第二十二話:流石に大丈夫だよな?
流石に大丈夫だよな?
翌日の昼過ぎ。
相変わらずの晴天の下、スタジアム側のバス停前にある公園のベンチに座りながら、俺は一人、両手を頭の後ろに回して足を組み、そわそわする心を落ち着けるべく空を流れる雲を眺めていた。
詩音との約束の時間は十二時。
だけど、一時を過ぎても、未だ彼女は現れなかった。
といっても、別に約束を破られたわけじゃない。詩音に急なトラブルがあったからだ。
──『すいません! ちょっとワン吉を動物病院に連れて行かないとなんで、少し遅れてもいいっすか?』
急に掛かってきた詩音からの電話。
焦りにも似た慌ただしさを感じる声に、
──「こっちの事はいいから! 早くワン吉を病院に連れて行って!」
と、有無を言わさずあいつを急かし、早々に電話を終えたのが大体一時間半前。
ワン吉に何があったか知らないけど、ペットって飼い主から見たら家族みたいなものって言うし、大事にしてやって欲しいって思ったからこそ、そう口にした。
で、その後メールも電話も来ないまま今に至る。
初めて詩音に会った時、めちゃくちゃ元気そうだったワン吉。ゲーム内でこんなイベントがなかったのもあって、流石に少し心配だ。
大事じゃなきゃいいんだけど……ふわぁ……。
自然と出る生欠伸をごまかすように、俺は背もたれに身を委ね、天を仰ぐように空を見た。
詩音とワン吉が心配な事に嘘はない。
ただ、陽射しと気温がちょうど心地よい今の時間。こうやって日向ぼっこのように外にいるのは、昼を食べてない空腹な状況であっても眠気を誘う。
そういや今まで試してこなかったんだけど。もしここで俺が昼寝したら、この後どういう展開になるんだろうか?
詩音とのデート日だから途中で起きれるのか。それとも普段寝た時と一緒で、勝手に日が進んでデートをすっぽかした事になるのか。
眠気もあって試したくもある。だけど、うたた寝なんてして連絡に気づかないなんて事になるのは、流石に詩音に悪い。
ここはなんとしても、堪えないと……ふわぁ……。
◆ ◇ ◆
……ん……なんだ、これ……。
何か、いい香りがする……。
頬に感じるこれは……これ、枕か?
目を閉じたまま、俺はゆっくりと片手で枕の感触を確かめた。
ざらっとした肌触り。だけど、感触は柔らかい。
これなら、寝心地もいいかも。やっぱり、家は落ち着くな……ん? 家?
あれ? 俺、いつの間に家に帰ったっけ?
そう思った瞬間、少し肌寒い風が頬をなでた。
風……窓なんか開けた記憶がない。っていうか俺、今どこにいるんだ?
ゆっくりと目を開けると──夕焼け色に染まった景色が縦に見えていた。
えっと……あれが木。そっちが垣根だろ? で、正面に見えるのは歩道。ってことは、ここはさっきまでいた公園か。
しまった。いつの間にか寝てたのか。で。視界に映るこれは……。
俺は左手で右頬に当たっている紺色の何かを擦りながら、それを観察してみた。
所々白くなっている、独特な触り心地の布地……これは多分デニム生地か。
……ん? デニム生地?
動かしていた手を止める。俺はこんな敷物なんて用意していない。それどころか、柔らかい枕になるような物すら持っていなかった。って事は……。
俺は恐る恐る、ゆっくりと顔を空の方に向ける。
見えていた木々が視界から消え、茜色の雲が浮かぶ夕焼け空が広がり始める。けど、真上を向く前にそれを遮る何かが現れた。
あまりない胸越しに見えたのは、青い髪を垂らしたまま、こっちを見下ろすように俯く、褐色の肌をした愛らしい顔の少女。
目を閉じ、すーすーと寝息を立てているこの子は……し、詩音んんんんっ!?
思わず叫びそうになるのを、咄嗟に両手で口を覆い何とか堪え、俺は彼女を起こさないように再び顔を戻した。
彼女はいつの間に来てたんだ!? っていうかそれ以前に、なんで俺は膝枕なんてされてるんだよ!?
頭の中でパニックを起こし、どうすればいいかわからずその場で固まる。
さ、流石にこのままじゃやばいよな?
だけど、ここで無理に起きたら、詩音を起こさないか?
と、とはいえ。このまま頬に太腿の柔らかい感触を味わっているのはどうなんだ?
それはそれで彼女に幻滅されないか?
どうする? どうすればいい?
ばくばくする心臓。恐ろしく背徳的な状況に、まったく頭が整理できない──。
「ん……あれ……」
!?
突如耳元に届いたどこか呆けたような声に、俺は体をびくりと震わせる。
し、詩音の奴、起きたのか?
「先輩?」
多分、俺が反応したのに気づいたんだろう。
呼ばれたのに、気づかない振りをするわけにいかないよな……。
まるで巻き戻るかのように、ゆっくりと顔だけ上に向けた俺と、見下ろしている詩音の目が合う。
まだ眠いのか。少し目がとろんとしていた彼女は、俺と目があった瞬間、ふっと微笑んだ。
「おはようございます。先輩」
「あ、ああ。おはよう」
自分で笑っておいてなんだけど、流石に表情が硬い。寝ぼけているからかわからないけど、詩音が嫌そうにしてるようには見えない。
とはいえ、彼女が起きた今、流石にこのままってわけにはいかないよな。
「ご、ごめん。助かったよ。んーっ!」
ぎこちない台詞回しのまま、俺はそそくさと体を起こすと、詩音の脇でベンチに座ったまま大きく背伸びをする。
ま、まずは落ち着け。平静を保ってこそ年上だろ。
流れで大きく深呼吸をし、必死に気持ちを落ち着ける。
で、でも、ここから何を話せばいいんだ?
俺からすると気まずさが半端ない。でも、詩音はどうなんだろうか?
横目でちらりとあいつを見ると、目が合った瞬間またにこっとする。
「先輩、よく眠れたっすか?」
向こうからの問いかけは自然。嫌われたとか嫌がられた素振りがないことにちょっとほっとする。
しかし、よく考えたらなんでこんな事態になったんだ?
「ああ。でも悪い。膝枕なんて重かったよな?」
「いえ。先輩の可愛い寝顔が見れましたし、役得っすよ」
……そういう事は言うなって。
気恥ずかしさをごまかすように頭を掻いた俺を見て、詩音がくすくすと笑う。
さ、流石に後輩相手とはいえ、この空気はきつい。
……そうだ。
「そ、そういや、ワン吉の件はどうなったんだ?」
機転を利かせ話を逸らすと、彼女は少し困ったような苦笑いを見せた。
「あいつは全然大丈夫でした。ご飯を食べた後、苦しそうにしたから慌てて動物病院に連れて行ったんですけど、ただ食べ過ぎてお腹が苦しくなったみたいで」
へ? 食べ過ぎ?
あの図体だから食いそうって話はともかく、外で飼ってたらそういうこともなさそうだけど。
「そんなに餌をやったのか?」
「いえ。あいつは普段、家の中で一緒に過ごしてるんですけど、後で家を調べたら、こっそりおやつをつまみ食いしてたみたいっす」
「あー。そういうことか。でも大事じゃなくて良かったな」
「そうっすね」
安堵した俺に釣られ詩音がは小さく笑うと、正面に向き直り俯き加減になる。
「でも、そのせいで先輩に迷惑かけちゃったっすね」
「迷惑?」
「ええ。僕から誘ったのに、随分待たせちゃいましたし……」
「そんなの気にするなって」
「気にします。待たせ過ぎたせいで、先輩も眠くなったんですよね?」
それはないとは言えない。とはいえ、そこまで深刻に捉えなくてもいいのに。
落ち込む詩音の横顔を見ていると、痛々しくなる。
何とか元気づけたいけど……まあ、なるようになれだ。
「確かに。眠くはなったな」
「ですよね。本当にすい──」
「だけどな」
敢えてあいつの謝罪の言葉を遮ると、詩音が顔をこっちに向ける。
あいつと目が合った瞬間、俺は本気で気にしてない。そんな思いを込め笑ってやった。
「詩音の電話越しの声を聞いて、家族であるワン吉が大事だって伝わってきた。だから、そのために最善を尽くしたお前は何も悪くないって」
「そう、ですかね?」
「勿論。それに、結果としてこんな可愛い子に膝枕をしてもらえたんだ。こっちこそ役得だって」
こんな冗談まで言っとけば真面目になり過ぎないし、あいつも湿っぽい空気から抜け出せるだろ。
やっぱりこういう時は人生経験の差が出るな。よくやったぞ俺。
心の中でそう自画自賛していると、目を合わせていた詩音の表情が一変した。




