金物細工師的な
『オリエンタルアート』シリーズ。ナンセンス物語です。
「バンデンラ・ゴジジウくん」
「何ですか、師匠」
「何でもない」
「そうですか」
アンチオリエンタルアートの急先鋒であるバンデンラ・ゴジジウの師匠こと、木谷武志は時々こうやってバンデンラ・ゴジジウの気を逸らすように様子を見に来つつ話しかける。殆どの場合は、マイペースに過ごしている飼い猫に意味もなく構うような感じで大した理由はないのだが、どうやら今師匠は数日前にバンデンラの製作した奇抜なアートが好事家に売れたらしいという噂を知ってその詳細を知りたがっているらしい。
「師匠」
「なんだね、バンデンラくん」
「いえ…なんでもありません」
『オリエンタルアート批判』なる論文を学会に出されて以降、微妙に師匠との折り合いに苦戦しているバンデンラだが、彼も彼でやけくそ気味に製作した作品がそこそこの値で売れたのを報告した方がいいよなと思いながら木谷に話しかけようとしていた。だが、今回のはよりによって彼の信条を曲げて脱オリエンタルアートのコンセプトで作ったものが評価されてしまったので師匠にマウントを取られそうだなと思ってしまって及び腰になっていた。
ところがどっこい、そもそも『オリエンタルアート批判』の論旨はオリエンタルアートの内容というよりはオリエンタルアートの概念自体に対する批判で、バンデンラ・ゴジジウが掲げたオリエンタルアートというコンセプト自体がはなはだ曖昧で空疎な観を呈しているという事態を憂慮したものなのだが、当のバンデンラ・ゴジジウが脱オリエンタルアートと宣言したものが殊の外評価されてしまったので否定神学のようにオリエンタルアートを否定して出来たものは一体全体何なのだという話になっている。勿論、それを知っているのはごく内輪に限られ、師匠ですら全てを見通せているわけではないという事がこの話をややこしくさせている。
「バンデンラくん」
「何ですか、師匠」
「今何を作ってるのかな?」
「今は…蝉の抜け殻のレプリカを製作中です。4つできたので、あと11個同じものを作らなきゃいけないんです」
「そうか」
木谷はバンデンラ・ゴジジウのセンスが常人とは違うと前々から思っている。だが常人と違うからといって、それが即アートになるのかというとそうではないと思っている…というか信じたい気持ちなのだ。だが、木谷にとっても世の中のアートの評価は摩訶不思議で実際それを論ずるのも野暮なのではないかと思ってしまう事もある。バンデンラのよく分からない作品が偶に売れて、それなりに取り上げられるという現状は何を意味するのだろうか、師匠は最近そんな事ばかり考えている。
そんな時、木谷の助手である『リリカル・杏子』がバンデンラのアトリエに現れる。
「おお、杏子くん。どうした?」
「はい。木谷さんにお客様がお見えになっています。それとバンデンラくんにこの封筒が届いています」
「ああ、ありがとうございます。なんだべ?」
「じゃあ私は失礼するよ」
木谷が出てゆくとそのまま部屋に残った杏子がバンデンラの作品を興味深そうに見ている。実は、彼女こそ今起こっている全てを見通せている唯一の人物でありバンデンラと木谷の微妙な関係性も、世間での評価も含めて悩まされている人なのである。
「『吉岡』くん」
杏子は二人きりの時にバンデンラの事を吉岡くんと呼ぶことにしている。別に好意があるからとかそういう理由ではなく面倒臭いからであった。
「なんでしょうか、杏子さん」
「ううん、なんでもない」
「そうですか」
バンデンラはその時封筒の中身を確認して静かに衝撃を受けていた。なんとそれはこの間脱オリエンタルアートの作品を購入した人物からの手紙で、内容を一言で言えば作品の『依頼』であった。
「…杏子さん、この手紙、『依頼』でした」
「へえ、よかったじゃない」
「まあ、そうなんですけど。困ったなぁ…」
「不安なの?」
杏子としては色々思うところはあるが喜ばしい事だと思っていたので、バンデンラの反応を意外だと感じていた。だが彼はこう言った。
「また完成が遅れちゃうよ…」
「…?」
バンデンラは机の上で製作している蝉の抜け殻のレプリカを指さした。
「これ、今月の間に完成させる予定だったのに、レプリカを造るのに時間が掛かっちゃって。前売れた作品は、これがあんまりにも時間が掛かって疲れてきたから一回厭になって作ったやつだったんだよね…」
それを聞いて絶句しかけた杏子だったが辛うじて、
「…そうなの」
と言う事ができた。オリエンタルアートにとってその蝉の抜け殻は避けて通れないという話を以前に聞いていたのだが季節はそろそろ夏に近付いていて、
『その抜け殻が全て完成する頃には本物の抜け殻が手に入るのかも知れないね』
とは流石の杏子も言えないのであった。