第2話 後宮に広がる影と最初の犠牲者
夜明け前の後宮は、静寂というよりも不穏な気配に包まれていた。
皇太后の容態は悪化し、侍女や医師、魔術師たちが寝ずの看病を続ける。だが、祝福も薬も効かず、後宮の廊下には緊張が走った。
「……また、発症者です」
侍女エレナが声を震わせて報告する。新たに倒れたのは、王妃付きの女官だった。高熱に苦しむその姿は、誰もが息をのむ光景だった。
アリエルは廊下に立ち尽くし、深く息を吸った。
「……ただの病気じゃない。何か、誰かの意図がある……」
彼女の胸の奥には、禁断の書物で学んだ知識がざわめいた。毒の症状に似ているが、精密に調べなければ確定はできない。
その日、アリエルはリオンと共に王の寝室に呼ばれた。王は顔を曇らせ、重々しい声で言う。
「アリエル、貴様に調査を命じる。王宮に潜む病の原因を突き止めよ」
義務の婚約者として、そして聖女として——二重の期待が彼女を押し潰す。だが、アリエルは決意を新たにした。
「はい、陛下。必ず原因を突き止めます」
王の寝室を出た後、アリエルはエレナと共に書庫に向かう。
「夜のうちに薬草と毒の書を確認しましょう。症状から考えると……神経系に影響する何かかもしれません」
書庫の扉を開くと、埃にまみれた古書の香りが漂った。慎重に棚を調べると、一冊の小さな巻物が目に留まった。
『暗夜の毒草辞典——王族の病に関わる毒と解毒』
それは祖母が残した禁断の書の一つで、秘密に保管されていたものだ。手に取ると、指先にぞくりとした感覚が走る。
「……これだわ」
アリエルは心を落ち着け、症状と書物の記述を照らし合わせた。すると、ある特定の草の成分が、症状に非常に近いことに気づいた。
「……誰か、後宮で意図的に使ったのかもしれない」
その時、廊下から低く抑えた声が聞こえた。
「……聖女様、書庫で何をされているのですか?」
振り向くと、謎めいた魔術師ヴェルナーが影から現れた。長い黒衣と鋭い瞳、そして微かな笑み——。
「……ただ、症状と書物を照らし合わせているだけです」
「ふむ……貴女の知識は、単なる祝福に頼るだけの聖女とは違うようですね」
ヴェルナーの存在は、アリエルの心に新たな緊張を生んだ。彼の目的は何なのか。王に従うのか、それとも別の思惑を持つのか——。
その夜、再び新たな犠牲者が出た。皇太后に付き添っていた侍女が高熱で倒れ、夜通しの治療も虚しく息を引き取った。後宮中に悲鳴と動揺が広がる。
アリエルは目を閉じ、拳を握った。
「……これ以上、誰も失わせない」
書庫での巻物、症状の分析、ヴェルナーの存在——手がかりは散乱している。だがアリエルは確信した。
「病は偶然ではない。陰謀だ。そして、私はその真実を暴く」
冷たい月光が書庫に差し込む。アリエルは巻物を抱きしめ、決意を新たにした。
「後宮の闇も、秘密も……薬草と毒の知識で、すべて解き明かしてみせる」
夜が明け、後宮は再び騒然とする。だが、アリエルの瞳には光が宿っていた——。
「聖女として、魔術師として、私の戦いは、今、始まったのだ」