19 衛兵の報告と旅立ち
朝の柔らかな光が、丘の上に佇む小さな魔導具屋「アンネの贈り物」の窓を優しく照らす。窓から差し込む柔らかい光で私は目を覚ました。上半身を起こし伸びをすると、ぼんやりとした頭で窓の外を眺める。
私の部屋は二階にあり、目線を落とすと店の裏手にある小さな菜園の葉っぱが朝露に濡れてキラキラと輝いている。森からは楽しそうにさえずる小鳥の声が聞こえ、静かな朝を彩っていた。
菜園近くにある古い井戸の周りでは朝霧が薄く立ち込め、まるで白いヴェールが地面を覆っているようだ。井戸のそばに植えたラベンダーの花が、そよ風に揺れてほのかな香りを漂わせている。
私はベッドの端に座り大きく深呼吸する。この穏やかな朝の雰囲気に久々に心が和んだ。けれど、その平和はすぐに破られたのだった。
店の扉が勢いよく開く音が響き、私の心臓が大きく飛び跳ねる。白銀の短髪が乱れて鼓動が早くなった。
私はスリッパを履くと慌ててベッドの反対側の壁に駆け寄り、小窓についた取っ手をつまむと眠い目をこすりながら開き覗き見る。
これはお客さんが来たときの確認や、おばあちゃんの声を聞いてすぐに手伝いができるようにするための小窓だ。一階の店内がよく見える。
二階の小窓からは革鎧をまとった衛兵が二人、息を切らせて立っているのが見えた。革の鎧が朝日を受けて鈍く光り、鎧の端に付いた小さな鉄片が小さく音を立てている。
彼らの焦った表情が嫌でも目に入ってきた。店の床に敷かれた古い絨毯の上に、衛兵のブーツが泥を落とし、朝の静寂が一気に緊張に変わった。
「雷鳴のエリーゼ殿! 国王の名代により、円卓会議への召喚を命じます!」
衛兵の声が響き、いつの間にか私の隣に来ていた小さな守護精霊リアが透き通る羽を忙しなく動かしながら衛兵を睨みつけていた。
リアは飛び上がると小窓を潜り抜け衛兵二人に近づく。彼女の透明な羽が朝日を浴びて、まるで小さな虹が輝いているように見えた。両手を腰に当てると衛兵に向かって叫んだ。
「ちょっと、いきなり何!? エリーゼは昨日やっと帰ってきたばっかりなのよ!」
リアの声が店内に響く。しかし衛兵は動じず背筋を伸ばして立っていた。すると一人の衛兵が敬礼し声を張り上げる。
「国王ハンス・E・ゲッフェルトが倒れ、国は混乱状態にあります。暁のユリアン様が新たな指導者としてイヴの再封印計画を進めるため、エリーゼ殿の力が必要なのです。直ちに王宮へお越しいただきたく!」
ハンスの名前に私は一瞬身体が硬直した。闘技場での死闘が脳裏をよぎる。あの漆黒のドラゴンに変身した男を私は確かに倒したはずだ。
なのに、胸元のアミュレットが仄かに赤く灯った。お母さんの形見であるルビーのネックレスが、朝の光の中で不気味に輝き、まるで警告するように熱を持っている気がする。イヴの再封印という言葉が私の心に重くのしかかった。
「……分かったわ。すぐ準備するから少し待っててくれる?」
私はできるだけ落ち着いた声でそう答えるとすぐにいつもの服へ着替えた。準備をするため階段を下り店の奥へと向かう。
階段の木が軋む音が静かな店内に響き、棚に並んだ小さな魔導具たちが朝日を受けて光っていた。
古い木製の棚には埃をかぶった魔導具の試作品や色あせた魔法書の背表紙が並び、店の隅に置かれた小さな暖炉からは昨夜の焚き火の残り香がほのかに漂っている。
お婆ちゃんが杖をつきながら近づいてきて心配そうな顔で私を見つめた。彼女の白髪が朝の光に透けて、まるで柔らかな綿毛のように見える。杖が床を軽く叩く音が私の耳に小さく響く。
「エリーゼ、また危ないことに首を突っ込む気かい? あんた、ハンスを倒したばっかりで疲れてるだろうに」
「お婆ちゃん、心配しないで。イヴの再封印は私の責任でもあるの。ハンスを倒しただけじゃ終わらないって、分かってたから」
私はそう言うとそっとお婆ちゃんの肩に手を置く。なにも問題がないように胸を張ってそう言ったが心の奥底ではやはり不安が渦巻いていた。
「そう……、わかったわ」
お婆ちゃんは朝食にとパンやミルクをバスケットに入れて用意してくれた。
私は暖炉の横のコート掛けに下がったローブを羽織り、腰にダガーを差し準備を終わらせた。ローブの裾が床を軽く擦る音がして、ダガーの柄が手に馴染む感覚に少しだけ安心する。
昨日発動したあの力、雷をまとった制御できない力。あれが私のヤドリだと確信してるけど、自らの意思で発動する方法も能力の詳細もまだ分からない。
リアが小さな身体で私の肩に飛び乗って、緑と茶色の上着を揺らしながら呟く。
「エリーゼ、無茶しないでよね。ハンス戦で死にかけたばっかりなんだから!」
「分かってるって、リア。大丈夫よ」
私が苦笑しながら店を出ようとすると衛兵の二人が扉を開けてくれた。ドアの隙間から朝の冷たい空気が店内に流れ込み、草の香りが頬と鼻を撫でくすぐったい。
丘の斜面に咲く小さな野花が朝露に濡れてキラキラと輝き、遠くの森の木々がそよ風に揺れて葉擦れの音が静かに響いていた。
すると一階奥の客間から、ボサボサの黒髪をポリポリ掻きながらディルクが顔を出してきた。そういえばあいつ、昨夜一緒にここに泊まってたんだっけ?
客間のカーテンが少し開いていて朝日が彼の顔を半分だけ照らしている。カーテンの隙間から見える客間の机には色あせた地図が広げられ、床にはディルクの荷物が無造作に置かれていた。
「おや、エリーゼさん。早速、王宮へお出かけですか?」
「ディルク、勝手についてくるとか言わないでよね。……でも、まあ、いいわ。情報屋のあなたがいた方が何かと便利かもしれないし」
私は渋々了承したがディルクは何故かニヤリと笑い、彼はすぐに荷物を手に持った。荷物の中から小さな魔導具がチラリと見えて朝日を反射してキラッと光る。
「へへ、さすがはエリーゼさん、分かってますね。……でも悪いですが、アタシちょっと用事がありまして王宮には行けそうにないんですよ。せっかくのご招待ですけど、ここでお別れですね」
「用事? 何よ、急に。また例のやつ?」
私は眉をひそめて視線を向けたがディルクはいつもの調子で首を横に振った。
「へへ、情報屋の仕事ですよ。エリーゼさん、王宮で何か面白いことがあったら今度教えてくださいね。じゃあ、また会いましょう」
ディルクはそう言うと店の奥に引っ込んでしまった。まったく、いつもタイミングが悪いんだから。私は小さくため息をついて衛兵が待つ馬車に乗り込んだ。
この前の輸送用の馬車ではなく、ちゃんとした造りの豪華なものだった。四、五人くらい乗れる扉付きの馬車。窓も付き装飾も凝っている。
木製の座席は少し硬く座ると軋み小さな音がする。車輪が地面を擦る音と馬の蹄が響く中、私はぼーっと窓の外を眺めていた。朝の光が森を照らし木々の間を抜ける光が地面にまだら模様を描いている。
道端の黄色い花が馬車の振動で揺れ、空いた窓から吹き込む風が花の香りを運び髪をなびかせる。ようやく遠くに王宮の尖塔が見えてきた。その影は朝霧の中でぼんやりと浮かんでいるようだった。