義姉の矜持
「お退きなさい! このわたくしが通るのよ?」
金髪のくるくるに巻かれた髪を靡かせながら学園の廊下を堂々と歩くのは、この国の公爵令嬢だ。慌てた様子で退いた少女も公爵令嬢であるが、完全に萎縮している。転んでしまったため退くのが遅れた平民の少女が、取り巻きの男子学生に殴られた。その少女を庇うように先の公爵令嬢が飛び出した。
「あら? このわたくし、エッシャルテ・ラビアートの邪魔をするつもりかしら?」
相手も公爵令嬢とあって、エッシャルテの指示なく動くことのできない取り巻きたちの様子に、一度ため息をついたエッシャルテが、自ら公爵令嬢の前に立った。
「エッシャルテ様。この子は転んでしまっただけで、エッシャルテ様への悪意はございません! 今後このようなことがないようにわたくしが見張りますので、お目溢しいただけませんか?」
「はぁぁぁぁ。あなた、相変わらず下の者を庇ってばかりで見苦しいわね。公爵令嬢なら、公爵令嬢らしく堂々となさいよ。お退きなさい? その平民一人の命とあなたの領民の命、どちらが大事なのかしら? わたくしが言えば、辺境伯家が魔族をそちらの領地に送るわよ?」
エッシャルテの嫁ぎ先である辺境伯家は、魔族との友好を担っている。それゆえ、国内だけでなく人間界での権力をかなり持っている。そんな家に嫁入り予定のエッシャルテは、公爵令嬢という生まれの誇りと辺境伯家に嫁ぐプライドから、学園では悪役令嬢さながらの弱いものいじめ、平民への暴行等やりたい放題しているのだ。
婚約者である辺境伯令息は、別の学園に通っており、さらに魔族とのやりとりで忙しくてなかなか会えない罪悪感と、エッシャルテの外面の良さゆえに騙されている。エッシャルテの横暴さを訴えた少女はいつの間にか姿を消していたし、辺境伯令息がエッシャルテのことを大切にしているのは事実のため、その後は誰もエッシャルテの行動を訴える者は出なかった。
「お、お許しを……お許しを、ラビアーテ公爵令嬢様」
がたがたと震えながら跪いて許しを求める平民の少女を見て、にやりと笑ったエッシャルテは、取り巻きの男子生徒たちに言った。
「これを嫁入りできない身体にしておやりなさい」
歓声を上げた男子生徒たちに平民の少女が引き摺られていくのを見て、彼女を庇った公爵令嬢は涙を流して謝罪を繰り返した。
「ごめんなさい……守れなくて……。ごめんなさい」
公爵令嬢たる少女を傷つけると大ごとになるとわかっているエッシャルテは、平民や貧しい低位貴族を選んでこういった行動を取るのだ。誰も反抗できず、泣き寝入りするしかない日々が続く。
「わたくしが辺境伯夫人になったら、魔族なんて駆逐してやりますわ!」
エッシャルテはいつもそう言って、高笑いしている。周りの取り巻きたちはそれに賛同している。魔族と言っても、ただ魔力を有した人間であり、その魔力がとても強い。慈悲として生かされているのは人間たちであることなど、エッシャルテにとっては大した事ではない。
そんなある日、魔族が友好を築くため、人間界の学園の様子を知りたいとして、魔王がピンク髪の魔族の少女を学園に送った。辺境伯令息の学校に行く案もでたが、せっかくなら王都がいいという魔族側からの希望で、エッシャルテの通う学園に決定したのだ。
エッシャルテよりも2つ歳上のその者は優秀で、慈悲深く、魔族のイメージを良くすることに成功した。魔族の前ではじめは大人しくしていたエッシャルテが、注目されず面白くない気持ちを抱き、その者に対して反感を抱くのも当然の成り行きだった。
「いいんですわ。明日からわたくしに会うためにお忙しい中、辺境伯令息たるメリウス様がいらっしゃるんだから」
そう言ったエッシャルテが、いつもより早く帰ろうと、珍しく侍女と二人だけで学園の馬車乗り場に向かっていると、メリウスが馬車のドアを開けて笑っていた。サプライズで迎えに来てくれたんだと喜んだエッシャルテが、メリウス様と声をかけようとすると、その優しい双眼の先にかの魔族の少女がおり、二人は馬車に乗り込んでしまった。
「……わたくし、体調が悪くなってきましたわ。今日のメリウス様とのお茶会は延期でお願いしてちょうだい」
「し、しかし、お嬢様……」
「何? わたくしの言うことが聞けないの?」
「い、いえ。すぐに伝えて参ります!」
侍女が慌てて魔術具で公爵家へ連絡を飛ばし、エッシャルテは学園内に用意されている自身の私室に休憩しに行ったのだった。
「エッシャルテ様! 体調はもう大丈夫ですか?」
エッシャルテがその後数日学園を休み、投稿したその日、魔族の少女がエッシャルテを心配して声をかけてきた。
「……あなたには関係ないことでしてよ」
冷たくそう言い放ったエッシャルテは、魔族の少女に視線を向けることなく、学園へと入っていった。しかし、婚約者の遊び相手に心配されたという羞恥に、エッシャルテの顔は怒りに染まっていたのだった。
「あら、ごめん遊ばせ」
それから、エッシャルテは少しずつ、魔族の少女への嫌がらせをしていった。最初はぶつかってしまった、わざとじゃなかったとしていたが、徐々に悪化するにつれて、エッシャルテは堂々と暴力を振るうように、元のエッシャルテを頂点とした学園に、姿を戻していった。
「エッシャルテ様。彼女は魔族と人間の友好のためにいらしたのですよ? おやめください!」
魔族の少女のことも、相変わらず公爵令嬢が庇い続けた。しかし、エッシャルテはもはや公爵令嬢にすら、“わざとではなかったの”と暴力を振るうようになっていたため、無意味だった。
「……エッシャルテ様。二人きりで話したいことがあります」
魔族の少女が何度そう言おうと、エッシャルテは顔を歪めて言い返した。
「汚らしいあなたと二人で? 笑わせないでちょうだい! この、泥棒猫!」
そう言って水をかけるエッシャルテの暴力が悪化するにつれ、魔族の少女と公爵令嬢がこう反論するようになった。
「エッシャルテ様! こちらの方は、辺境伯家の娘、あなたの婚約者であるメリウス様の実のお姉様ですよ?」
「本当は、先日エッシャルテ様が体調を崩された日にご挨拶する予定だったんです! あなたの義姉になる人間です! わたくしは、辺境伯家が娘で、魔力があったために魔族に養女として、人間と魔族の友好のために家を出た人間です!」
「笑わせないでちょうだい? 辺境伯家の人間はみな美しい黒髪で、あなたのようないやらしいピンク髪なんていないわ。メリウス様の姉? いいところがメリウス様の遊び相手でしょう? わたくしはメリウス様の婚約者なのですよ? 恥を知りなさい!」
エッシャルテはそう言って、取り巻きたちに二人を殴るように指示したのだった。
ある日、夜会に出席しようとすると、“今日だけはエッシャルテのことをエスコートはできない”と、エッシャルテはメリウスに断られた。
「メリウス様ったら困ったお方ね。用事があるからエスコートできないと言いながら、わたくしに贈ったドレスはメリウス様の瞳の色なのですもの」
仕方なく、エッシャルテがそんなことを言いながら、一人で夜会に出席した。
その夜会でメリウスの姿を見つけ、思わず声をかけようとすると、その横に魔族の少女がいることに気がついた。
「メリウス様……その浮気相手をエスコートするなんて……わたくしをなんだと思っているんですの!?」
ブチギレたエッシャルテの怒りは、少女に向いた。
「……二度と、メリウス様の近づけない身体にして差し上げないと」
そう言ったエッシャルテは、会場を後にして裏稼業の仕事を生業とする者たちに依頼をした。そして、何食わぬ顔で会場に戻り、少女が一人になる瞬間を待った。
「お嬢さん……体調が悪くて、休憩室に連れていってくれないかね」
依頼された一人が、そう少女に声をかけ、共に休憩室に入るのを数人に目撃させた。エッシャルテも隠れて休憩室に入り、少女を嘲笑いにきたつもりだった。
「これが、私のルーをひどい目に合わせようとした人間か?」
依頼していたごろつきたちは床に転がされ、全身真っ黒い服に美しいピンクの長い髪の長身の男性が、少女を抱き留めてエッシャルテを見下ろした。その視線は汚物を見る視線だが、あまりにも美しいその姿に、エッシャルテは見惚れていた。
「魔王様。あまり暴れてはいけませんよ?」
「ま、おう……」
少女の口から出た、不穏な単語にエッシャルテは口を開いたまま固まった。そして、気がついたように這うようにして逃げ出した。それを優雅に魔王が追う。そして、エッシャルテが追いつかれた場所は、夜会のど真ん中だった。
そこで、どだどだと足音が聞こえ、会場のドアが乱暴に開かれた。
「姉上! ご無事ですか!?」
息を切らしたメリウスが、その異様な光景に絶句した。エッシャルテもいつの間にか床に倒れていたのだ。
「エッシャルテ!?」
エッシャルテの姿を認め、駆け寄ろうとするメリウスの動きは、まるで強引に止められたかのように奇妙に止まった。
「義弟よ。お前が“僕の婚約者もいるし、大丈夫ですよ”と言ったから、信じて私のルーを人間界に送った。そしたら、この様だ。どう責任をとる? それの首だけじゃ、足りぬぞ」
魔王が目を細めてメリウスに圧をかけた。
「……エッシャルテだけでなく僕の首もお捧げいたしますから、どうかお許しを。魔王様」
そう膝をつき、頭を下げたメリウスに、魔王が鼻で笑った。
「お前はルーの大事な弟だそうだ。そんな首など要らぬ。この国でももらおうか」
魔王がそう笑ったところで、国王たちが到着した。エッシャルテは初めて味わう恐怖で、失禁していた。
「人間の王よ。その娘は、我が婚約者を暴行しようとした。いかに責任を取る? この弱小な国でも、差し出すか?」
「ま、魔王様……」
国王も怯えるその様子に、エッシャルテは自身の思い違いに気がついたのだ。生かされているのは人間であって、支配できるのは魔族だ、と。
「心優しいルーが嫌がるから、やめておくか」
そう笑った魔王に、少女が笑って会場全体に響く、美しい声で宣言した。
「……発表が予定よりも早くなってしまいましたが、わたくしは辺境伯家の長女で、ここにいるメリウスの実姉です! 生まれながら魔力が豊富だったため、魔族の養女となりました。そして、ここにいる魔王様に嫁ぐことになったのです! わたくしの願いは、魔族と人間の共生! そして、人間界で異端とされる魔力のある人間の保護です! 魔界では、今後、魔力のある人間を受け入れる用意があります。赤子から老人まで、お待ちしております!」
恐怖心に溢れながら、人々は少女の言葉に拍手を送った。その光景に魔王も満足そうだ。
「この人間は、私の愛おしいルーをいじめた。人間たちよ。どのように責任を取る」
魔王の言葉に、ざわめいた人々の中から、一つの声が響いた。
「極刑を!」
「極刑を!」
その言葉につられたように。エッシャルテと共に暴力をおこなった生徒たちが押し出された。エッシャルテたちは兵に拘束され、エッシャルテは声を上げた。
「わたくしは、人間界の最高権力者、辺境伯夫人になるのよ! メリウス様! わたくしをお助けになって!」
「ごめん、エッシャルテ。僕には君を助けられないよ。僕の大切な姉を傷つけたのは、君だからね。……それに、本当に反省しているのなら、ここで謝罪が出るはずだよ」
エッシャルテたちは、連れていかれた。メリウスは目線を逸らして見送った。そして、メリウスは嫡男として与えられていた辺境伯としての後継から外され、平民に落ちた。
エッシャルテたちは、人間と魔族への恨みを叫びながら公開処刑とされた。中には、エッシャルテ一人に罪を被せようとした者もいた。
辺境伯家の当主の座が転がり込んできた弟は、エッシャルテに虐げられていた者の中から、唯一他人を庇おうとした公爵令嬢を婚約者とし、共に辺境伯領を治めていくことに決めたのだった。




