第二十五話:凄い綺麗だな
「凄い綺麗だな」
「ですよね? 僕もお気に入りなんです」
詩音に連れられてやってきた場所を見て、俺は素直にそんな言葉を漏らした。
彼女が俺を連れてきた場所。それは、スタジアムからそう遠くない所にある砂浜だった。
まだ五月。この時間の空気は肌寒いのもあってか。砂浜にはそこまで人は多くない。ただ、それでもカップルらしき人達が何組かいて、同じように海を眺めていた。
彼等がここにいる理由。
それはきっと俺達同様、夕焼け色に染まった綺麗な海を見たかったからに違いない。
海岸線の先。岬の高台に立つ灯台は、沈み始めそうな夕日をバックに、シルエットだけの姿で立っている。
穏やかな海は勿論、空と同じ夕焼け色。波が立ちキラキラと輝く様は、とても神秘的だ。
ここまで夕日が綺麗だって感じたのは何時ぶりだろう。
リアルだと仕事に追われているこの時間。ゆっくりと夕日を眺めている余裕なんてないし、休みの日だって出掛けるのが億劫で、昼寝してたら夜になっていたなんてのもザラ。
勿論この世界に来てからも、何度か夕焼け空を見てはいる。
だけど、こうやって落ち着いて夕焼けを見たのは今回が初めてだった。
大パノラマに広がる夕焼け空と、同じ色に染まる穏やかな海。これは目を奪われるのに十分な景色だ。
「こんな景色を見れるなんて、ある意味ワン吉に感謝かもな」
「確かにそうっすね」
思わずそんな言葉を口にすると、俺の左隣にに立っていた詩音からくすっという小さな笑い声がする。
隣に顔を向けると、海を見ていた彼女もこっちの視線に気づき顔を向けてきた。
「でも、先輩が喜んでくれて良かったです」
「これだけのものを見せられたらな。ちなみに、詩音はよくここに来るのか?」
「ええ。家からそこそこ近いんで、ランニングがてら」
「へー。家はどの辺なんだ?」
「夢乃中央公園の近くっすね」
そういえば、出会いはあの公園か。ワン吉の散歩をしてたくらいだし、考えてみたらあっち寄りか。
この間色々行ってみた時に調べたけど、中央公園からここまでならバスで十分もあれば行ける距離。確かにランニングにはもってこいかもしれない。
「でも、この距離をランニングとか。大変じゃないか?」
「これでも陸上部なんで。普段から走り慣れてますし、どうってことないっすよ」
そう言って、えへんと言わんばかりに胸を張る詩音。
出会ってからここまで、彼女の私生活に関する話はしていなかったけど、ゲームの設定で彼女が陸上部だって知っているからこそ、その自信がどこからくるかはわかってる。
ちなみに詩音の陸上の実力は相当なもので、百メートルで全中陸上こと『全日本中学校陸上競技選手権大会』で上位に入るほどの成績を残しているって設定があったはず。流石は体育ステータス対応のヒロインってわけだ。
「そうだ!」
ん? どうしたんだ?
手をぽんっと叩いた彼女は、俺に普段通りの笑顔でこう提案してきた。
「先輩。あの岬の下まで競争しませんか?」
「へ? 競争?」
「ええ。負けたほうが夕食を奢るってのはどうっすか?」
相変わらず自信ありげな顔を見せている詩音に、俺は顎に手をやり考え込む。
別にゲームにこんなイベントはなかったはず。だから、これもまたアドリブで判断すべきイベントってことだよな。
ぱっと見じゃあそこまでどれ位あるかわからないけど、一キロくらいだろうか?
うーん……。
正直なところ、走るのだけじゃなく全般的に運動が苦手なんだけど……って、待てよ。
今は体育ステータスが高いんだ。彼女と競うことで、ステータスの高さを実感できるんじゃないか?
負けたって夕食を奢るだけだし、元々膝枕の件もあって奢る気満々だったんだ。俺にデメリットなんて一切ない。
もし万が一勝っても、そこは膝枕の話を持ち出して俺が奢るっていう話にしたっていいんだ。悪い話じゃないと思う。
ま、せっかくだ。
詩音がどれだけ凄いかも味わえそうだし。試してみるか。
「よし。その勝負、受けてたつよ」
「ほんとっすか!?」
「ああ。ただし、お互い手加減なし。いいな?」
「はい!」
さっきまでの笑顔が、俺の言葉で一気に真剣味を帯びる。
相手は設定上は一学年下。だけどこの感じじゃ手加減も期待で来なさそうだし、こっちも気を抜けないな。
「ゴールは?」
「下の崖の岩に先にタッチしたほうが勝ち。どうっすか?」
「わかった。スタートの合図は任せていいか?」
「はい!」
詩音がやる気満々でその場にしゃがみ込むと、陸上独特のクラウチングスタートの構えを取る。
俺も真似するか考えたけど、足元は砂で不安定だし、慣れない構えから走り出すのはロスもありそうだ。このままいくか。
片足を後ろに引き、少し前かがみになり構えた俺を見上げていた詩音が、本番さながらにゴールである前を見据える。
「じゃ、いくっすよ。ヨーイ……」
彼女が声と共により前傾姿勢で構えて少しの沈黙。
そして。
「ドン!」
詩音の合図と同時に、俺達は砂浜を駆け出した。
ってか、はやっ! 加速の伸びが全然違う。そのせいであっさり一人分くらいの差を広げられた。
けど、走り始めてわかった。俺もやっぱり普段と違うって。
砂浜という走りにくいシチュエーションにも関わらず、手足を動かすだけで思ったように加速できるし、息があがる感じや疲労感もない。
これならもっと早く走れるはず!
走るのが楽しくなった俺は、彼女に追いつくべくより強く、早く手を振り、足を前に出す。
一歩ごとにぎゅんっと早さが増す俺の体。風を切る感覚が強くなり、ぐんぐんと詩音との差を詰めていく。
引き離したと思って安心したのか。走りながら肩越しにこっちを見た詩音の顔に、強い驚きが浮かぶ。
あいつはすぐに前に向き直ってより早く走ろうと加速するけど、それでも俺のほうがまだ早い。
だいたい半分くらい走った頃、俺達はついに並走した。
詩音を目で追うと、こっちと目が合う。
真剣さ以上の必死さを感じる形相。流石に得意分野で負けるわけにはいかないって顔をしてるな。
だけど、今の俺はまだ加速できる余裕があるぜ。
ここまで走って息があがらないなんて、人生でなかったからこその新鮮さ。
俺はその興奮をより強く味わうべく、更に加速しようとした。
と。その瞬間。
「あっ!」
横にいた詩音から、締まったと言わんばかりの声を上げ、一気に前のめりに飛んだ。
まじかよ!?
そう思った瞬間、俺は咄嗟にあいつを助けようと動いていた。
手を振る勢いを利用し、身を捻りながらあいつの下に右腕を潜り込ませると、そのまま胴に腕を絡ませ、一気にこっちに引き寄せる。
「きゃっ!」
可愛い驚きの声と共に、彼女は天を仰いだ俺に背中向きに抱えられる。
直後。
「んぐっ!」
俺はそのまま背中から砂浜に叩きつけられた。
ずれる眼鏡。突然の衝撃に思わず変な声が出たけど、流石に砂の上。呼吸ができないほどの苦しみはない。
俺に背を向けたまま抱えられている詩音も、天を見上げている状態で表情は見えない。
けど、痛みを訴えるようなうめき声とかはしなかったし、多分大丈夫だろう。
ふぅ。危なかった。
しっかし、よくあそこから詩音を抱え上げられたな。
あんな動きはリアルじゃまず無理。ゲームの世界だってのもあるかもしれないけど、これは本気で体育ステータス様々かも。
突然のことがあった割に、どこか冷静な自分。
お陰で俺は、落ち着いて彼女に問いかけることができた。
「詩音、怪我は?」
そう問いかけると、大人しく俺の腕に収まっているあいつが首を捻り、肩越しにこっちを見る。
夕焼けに染まった詩音の顔。流石にこの距離だとそれとは別に顔が真っ赤だってわかる……って、これ……。
瞬間、俺の胸の鼓動が早くなった。
い、いや。だってこの距離、近すぎだろ?
髪からふわりと香る優しい香り。呼吸する荒い息遣いが耳元で聞こえるくらいには顔が近い。
あいつも同じことを思ったんだろうか。さっきから目が少し泳いでる。
「ぼ、僕は大丈夫っす。せ、先輩の方は……」
「あ、ああ。こっちも大丈夫。ほんと、砂の上でよかったな」
「そ、そう、っすね」
普段の活発的な雰囲気はどこへやら。恥ずかしさのせいか、妙にしおらしい詩音がいつになく可愛い。
でも、流石にこれはマジでやばいって……。
こっちの恥ずかしさが限界に達しそうになったその時、彼女がくるりと正面に向き直り、そのまま無言でもじもじとし始める。
俺達の沈黙をごまかすように耳に届く波の音。抱きしめられたままのあいつは思った以上に軽い。
リアルの世界じゃこんな経験はなかった。
この世界でだって、腕を組まれたり肩車したりなんてことはあっても、ここまで女子と顔の距離が近かったことなんてない。
こ、これどうすれば……じゃない! 詩音は中学生なんだぞ!? もう二十六の大人が、こんなことしてていいわけないだろ!
「し、詩音。そろそろどいてくれないか?」
俺がそう口を開こうとした瞬間。
「せ、先輩」
俺の言葉はしおらしいあいつの声に遮られた。




