第3話 隠された証拠と義務婚約者の秘密
後宮の朝は、いつもより重い空気に包まれていた。
皇太后の容態は依然として深刻で、病の原因は未だ判明せず。高熱と衰弱に苦しむ者たちを前に、アリエルは胸の奥で焦燥を感じていた。
「症状から見るに、神経系に影響する成分……やはり毒の可能性が高い」
アリエルは書庫で見つけた巻物を手に取り、細かく記された草の成分表と後宮内で使用される薬草を照らし合わせた。
「……これは、意図的に混入されたものかもしれない」
ただの病気ではない——そう直感した瞬間、侍女エレナが静かに報告した。
「アリエル様、王妃付きの女官の部屋から、奇妙な液体が見つかったとのことです」
アリエルはすぐに現場へ向かった。部屋の片隅に置かれた薬瓶は、微かに異臭を放っている。蓋を開け、慎重に匂いを嗅ぐ。瞬間、彼女の眉がぴくりと動いた。
「……これは、ローズマリーに似せた神経毒……合成の仕方も特殊だわ」
毒の分析が進む中、義務婚約者の侯爵リオンが静かに隣に立った。
「……お前、本当にただの聖女なのか?」
リオンの瞳には、驚きと少しの困惑が混じる。彼もまた、宮廷での秘密を抱えているらしい。
「私には、守らなければならない人がいるの。それだけよ」
アリエルは冷静に答えるが、胸の奥には不安が波のように押し寄せた。リオンの態度には、ただの婚約者以上の意味がある——。
その夜、アリエルは禁じられた書庫で、さらに細かい調査を進めた。毒の特定には、成分表と症状の照合が必要だ。細い蝋燭の灯で書を読み、手元の試験管で液体を分析する。
「……確かに、後宮の薬草と組み合わせて使えば、意図した症状が出る」
巻物の一節に目を走らせる。そこには、王族や貴族を対象とした「密かなる調合法」が記されていた。誰かが、この知識を使って後宮で人を傷つけようとしている——。
その瞬間、書庫の扉がわずかに開き、ヴェルナーの影が差し込む。
「……なるほど、貴女は単なる聖女ではなく、魔術師の才もあるようだ」
彼の声には驚きよりも、興味深そうな響きがあった。アリエルは巻物を抱え、警戒の視線を向ける。
「あなたは何者ですか? 後宮の安全を脅かすつもりなら……」
ヴェルナーは静かに首を振る。
「私は、後宮の陰謀を暴く者の一人かもしれない。だが、貴女がここまで秘密を抱えているとは……面白い」
アリエルは気づく——彼の存在は、敵であるとも味方であるとも限らない。情報と行動次第で、協力者にも脅威にもなり得る。
調査の帰り道、リオンが静かに告げた。
「……実は、私も秘密を抱えている。父からの命で、後宮内の動きを探る任務を与えられている」
アリエルは一瞬、息を呑む。互いに秘密を抱えたまま、だが今は協力せざるを得ない状況だ。
「……なら、私たち、協力するしかないわね」
二人は沈黙の中、決意を共有した。聖女としての祝福と、魔術師としての知識。義務婚約者と聖女、そして後宮の陰謀——そのすべてが交錯する戦いが、今、始まろうとしていた。