17 覚醒:砂塵を切り裂く一筋の閃光
ドラゴンの巨体が闘技場を揺らし、砂塵が舞い上がる。私は息を整えながら、ダガーに塗ったフロイントの毒が光沢を帯びるのを確認した。
またルドルフの背中が遠くで青白く光り、ドラゴンのブレスを巧みに避けながらハンスの注意を引きつけている。
観客席からは絶え間ない歓声が響き、まるでこの残酷な舞台が彼らの娯楽であるかのように騒がしい。
「モニカ、早く! 奴の喉を狙え!」
ルドルフの声が風を切り裂いて届く。彼はハンスのブレスをかわしつつ、剣を振り回してドラゴンの足元を攻撃し、その動きを制限しようとしていた。
しかしドラゴンの鱗はまるで金属にでも造られているか、ルドルフの剣が鱗に当たるたびに甲高い音と火花を散らすだけで何一つ傷付けられない。
私は目を細め、遠巻きにドラゴンの動きを追った。絶対首のどこかに逆鱗があるはず。ハンスの漆黒の鱗が陽光を反射し目がくらむ。ドラゴンが首を振るたびに、鱗の隙間が一瞬だけ見える。
「……ん? あれは……」
ドラゴンの首元、他の鱗と異なり淡い銀色で、不自然に光を吸収している鱗が見えた。あそこだ! 私は深呼吸すると心を落ち着かせる。
「簡単じゃ……ないわよね。でもやるしかない!」
私はダガーを握り直すと、体制を低くしながら走り出す。ドラゴンが尾を振り回わし闘技場の地面を抉った。砂と石が空へ飛び散り私の視界を遮る。
私は咄嗟に身をかわし尾の攻撃を滑り込むように回避した。心臓が喉まで飛び出しそうになるのを必死に飲み込んで抑える。
ドラゴンの咆哮が空気を震わせ、観客席がさらに沸き立つ。ハンスはルドルフを追いつめながら楽しそうに笑った。
「おいおい、どうしたルドルフ! もっとオレを楽しませてくれよ! せめて見世物として価値がある死に方をしろ!」
その言葉に、ルドルフの動きが一瞬硬直する。私は彼の背中に宿る魔法陣がちらりと光るのを見逃さなかった。「舞空陣」を再発動させる気だ。けれど、さっきの戦いで彼の体はすでに限界に近い。ハンスの「ヒール」で回復したとはいえ、精神的な疲弊は隠せないようだ。
「ルドルフ、頼むから無茶しないで!」
私はルドルフに叫びながらドラゴンの側面に回り込む。ハンスの注意がルドルフに集中している今がチャンスだ。私はダガーを逆手に持ちドラゴンの首元に飛びつく準備をする。
しかし、ドラゴンの動きは予想以上に素早く、巨大な爪が地面を叩き私のすぐ近くの足元を砕く。私は咄嗟に横に飛び転がりながら体勢を立て直した。
「くそっ、近づけない……!」
ドラゴンのその圧倒的な巨体の存在に思わず怯んでしまう。逆鱗にたどり着くには完璧なタイミングが必要だ。
ルドルフが囮になってくれているとはいえ、ハンスの目は鋭い。まるで私の動きを予見しているかのようだ。その時、ルドルフが叫ぶ。
「モニカ、今だ! 俺が隙を作る!」
彼の背中の魔法陣が再び輝き、「舞空陣」が発動する。ルドルフの姿が一瞬消え、次の瞬間ドラゴンの顔の前に現れた。彼は剣を振り上げドラゴンの左目を狙う。
しかしドラゴンは咆哮を上げながら首を振って大きく後ろにそって攻撃を避けた。その瞬間首元にある逆鱗があらわになる。私はその一瞬を見逃さなかった。
「よし、今だ!」
私は全力で地面を蹴りドラゴンの首元に向かって跳んだ。ダガーを両手で握り、逆鱗を狙って突き刺す。しかしドラゴンの鱗は想像以上に硬くダガーの刃が表面を滑る。
「くっ、ダメ――!」
その瞬間ドラゴンの尾が私を狙って振り下ろされた。私は咄嗟に身体をひねるが尾の鋭い先端が私の脇腹をかすめる。鋭い痛みが走り服に血が滲み始めた。
私は地面に叩きつけられた衝撃で視界が揺れ息が詰まる。ルドルフの体も近くに放り投げられ視界の端に映り込んだ。
「モ、モニカ、大丈夫か!」
ルドルフの叫び声が遠くで聞こえる。ドラゴンの笑い声が闘技場全体に響いていた。
「ほぅ、さすがはルドルフの娘だ、しぶといな。殺してしまうのが惜しいくらいだ。だが、力を持つものは今後何をしでかすかわからん。これで終わりにしてやる」
ドラゴンが口を開き、灼熱のブレスを放とうとする。体が鉛のように重く私は動けない。ダガーを握る手が震えもう一方の手で掴み抑える。ルドルフが私の前に最後の力を振り絞り剣を構えるが彼の体も限界だ。ドラゴンのブレスが放たれれば、私たちは一瞬で灰になる。
「くそっ、くそっ! こんなところで終わるなんて……!」
私は歯を食いしばり、アミュレットを握りしめる。母の形見が仄かに赤く光り、まるで私を励ますように温かい。お母さん、お願い、力を貸して……。
ドゴンブレス、頬を焼く熱風、心を覆う絶望。
――その時だった。
私の胸の奥で何かがざわめいた。扉が強引にこじ開けられたかのような感覚。そして私に話しかける声。お母さん……? いや、もっと幼い……。そうこれは少女の声だ。
途端に頭の中で彼女の笑い声が響く。あの半年前から聞こえていた「声」だ。だが、今回は違う。甘く切ない声ではなく、力強く、まるで私を導くような声だった。
『ワタシの可愛い娘。さあ、力を開放してワタシに貴女の全てを見せて……モニカ』
私の体が勝手に動く。一瞬すべての光がアミュレットに吸収され辺りが暗闇に包まれた。そして一筋の青白い閃光が闘技場を貫く。
しだいに世界は光を取り戻し、何事もなかったかのように私はその小さな体で踏ん張っていた。体の傷も癒えダガーを握る手に力がみなぎるのを感じる。
ルドルフが驚いた顔で私を見る。ハンスも動きを止めて驚く顔をこちらに向けていた。
「これが……私の宿……!?」
私の周りに青白い雷光が渦巻き、闘技場の地面が震える。体が軽い。まるで時間が私だけを加速させているかのようだ。ドラゴンの動きがゆっくりに見える。私は魔法を魔法陣無しで完全詠唱しながら駆け出した。
「私はなぜ生まれたのか、私はなぜこの世界に囚われたのか」
「暗く閉ざされた私の世界、光があふれる外の世界」
「すべてがある世界で命を終わらせられないのなら」
「なにもない世界で永久を過ごさないといけないのなら」
「私は消そう全てのものを」
「私は創ろう全てのものを」
「世界に溶け込む光の断片、喧騒たるやその見にあらず」
「空に溶け込む光の断片、静寂なるこの身に宿りたもう」
「純白の踊る木漏れ日のように、漆黒の瞬くの星々のように」
「万物に宿りし世界の理。無形にして無限なる断頭者」
「我が身を貫け、駆け抜けろ。我が身を介し、切り刻め!」
「喰らえ、天舞雷牙!」
雷光をまとったダガーで私は逆鱗を突き刺す。鱗が砕けダガーがドラゴンの肉の奥深くまで食い込んだ。フロイントの毒が染み渡り、ハンスが咆哮を上げ巨体がのけぞる。
しかし私はそれをものともせずダガーをさらに押し込み、電撃を全て解放した。
「いけーーーー!」
巨大になった電撃の塊が闘技場の四方八方を駆け抜けていく、途端に観客席の歓声が悲鳴に変わった。
ドラゴンの体が痙攣し漆黒の鱗が剥がれ落ちる。ハンスの声が二重に響きドラゴンの姿が揺らいだ。やがてその巨体は光の粒子となって崩れ、元のハンスの姿に戻る。彼は膝をつき血を吐きながら私を見上げ睨んだ。
「くそっ、こんなガキが……このオレを……!」
フロイントの毒が彼の全身を蝕んだのか、動かなくなりついに倒れる。闘技場は静寂に包まれた。観客たちは呆然とし、衛兵たちは武器を下ろす。私は息を切らしダガーを地面に突き立て膝をついた。