滝への旅路
王太子レオンの出立は、王都に小さな嵐を巻き起こした。
玉座の間では大臣たちが慌てふためき、
「水害調査のための巡幸である」と発表されたが、
誰もそれを本気では信じなかった。
――王が雨を恐れず外へ出るなど、前代未聞のことだったからだ。
宮廷記録官はその日をこう記す。
「王太子、沈黙のまま馬上にあり。
雨脚強く、随行者の声はすべて水に消ゆ。」
王都の外に出ると、景色はすぐに変わった。
石畳の道はぬかるみに沈み、
湿原の果てまで霧が漂う。
それでもレオンは歩みを止めなかった。
馬のたてがみは滴をまとい、
王子の外套はもはや重さを増していたが、
彼の目は次第に澄んでいくようだった。
道中、村々では奇妙な一致が見られた。
貴族も、農夫も、旅の商人も、皆が同じように濡れて働いている。
誰も乾きを恥じず、誰も雨を避けようとしない。
「この国は、滝を見ずとも、すでに滝の中にあるのかもしれない……」
その呟きに、従者の誰も応じなかった。
ただ雨の音だけが、言葉の代わりに返ってくる。
やがて、霧の濃い谷に差しかかると、
子供たちの歌声がどこからともなく響いた。
♪滝の娘は 声を流した
水はそれを覚えている――
幼い声で歌われるその旋律は、風に溶け、地に沁み、
まるで国そのものが一つの祈りを繰り返しているかのようだった。
老婆たちは焚き火のそばで語った。
「あの令嬢は滝に還ったのさ。
いまも水の底で、王の声を待っておいで。」
信仰と伝説、理性と夢想が、雨に混ざり合い、
どれが現実でどれが神話なのか、もはや誰にも分からなかった。
レオンは黙ってその話を聞き、
やがて灰色の空を見上げた。
滝の方角は、まだ見えない。
だが――確かに、そこから「呼ぶ音」がしていた。




