第68話 ディアナの逃避行
ディアナはアリスを背負って空を行く。
昼に飛ぶのは目立つので、夜陰に乗じて高空を行き、昼は藪の中で体を休めた。
育児に関して何も解らないディアナであったが、途中、親切な農婦におむつの取替方から、お乳の替わりの食品などを教えて貰い、なんとか逃避行を続ける事三日、次のワルプルギスの夜市の会場である、ヒルトマンの街の近く、ウット山にたどり着いた。
この時代の道々の長であるソーニャに暖かく迎え入れて貰えた。
「サンディは無事ですか、ターラー先生は? リンデンはどうなったんですか」
「サンディは無事よ、重症で意識が無いけど、クーニッツ伯爵領へと運ばれて行ったわ、ターラーは……」
「え、先生が怪我したんですか?」
「死んだわ、魔導動甲冑を着た近衛騎士団と戦って、『精霊化』で勝ちを拾い、王を焼いたんだけど……、現世に帰ってこれなくて消滅したわ」
ディアナはショックを受けた。
大好きだったターラーの顔を思いだして、ディアナは声を殺して泣いた。
ソーニャは優しくディアナの頭を撫でた。
「ターラーはサンディとあなた、そしてアリスを助けるために最善を尽くしたわ、泣いては駄目よ」
「でもっ、そんな、酷い。先生は戦場にも出て、クランク師を倒すほどの活躍をしたのに、なんて恩知らずな……」
「男どもは、魔女なんか便利な道具としか思って無いわよ。あいつらに絶対にアリスは渡せない」
「はい、そうですね」
ソーニャは言葉を切った。
アリスが目を覚まし、彼女を見て笑ったからだ。
「アリスちゃん、可愛いねえ、あー、よちよち」
「あまり泣かない子なので助かってます」
ソーニャはアリスを抱き上げあやしはじめた。
「ここにもすぐリンデン国の軍隊が来るわ。クランク師やロッカ師で守るけど、万全では無いから危ないわ」
「どうしたら良いですか?」
「大陸の中央深樹海にエルフィンが住む離れ里があるわ、そこにアリスちゃんと一緒に潜みなさい」
「中央深樹海……、エルフィンたち精霊は私たちを迎え入れてくれますか?」
「ゾーヤ師が若い頃、エルフィンの里を助けた事があるの、貴方たちの家系なら大丈夫よ」
ターラー先生のお師匠さんの報恩なのを知って、ディアナは深く感謝した。
「三日三晩、気を張って疲れたでしょ、とりあえず今日はゆっくりと休んで、明日に出発しなさい」
「はい、助かります」
「それから、聖女たちに、赤ん坊の育て方を教わってから行きなさいね」
「はい、新しい事ばかりで、いろいろ知らない事ばかりで大変でした。赤ちゃんって大変なんですね」
「大体の魔女には縁の無い話なんだけど、サンディは運が良いから」
「そう、ですね……」
下らない夫を持ったという点では、サンディは不幸とも言えるな、と、ディアナは思った。
とりあえず、宿になるテントにディアナは案内された。
アリスと一緒に寝袋に潜り込んだ。
三日三晩の逃避行で体の芯まで疲れていた。
一瞬で泥のようにディアナは眠り込んだ。
夜半にアリスが火の付いたように泣き始めて、ディアナは目をこすって起き出した。
「どうしたの、アリスちゃん、おむつが汚れ……」
アリスの泣き声に隠れて気が付かなかったが、辺りから女性の悲鳴と怒声、そして魔法の破裂音がしていた。
「アリス姫はどこだっ!!! 答えろっ!!」
「知らない、私は知りませんよ、軍人さん」
テントから見える光景は地獄のようであった。
あちこちから火が出て、『火』の魔女『風』の魔女が、大柄な甲冑騎士の群れと戦っていた。
騎士達は無慈悲に魔女を殺し、魔女もまた無慈悲に騎士を殺した。
リンデン国の軍隊だ。
ディアナはそう直感した。
アリスの泣き声は止まない。
老婆の多い魔女の道々の本部だ。
赤子の泣き声などは、敵を呼ぶ誘蛾灯のようなものだ。
ディアナはアリスを抱いてテントを飛びだした。
「いたぞっ!! アリス姫だっ!! 『月』の魔女は殺せっ!!」
「ディアナっ!! 逃げるんだよーっ!! 死ねえっ!! 糞兵隊めっ!!」
道々を隠居したメロディ師が火炎で騎士達を炙る。
魔導動甲冑は火に怯む事も無く、剣を振り上げた。
「お逃げ~!! ディアナッ~!!」
メロディ師は絶叫した。
「あああああっ!!」
ディアナの胸に真っ赤な怒りがわき上がった。
無法な兵隊たちに、姉を斬ったリシャールに、猛烈で爆発的な怒りがわき上がった。
巨岩が浮いて、動甲冑騎士に激しくぶちあたり、吹き飛ばした。
メロディ師の命は救われた。
「お前達が、お前達がっ!!」
ディアナは怒りのあまり、無詠唱で『飛行』魔法を手近な岩や丸太に掛け、騎士達めがけて激突させていく。
「つ、『月』の魔女めっ!! アリス姫を返せ!!」
「黙れっ!! お前達のせいでターラー先生は死んだっ!! 死ねっ!! 死ねっ!! 死ねっ!!」
いつも大人しくて理知的なディアナだったが、あまりの無法に怒り狂い、『月』の重力魔法を使い、動甲冑騎士たちを倒し始めた。
巨大な質量が高速で移動し、敵に激突する魔法は単純なだけあって対策が難しい。
避ける以外の対応が無い。
この夜、ディアナは十人以上の動甲冑騎士を殺した。
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