24 凍てつく川と静寂な村
王都を出発してから、もう数日が過ぎていた。石畳の整備された街道はいつの間にか舗装されていない土や砂利道に変わり、轍に馬車の車輪が取られ、縦揺れとともに横揺れも次第に大きくなっていく。
窓の外を流れる景色も、のどかな一面の麦畑から鬱蒼とした森へ。そして岩肌が露出して荒々しい乾燥した地へと移り変わっていく。その優しい表情をした大地が少しずつ眉をしかめていった。
「ねえ先輩、いっつもそんなに難しい顔してるの? 眉間にシワ、寄ってるよ?」
どうやら外の風景を見ていたと思っていた私はガラスに映る自分の顔を見ていたんだなと今気がついた。
退屈になったのか、しきりにルナが私の顔を覗き込んでくる。彼女の天真爛漫な明るさは、重苦しい馬車の中の空気を和ませてくれる唯一の救いだった。
「これでも任務中だからね。気を使ってくれるのはありがたいけど、私はあまり気分が乗らないの。ごめんね」
「もー、堅いんだから。リアちゃんもそう思わない?」
「馴れ馴れしく呼ばないでくれるかしら。でも、モニカが考えすぎなのは同感ね。少しは休んだらどう?」
肩の上でリアがやれやれと溜め息を吐く。二人の言う通りかもしれない。私はここ数日、ずっとセレナのことばかり考えていた。あの書類に書かれていた無慈悲な言葉の数々。
そして、私の記憶に残る彼女の虚ろな瞳。考えれば考えるほど胸の奥が冷えていくような気がした。感覚とかそういうのじゃなくて、なんだかこう……。
「ねえ、先輩……、この書類なんだかすごく冷たくて悲しい感じがする……」
不意にルナが私の手元にある資料に手をかざして言った。彼女のヤドリ『ブルームパルス』は、人や物に宿る感情を感じ取る能力もあるのかもしれない。彼女は悲しそうに眉を寄せ、瞳を潤わせる。
「このセレナって子、きっとずっと一人で泣いてたんだよ。わかるもん、アタシ」
一筋の涙がルナの頬を流れた。けれど、すぐにハッと自分を取り戻すと涙を拭う。
「……そうね。早く見つけないとね」
私がそう呟くとルナはこくりと頷き、それ以上は何も言わずに窓の外に視線を戻した。そして珍しくリアもルナに寄り添うようにそっと彼女の頭を撫でる。
さらに半日ほど馬車を走らせた頃だろうか、空気が明らかに変わったのを感じた。夏だというのに窓のふちを霜が覆い、吹き込む風が肌を刺すように冷たい。
「え? 先輩、なんだか……急に寒くならなかった?」
「嫌な感じがするわ……。ねえモニカ、この先よ。空気が淀んでる」
リアの声に促され、私とルナは馬車の窓から身を乗り出した。
谷間の川の流れに沿うようにして、小さな村が息を潜めるようにひっそりと佇んでいた。鉛色の空の下、どの家も雨戸を閉ざし煙突から煙は立ち上っていない。
外見はきれいで整えられており、廃墟というわけでもなさそうだ。しかし、人の気配が一切なく、まるで世界から忘れ去られるのを自ら望んでいるかのようだった。
『フロストリバー』。その名がこれほど似合う場所もないと思う。やがて馬車は村の入口に立つ古びて傾きかけた木の看板の前でゆっくりと速度を落とした。
「お嬢さん方、村に着きやしたぜ。すいやせんがあっしはここまでで勘弁してくだせえ。この村はどうにも気味が悪くてね。昔からよそ者には冷たいって話ですし。まあ、お気をつけて」
彼はそう言うと、私たちの返事を待たずに荷物を降ろし、そそくさと馬車の向きを変えて走り去ってしまった。
村の入口に残されたのは、私とリア、そしてルナの三人だけ。しんと静まり返った村に半分凍りかけた川の瀬音と谷を吹き抜ける風の音だけがやけに大きく響いている。
「……行くわよ」
私が覚悟を決めて一歩踏み出すと、村の奥から一人の老婆が薪を抱えて歩いてくるのが見えた。私は助け舟とばかりに彼女に声をかけようとする。
「あの、すみません。少しお話を――」
しかし、私の声は最後まで続かなかった。老婆は私たちを見るなり、その顔からさっと表情を消した。そしてまるで汚いものでも見るかのように目を逸らすと、足早に村の奥へとその姿を消してしまった。扉が閉まる音がやけに大きく響く。
私は差し出したままだった手を引っ込めると、隣にいるルナと目を合わせる。彼女もこの変な状況に追いついていないようだった。
「な、なんだっていうのよ。あのお婆さん。ワタシたちがなにかしたっていうの?」
「まあまあ、ルナ、落ち着いて。私達は村の住人じゃないし、知らない人が話しかけてきたらああいう態度をとることだってあるわ。……にしては過剰な反応かもしれないけどね」
口を尖らせながら文句を言うルナを私は優しくなだめる。しかし、それは始まりに過ぎなかった。
畑の手入れをしていた農夫も、井戸で水を汲んでいた少女も、誰もが私たちを一瞥するやいなや蜘蛛の子を散らすように家の中へと隠れてしまう。彼らの目に宿るのは恐怖と、そしてあからさまな拒絶の色だった。
「な、なんなのよ、この村の人たち……。ちょっと怖いじゃないの」
ルナが怯えたように私のローブの袖を掴み、リアも私の肩にその小さな身を隠す。
私は自然と首から掛けたアミュレットを握りしめていた。ほのかに光を放ち、かすかに振動している。この村全体を覆っている目に見えない障壁。外部の者を拒み排除しようとする冷たい空気が覆っている。
誰にも話を聞けないまま、私たちは資料に記された地図を頼りに村の中を進んだ。村人たちの刺すような視線を背中に感じながら先を急ぐ。
セレナの家は村の家々が集まる中心部から少し離れたところにあった。川沿いの小高い丘の上に一軒だけ建っている家が見えた。まるで、最初から村から切り離されて建てられたかのように。
敷地のアーチを潜ると、今にも崩れ落ちそうなほど古びた小さな家が目に入る。庭の柵は朽ち果て雑草が好き放題に伸びている。壁の塗装は剥げ落ち、風雨に晒された木材が痛々しく剥き出しになっていた。
セレナはこんな場所でたった一人、『呪われた子』と呼ばれ続けたんだ。
凍てつくような風が私の白銀の髪を揺らす。旅の目的地に着いた安堵感など、どこにもなかった。私は家の前に立つと、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして、錆び付いて冷え切ったドアノブにそっと手をかけた。




