表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
滝の王国の悪役令嬢 ――ある修行僧の再来  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/41

哲学官僚リュカの“滝理論”

王立学院の哲学棟は、いつも少し冷たい。

石造りの廊下には朝の霧が溜まり、

誰かの靴音が響くたびに水気を含んだ空気が小さく揺れる。


その一室――第七講義室の窓際で、

リュカ・ド・フォルマンは一冊の古びた原稿を開いていた。

表紙には消えかけた文字でこう書かれている。


『沈黙の国家論(未完)』


未完のままにしておくつもりだった。

だがあの日、滝が“言葉を話した”と聞いてから、

彼の思考は、再び流れを取り戻してしまったのだ。


「――本日の講義は、『滝と断罪』です」


そう宣言すると同時に、教室の空気がわずかに湿った。

前列の学生が、慌てて水瓶の蓋を開ける。

机の上には一様に並んだ透明な瓶。

そこに水を一滴でも欠かしてはならない――

それが、哲学棟の新しい礼法であった。


「断罪とは、高所からの落下である」


リュカは、黒板にチョークを走らせながら語る。

その線はまっすぐに下へ伸び、

やがて白い粉が滴のように床に落ちた。


「滝は、それを自然が模倣した構造だ。

つまり、罪は形を変えて降り続ける。

水は罪を抱えながら落ち、地にて赦される――」


学生たちは息を呑んだ。

その瞬間、どこからか微かな水音が聞こえたような気がした。


リュカは眼鏡を外し、額をぬぐう。

指先に滲む汗が、まるで滝の霧のように光る。

講義室の窓を打つ雨が、静かにリズムを刻んでいた。


「哲学とは、乾きを恐れぬ営みである。

だが――」


彼はそこで言葉を止め、

目の前の水瓶を見つめた。

瓶の中の水が、微かに揺れている。


「だが、私はもう、湿ることを恐れなくなった。」


その言葉の響きは、講義室全体に静かに滲み、

学生たちは一斉に深呼吸をした。

誰もが、知らぬ間にその“湿度”を分かち合っていた。


授業の終わり、学生のひとりがそっと訊ねた。


「先生……滝は、なぜ落ち続けるのですか?」


リュカは少しだけ微笑んだ。


「それが、思想の習性だからです。

上にあるものは、いつか必ず流れ落ちる。

それを止めることは――理性の傲慢です。」


外では、いつのまにか本降りになっていた。

雨樋を流れる水の音が、

まるで講義の続きのように響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ