をしていることを。
クレア:「お嬢様……もう、滝と一つになられたのですね。」
彼女は目を閉じ、静かに頷く。
唇に浮かんだ微笑は、涙よりも穏やかだった。
その瞬間、洞窟の奥から、ひとすじの風が吹き抜けた。
湿った香りが漂い、
どこか遠くで――確かに水滴の音がした。
それは、世界のどこにも存在しないはずの滝の余音。
空気が震え、風が柔らかく揺れる。
クレアの髪に、見えぬ霧が触れた。
クレア(独白):「あぁ……まだ、書き続けておられるのですね。」
彼女は杖をそのままにして、静かにその場を去る。
背後で風が囁き、洞窟の口が、まるでゆっくりと息を吸うように閉じていった。
――その後、誰もその洞窟を見つけることはなかった。
だが、雨の夜、王都のどこかでふと水音を聞いた者たちは言う。
「あれはきっと、アメリアが記している音だ」と。
滝はもう流れぬ。
けれど、沈黙の底では、今も言葉が水になっている。




