9 秘めたる力
日がだいぶ傾いてきたのかそこまで暑さは感じなくなってきていた。この馬車の振動にも慣れてきてむしろ心地よささえ感じる。このペースだと今日の夜には闘技場に着きそうだ。
途中何回か小さな集落に私達は立ち寄った。水分補給や食料の買い込み、トイレ休憩のためだ。私もお手洗いのため馬車から降りる機会があったが、どうやらこの馬車の前後を挟むように何十人もの衛兵が馬で警護しているようだった。
それもそうだ、武器や魔導具を取り上げているからと言って魔法が絶対に使えない保証はない。現に私の目の前に座っているディルクは逃げようと思えば逃げれるし、何ならペンか何かを取り出して簡単な魔法陣さえ描いてしまえば難なく脱走できるだろう。
でも彼はまだ私の前に礼儀正しく座っている。全く逃げる素振りを見せない。先ほど「今じゃない」と言っていたが、もしかして闘技場に用事でもあるのか? それとも誰かに会いに? 本当にディルクは何を考えているかわからない。
それとも私のように真名と血結瓶の両方をルドルフ・ラングハイム手に入れられてしまったのだろうか? そもそもディルクみたいな男がなぜこんな簡単に捕まってしまったのだろうか?
次々に考えを巡らせて唸る私の顔を彼が覗き込んできた。
「な、なによ?」
「いや……、今ちょっと考えていたんですがね。あなたの宿もしかすると……、毒を無効化にする。もしくは効果を薄めるといったモノなんじゃないかと思いましてね」
「毒? ああ、白蛇・フロイントの毒ね。あの毒にやられても私が生きてたからってこと?」
「ええ、あなたも知っての通り数滴でドラゴンさえも倒してしまえる猛毒。比喩でもなんでもなく実際に北の地域ではフロイントの毒を使用してドラゴン討伐が行われていると聞きます」
ディルクにそう訊かれ少し考え込むがすぐに私は首を横に振った。
「耐性は……あると思う。だけどこれはヤドリとは多分関係ないんじゃない? 実は毒にやられる前、城の中庭に侵入してすぐあのフロイントと実際に戦ったのよ。間一髪噛まれずに避けることができたんだけど、その時に私の相棒のリアに念の為にと解毒剤を飲ませられてね。幸運にもそのおかげで助かったってわけなの」
私がそう言うとまだ腑に落ちないのかディルクは指を組み、自分の両足に腕を乗せ体重をかけると背を丸め頭を垂れる。
「ふむ、確かにあなたの言う通り解毒剤が効いたのかもしれませんね。けれどそれだけであなたが頬の切り傷だけで今健康体でいられる、納得できる説明ができますか? それこそ何かヤドリを無意識に発動させたのではないでしょうか? それに事前に解毒剤を飲んでいて効果が現れます? 飲んだのはそれよりも何時間も前なんでしょう?」
「そ、それはそうなんだけど……」
そこまで言いかけてあることを思い出した。私が魔法使いになる時に行った血の儀式だ。
「ちょっと今思い出したんだけどあなたも魔術師なら血の儀式は知っているわよね」
「ええ、もちろんですとも。魔術師になるために魔物の血を飲むっていうアレですよね」
「そう、じゃあこれも知ってる? 儀式に使う魔物の血が人それぞれ違うこと。その人に相性の良い魔物の血を混ぜて飲むの。そして私が飲んだ血の半分以上がフロイントの血だった。もしかするとそれの影響なのかもしれない」
ディルクはうつむいた顔を上げると目を皿のように丸くした。
「え? それは本当の話なのですか? まさかフロイントと相性が良い人がいるとは……。まあ、そういうことなら毒に耐性があるのも納得です。では一体あなたの中に眠っている力は何なのでしょうね。更に興味が湧いてきましたよ」
「はいはい、そうですか。私はここ一ヶ月分の元気を一気に使ったみたいに疲れたわ。とにかく今は体力温存のために体を休めるわ。毒の耐性に私のヤドリがなにか関係あるのかどうかだってまだ分からないし、確定でもない。発動条件もわからない以上話してても埒が明かないわ。だから起こさないでね」
私は深い溜め息を付くとベンチに横になってひと眠りすることに決めた。あいつと話しているとどんどん話がそれて余計な体力を消耗してしまう。
私の中に眠るもう一人の知らない私か……。誰に似たのかホント寝坊助さんなんだから。怖いという気持ちと楽しみという両方の気持ちがあった。むしろ楽しみにしている自分がいる。なんでだろう?
横になって馬車の天井を見ながら物思いにふける。最初嫌だった馬車の揺れは私の体を湖に浮かぶ小船のように揺蕩み、蹄が地面を蹴り上げる音も子守唄のように心地良い。
次第に重くなっていくまぶたに私は逆らえなくなっていた。
あれからいったいどれくらいの時間が経ったのだろうか、ふと気がつけば馬車は砂漠地帯で動きを止めていた。肌寒いくらいのそよ風が私の頬をやさしくなでる。多分もう日が落ちたのだろう。
「おい、いつまで寝ていやがる。さっさと起きねぇか!」
「いたっ! ちょっとなにするのよ!」
かすれた声の主が、私を強引に馬車の荷台から引きずり落とした。見上げるとそこにはルドルフの憎たらしい顔が松明に照らされて浮かんでいた。せっかくいい気分だったのに台無しじゃない。
「おっと、すまねぇな、嬢ちゃん。でっかいドブネズミかと思っちまってな」
げらげら笑うルドルフを私は睨みつけてやった。くっ、覚えておきなさいよ。