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滝の王国の悪役令嬢 ――ある修行僧の再来  作者: 南蛇井


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22/41

庁長リュカの“水の行政哲学”

リュカ・ド・フォルマン――

かつて宮廷で「哲学官僚」と呼ばれた男は、

今や滝庁の初代庁長として、この“湿った王国”の中枢に立っていた。


彼の執務室には、壁一面に水脈図が貼られている。

それは河川の地図ではなく、行政組織の流れそのものを示した図だった。

役職は水位、政策は流速、そして民意は湿度として表されている。


リュカは朝の会議で、静かに語り出した。

その声は滝の奥から響くようで、職員たちは無意識に姿勢を正す。


「国家とは、流れを阻まずに形を保つ容器である。

民を統べるとは、乾きを恐れぬことだ。」


彼の言葉に、会議室の空気がふっと湿る。

窓の外では、滝庁の庭に設けられた人工の小滝が低く鳴っていた。


リュカの行政哲学は、彼自身が“流れ”を模倣したものだった。

彼は「流動行政」と呼ばれる新たな運用法を提唱する。


「役人の異動は“水路変更”とみなすこと。

つまり、流れが滞れば腐敗し、流れすぎれば崩壊する。

統治とは、その中間を保つ試みである。」


文官の出世を「蒸発」と呼び、

退職を「沈殿」と呼んだ。


「上に昇る者は気体のごとく形を失い、

下に沈む者は土に還って流れを支える。

どちらも、国家の循環に属する。」


講義の終盤、リュカは滝庁の若き職員たちに向けて、

淡々と語りながらも、どこか詩のような調子で締めくくった。


「法は堤防ではない。導水路だ。

行政とは、滝の高さを計る詩である。」


その瞬間、誰かの手元のペンが、ぽたりと水をこぼした。

会議室に整然と並ぶ机の上で、

インクが湿気に滲み、波紋のように広がっていく。


職員たちは慌てず、ただ静かに頷きながら、

その波紋の中に文字を写そうとした。


だが紙は次第にふやけ、筆跡は溶け、

記された理念は誰の目にも読めなくなっていった。


それでも、誰一人として不満を口にしない。


リュカの言葉は、

記録よりも湿度に刻まれるもの――

この庁舎では、それが何よりの真理だった。

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