20 王宮への道中
馬車は王宮への道を進み続けていた。車輪が地面を擦る音が一定のリズムを刻み、馬の蹄が土を叩く音がその合間を埋める。窓の外では森の木々が少しずつまばらになり、朝霧が晴れて視界が開けてきた。
森の端にはなだらかな丘が広がり、その斜面には羊の群れが白い点となって散らばっている。羊飼いの少年が遠くで笛を吹く音が、風に乗ってかすかに聞こえてきた。
丘の向こうには川がゆったりと蛇行し、その水面には朝日が映り込んでまるで金の糸が流れているようだった。
王宮の尖塔がさらに近づき、尖塔の先端に掲げられた旗がそよ風に揺れて小さくはためいている。旗の青と金の紋章が朝の光の中で鮮やかに浮かび上がっていた。
隣にはリアが窓の縁に座っていて、透き通る羽をパタパタと動かしながら琥珀色の瞳で外の景色を見ている。そして私の視線に気づいたのかリアが話しかけてきた。
「ねえ、モニカ。王宮の中ってどんなところかしら? アタシ、ちゃんと行ったことないからちょっと楽しみなのよね」
リアが小さな声で呟き、羽を少しだけ大きく動かした。私は彼女の言葉に小さく微笑みながら窓の外に視線を戻す。
「そうね……。王宮は……広くて、豪華で、ちょっと息苦しいところね。衛兵がたくさんいて、いつも緊張感が漂ってる。……でも、庭園はきれいだったな。フロイントと戦ったとき夜だったからちゃんと見れなかったけれど、噴水の周りに咲いてた花が月明かりに映えてきれいだった」
私はふと思い出して呟いた。あの夜の戦いが頭をよぎる。満月の光に照らされた庭園の石畳、静まり返った噴水の水面に映る月影。
そしてフロイントの純白の鱗が不気味に光っていたこと。あの戦いは私の心にまだ深く残っている。
「ふーん、そうなんだ。アタシはそれどころじゃなかったわよ。でも、モニカが王宮に行くのって何か不思議な感じね。だって、前にあそこに忍び込んだときは衛兵に追われて大変だったじゃない?」
リアが少し意地悪そうに言うと私は思わず苦笑した。
「リアも一緒に忍び込んだんだから同罪よ、同罪。私だけが大変だったみたいな言い方しないでくれる?」
私がそう言い返すと、リアは小さく舌を出して私の顔のすぐ近くまで飛んできた。彼女の羽が私の頬をくすぐり、私は「もぉ、リアったら!」と言って思わず笑みがこぼれる。そしてリアはまた同じように窓の縁へ腰掛けた。
「ねえ、モニカ」
「ん? なに?」
「イヴの再封印ってさ、私たちだけでできるものなのかな? ハンスみたいな敵がまた出てきたら……」
リアの言葉に私は一瞬言葉を詰まらせた。私だって同じ不安を抱えている。でも今は円卓会議に集中するしかない。
「そのために円卓会議に行くのよ。ユリアンって人が新しい指導者なら、きっと何か計画があるはず。……でも、新しい敵が現れるかもしれないから油断はできないわね」
私がそう答えた瞬間、胸元のアミュレットが再び赤く灯り、頭の中にイヴの声が響いた。馬車の外の風の音が一瞬遠ざかり、まるで世界が静まり返ったような感覚がした。
『彼はまだ生きている……、だが瀕死の状態だ。敵意はない、……しばらくはな』
私は目を閉じイヴの声に耳を澄ました。ハンスが生きているという事実は衝撃だったけど、なぜかイヴの言葉に少しだけ安心する。でも、なぜハンスが生きているのか、その理由はまだ分からない。私の心に新たな不安が芽生えた。
「ハンス、まだ生きてるなんて……。やっぱり彼のヤドリ『ヒール』が原因なの?」
私の呟きにリアが首をかしげ顔を覗き込んできた。
「ん? モニカ、どうしたの? アミュレットが光ってるけど……」
「あ、えっと。……うん、またイヴの声が聞こえたの。ハンスが生きてるって。でも、敵意はないらしいわ。……しばらくは、ね」
「生きてる!? モニカが倒したのに!?」
リアが驚き羽をバタつかせる。私は小さく頷きアミュレットを握りしめた。ルビーの冷たい感触が手に伝わり、朝の光の中で赤く輝くその姿がまるで私の不安を映しているようだった。
ハンスの名前を聞いて、頭の中に闘技場での戦いが鮮明によみがる。
あの漆黒のドラゴンに変身したハンス。彼のヤドリ「ヒール」は、傷をすぐに癒して実質不死身のはずだった。……なのに、私はどうやって彼を倒せたんだろう?
「……ねえ、リア。ちょっと考える時間をくれる?」
私はリアにそう言うと目を閉じた。
ハンスのヤドリ「ヒール」は、寿命を分け与えてどんな傷も癒す力。もちろん自分の傷も癒やすことができる。
あの戦いで私は、フロイントの毒を使ってドラゴンの動きを鈍らせた。フロイントの毒は強力でドラゴンのような存在でも耐えられない猛毒だ。
でも、それだけで倒せたとは思えない。ハンスは何度も立ち上がり、傷が癒えるたびに咆哮を上げて襲いかかってきた。
あの時、私のヤドリが覚醒して雷光をまとった力が発動したのを覚えている。もちろんそれだけじゃない。フロイントの毒がハンスの再生を遅らせたとしても、ほぼ無限にあるドラゴンの寿命で「ヒール」が完全に止まるはずもない。
私のヤドリが何か影響を与えた? でも、どうやって? 私のヤドリはまだ制御できないし、詳細も分かっていない。
まさか、イヴが関係してる? 私はその考えに眉をひそめた。イヴが私のヤドリを通じて何かした可能性は十分にある。でも、だとしたら、なぜ? イヴは私の敵だ、イヴにとっても私は敵のはず。
そんな世界を滅ぼそうとする魔王が私を助けるなんてありえない。
「モニカ、どうしたの? 何か思いついた?」
リアの声に私は目を開けた。彼女が心配そうに私を見ている。
「……うん、ちょっとね。ハンスのヤドリ『ヒール』って、傷をすぐに癒して実質不死身のはずよね。私がフロイントの毒を使ったから、ドラゴンの動きが鈍ったのは確か。でも、それだけじゃ倒せないはずなの。……私のヤドリが覚醒したタイミングで雷光がハンスを貫いた。あれが致命傷だったと思うけど、『ヒール』を上回る力が働いたとしか考えられない。でもそれが私のヤドリの力だけだとは思えないの」
「……もしかして、イヴが助けてくれたとでも言いたいの?」
リアが小さな声で呟き、私は一瞬身体を硬直させた。
「イヴが? まさか! イヴは私の敵よ。世界を滅ぼそうとしている魔王が、私を助けるなんてありえない」
私は即座に否定したけれど心の奥で小さな疑念が芽生えていた。でも、本当にイヴが関与していたとしたら? その目的は? ハンスを倒させたことで何かメリットがあるっていうの? それとも……。
私は唇を噛みイヴへの敵対心を改めて強く感じた。イヴを再封印する、それが私の目的だ。どんな企みがあっても私は絶対に負けない。
私は窓の外に流れて行く風景に意識を戻し心を落ち着ける。馬車は王宮への道を進み続け城壁の影が徐々に大きくなってきた。
城壁の門の上には衛兵が立っており、朝日を浴びた槍の先が鈍い光を放つ。王宮が近づくにつれ、私の心は緊張と警戒心で高鳴り始めていた。