第十七話:酷い女にございます
「私は、酷い女にございます」
「え? 酷いって、何が?」
「先程もお話しした通り、私はわかっていたのです。貴方様がエリーナ様を想い、誠実に行動していらっしゃったのを」
確かに。今までの会話を聞いている限り、沙友理はそこを理解していた節がある。
「でも、不純に感じたんですよね」
「はい。確かに、少しはそのような気持ちを抱きもしました」
「へ? 少しですか?」
「は、はい……」
いやいや。俺を咎めた時の熱量は、どう見ても少しって感じはしなかったけどなぁ。
俺が首を傾げた理由を、流石に理解してるんだろう。
ちらりとこっちを見た彼女は、恥ずかしさを隠そうともせず、ひとつため息を漏らす。
「翔君がエリーナ様に対してとった行動を見た時、私が初めて覚えた感情は、恥ずかしさでした」
「それって、不純だからじゃないんですか?」
俺の言葉に、沙友理は首を横に振る。
……え? どういう事だ?
「私は、考えてしまったのです。も、もし……私が、貴方様にそうされた時の事を……」
小さな声で呟いた彼女が、俯いたまま真っ赤になる。
そんな恥じらう彼女を見て、俺は内心思ってしまった。
あー、そうきたか……って。
「もし同じ事をされたら、不純だと思いながらも、同時に喜びを感じてしまうかもしれない。そんな感情が入り交じってしまい、その……不純だと思いこまなければ、私の身がもたなかったのです……」
……沙友理は恋愛奥手で真面目過ぎ。そのせもあって、こういうギャップが生まれるのは何度か見てきた。
でも、やっぱりゲームで見てきた以上に、反応が過剰というか、大袈裟というか。何か極端に隔たってるんだよなぁ。
それが悪いってわけじゃないし、可愛げがあるなぁとは思う。
ただ、こういう時、どう扱ったらいいのかわからないのは、やっぱり自分が女性慣れしていない証拠。
うーん……。なんて返せばいいんだろう?
頭を軽く掻いていると、沙友理がちらりと上目遣いにこっちを見る。
ゔ……やっぱり、こういう仕草はドキッとするくらい可愛いだろって……。
「え、えっと。それで、感情がごっちゃになっちゃって、泣いたんですか?」
「それも、ございますが……」
ちらちらっと様子を伺うように、こっちを見たり目を逸らしたり。眼鏡の下で少し迷いを見せた後、彼女が事実を話してくれた。
「そんな身勝手な理由で恫喝してしまったにも関わらず、翔君が私の事を考え、お話をしてくださった。それが、その……嬉しくて……仕方なかったのです……」
そう言いながら、また目が潤みだしてくる沙友理。
「せ、先輩! ハンカチ! ハンカチ!」
思わず声を上げた俺にはっとした彼女は、またテーブルに置いていたハンカチを手にし、涙を拭う。
ったく。流石に涙脆すぎだって……。
そんな気持ちと同時に、先輩キャラではあるものの、やっぱり内面は恋する乙女なんだなってのを感じる。
……でも、きっとヒロインはみんな、そうなんだよな。
開幕からいきなり好感度が最高になっている。それは言い換えれば、最初っからみんな、俺に恋をしている事になるわけで。
俺の言葉や振る舞いひとつで、一喜一憂するのも仕方ないんだろう。
今回は多分、俺の行動に間違いはなかったんだと思う。
嬉し泣きをしてくれたってことは、俺が俺なりに沙友理の事を考えて行動したのが、功を奏したって事なんだから。
涙を拭き終えた沙友理が、大きく息を吐いた後、改めて背筋を正してこっちを見る。
「翔君」
「はい」
「あの……どうか私と、デートを続けていただけませんか? その、嫌でなければ、ですが……」
彼女なりに、勇気を出して口にしたんだろう。
普段の風紀委員をしている時のような、真剣な目で俺を見つめてくる。
まあ、こっちは元々そのつもりだったし、ちゃんと伝えることを聞いた上で彼女が決断したのなら、別に構わないか。
「構いませんよ。ただ、ひとつだけ」
俺は真剣な顔をしたまま人差し指を立てると、諭すようにこう続ける。
「俺もできる限り先輩を不快にさせないよう気をつけますし、自分でも不純だと思うような行動はしないつもりです。でも、俺が良かれと思った行動が、先輩にとって不純や不快に感じる事もあるはずです。だから、嫌な時はちゃんと言ってください」
「……はい。承知しました」
凛とした雰囲気のまま、しっかりと頷く沙友理。
それを見届けた俺は、緊張を解くと彼女に笑いかけた。
「でも、沙友理先輩がいきなり泣き出した時は、本気でどうしようかと思いましたよ」
「そ、そうですよね……」
流石にバツが悪くなり、沙友理は身を縮こまらせ視線を逸らしたんだけど。
「で、ですが……それは、翔君が魅力的だから、いけないんですよ」
なんて、口を尖らせながら恥ずかしげに、囁き声で口にしてきて。その破壊力に俺も一気に気恥ずかしくなっちゃって、目を泳がせ頬を掻く事しかできなかった。
◆ ◇ ◆
あの後、折角なので紅茶のおかわりとケーキを堪能した俺達は、そのまま店を後にし、一旦駅前に戻り始めた。
「先輩。今日どこに行きたいとか、リクエストはありますか?」
「あの。翔君が良ければ、その……遊園地などはいかがでしょうか?」
遊園地か。デートの定番っちゃ定番。
まあ、それだったら会話にも困らなそうだし、何より沙友理からの提案。
流石に本人も嫌じゃないだろうし、問題ないだろ。
「わかりました。じゃ、そうしましょう」
「ありがとうございます。それで、あの……」
と、歩いていた彼女が歩みを止めると、両手を胸元でぎゅっと握りしめ、顔を真っ赤にしながら上目遣いにこっちを見る。
眼鏡の下の整った顔が見せる何かを決意した表情に、こっちまで緊張させられていると。
「そ、その……手を、繋いでも……よろしいでしょうか?」
って、いきなり!?
── 「だから、一緒に出かけたりしながら親しくなって、その中で互いに心許せるなら手を繋いでみる、っていうのはどうでしょう?」
今回の約束をOKした時、確か俺はこう言ったはずだよな。
まあ沙友理からすれば、既に俺に心許しているって事なのかもしれないし。俺もまあ、遅かれ早かれだと思ってたから、ある程度覚悟はしてる。
ただ、一緒に出かけたりしながら親しくなってって件、完全にすっぽ抜けてる気もするんだけど……。
「あ、え、えっと。その、先輩、無理はしてないですか?」
「は、はい。こ、心構えは、出来ております」
こっちの戸惑いなんて関係なく、まるで最終決戦に向かうくらいの意気込みで、しっかりと頷く沙友理。
ま、まあ、綾乃や渚とは手どころか、腕も組んでるし。本人がいいって言うなら、いいっちゃいいんだけど……。
自分の顔が、みるみる真っ赤になっていくのがわかる。
い、いや。何気にこの世界に来てから、誰かとまともに手を繋いだ記憶はない。一応、映画を見ながら渚に手を重ねられた記憶はあるけど、何故か腕を組む機会の方が圧倒的に多かったし。
ここで断ったら沙友理が落ち込みそうだし、本人が覚悟してるっていうなら、俺が頑張ればいいだけ……。
心臓が一気にバクバク言い出したのを、大きく深呼吸して一旦押さえ込む。
「わ、わかりました。ただ、嫌な気持ちになったら、ちゃんと言ってくださいね」
「は、はい!」
って、何で俺達はこんなに緊張してるんだって!
会話はまだ普通。だけど、まるで武道の先生と生徒が稽古するくらい、変な気構えを見せている。
どちらが仕掛けるか……って言わんばかりの空気の中。
先に動いた沙友理が、おずおずと俺の前に右手を差し出す。
目を逸らし赤面したまま、恥ずかしそうに。
こ、こういう時は、男がリード、だよな?
訳がわからない理論で自分を鼓舞し、俺もゆっくりと、震える左手をそっと添えた。
沙友理の手も渚の時と同じで柔らかい。けど、その慣れない感触のせいで壊れ物を触るような気持ちになってしまい、動きが止まってしまう。
こ、これ以上強く握っていいのか?
そう迷っていた俺の心を知ってか知らずか。彼女が俺の手をゆっくりと握りしめてきた。
ふと沙友理の顔を見ると、ぎゅっと目を閉じたまま。
そこから、ゆっくりと薄目を開け繋がった両手を見た後。あまりの恥ずかしさに目を逸らすと。
「……ふ、不純なのに……嬉しい……」
なんて、困ったように囁かれ。
恥じらい交じりのその一言は、まるで俺の脳を溶かすかのように、頭を真っ白にする。
そのせいか。俺達二人は互いに惚け、暫くそのまま動けなくなった。




