第十二話:着いたのです!
あれから少しの間、エリーナを撫でていた俺。
周囲がこっちの事なんて気にしてないのには、正直ほっとしてる。
だけど、終わりの声が掛からずずっとこれを続けているのに我慢できなくなり、
「そ、そろそろ行こうか」
なんて言って手を引っ込めた。
「は、はいなのです」
エリーナもはっとすると、顔を真っ赤にしたまま俺の服の袖をつかみ、並んで歩き始めた。
だけど、さっきまでの緊張があってか。お互い無口のまま。
や、やっぱりあれは、流石に気まずかったか?
だけど、エリーナも望んだはずだし、嫌がってはいなかったはずだよな?
こ、こういう時こそ、少しは大人だって所を見せないと……。
「そ、そういや、次はパンダを見に行くでいい?」
「え? あ、は、はいです」
俺の声に反応して、こっちを見上げた彼女は、どこか困ったような顔をしてる。
やっぱり、エリーナは俺に頭を撫でられるのが嫌だったのに、我慢してたんじゃないか?
そんな不安を煽る表情に、俺の弱気な心があっさりと言葉を吐かせた。
「さっきはごめん」
「え? 何がですか?」
「あ、いや。急に頭を撫でて。嫌だったよね?」
俺の言葉を聞いた瞬間、彼女は両手と首をブンブン振る。
「そ、そんな事ないのです!」
「え? でも、今気まずそうな顔をしてたよね?」
「あの、それは……翔様が急に手を引っ込めたので、実は嫌だったのかなって、思ったのです」
「へ? そうなの?」
「は、はい。その、私は凄く落ち着いたし、安心したのです! だから、その……もっとされてても、良かったのです……」
……エリーナの恥じらい顔と囁くような声、本気で反則だって。
真っ赤になりながらも、上目遣いじっとこっちを見ている彼女。
きっとその真剣な瞳は、これが本当の気持ちなんだって、必死に伝えようとしているのかもしれない。
「あの。私、さっき翔様が話してくださった通り、今日、すっごく楽しいのです。自分が見たい物を自由に見られてるし、こうやってお友達と出かける事もほとんどなかったから。だから、さっきのもすごく嬉しかったし、翔様といられて楽しいです! 嫌な事なんて何もないのです!」
沈黙に耐えられなくなったのか。足を止めたエリーナが、彼女なりに必死に想いを言葉にしてくれる。
勝手に上がっている好感度。
だけど、それがあったにしても、その言葉は間違いなく本音なんだって感じ取れて、俺は胸の奥がじーんと熱くなった。
元々奥手なエリーナが、ここまで口にしてくれたんだから。
彼女の頑張りに報いるよう、俺は笑顔を向ける。
「そっか。良かった。正直俺も、高校まで女子と一緒に帰ったり、こうやって出かける事なんてなかったから、さっきのも嫌じゃないかって不安でさ。でも、エリーナがそうじゃないなら良かったよ」
「は、はい! ちなみに、その、翔様は、楽しめてるですか?」
「ああ。俺もちゃんと楽しんでるから、本当に大丈夫だよ」
「よ、良かった」
ほっと胸を撫で下ろしたエリーナに、俺も微笑ましくなって自然と笑みを浮かべた。
「じゃ、行こう」
「は、はいです」
そして、俺達は再びパンダのいる展示場に向かったんだけど……。
◆ ◇ ◆
「うわぁ……」
「凄く、人がいるのです」
野外にあるパンダの展示場。
そこにはエリーナの言葉通り、凄い人集りができていた。
まあ日本でもパンダが見られる動物園って貴重だもんな。
これくらい人気になって当然か。
「これじゃ、パンダが見られないのです……」
しょんぼりする彼女の反応も最も。
一応俺の身長なら、後方でも何とかパンダを視認できる。
だけど、背の低いエリーナじゃ最前列にでも行かないと、その姿を見るのは難しいだろう。
となると……って、あれ?
すっかり忘れてたけど、もしかしてこれって、エリーナの春のスチルイベントじゃないか?
パンダだったか忘れたけど、人垣で目当ての動物が見られない彼女の願いを叶えるべく、肩車をしてあげるイベントがあったはずだ。
つまり、今回はその流れを踏襲してやればいいって事か。
何かが変わるわけでもないだろうけど、展開は寄せておいた方が、好感度は維持できるだろう。
「エリーナ」
「は、はい」
目線を合わせるべく屈んでエリーナを見ると、ちょっと驚いた彼女が緊張した顔をする。
「エリーナは、パンダが見たいんだよね?」
「は、はいです」
「じゃあ、肩車しようか?」
「え……えええっ!?」
俺の提案にエリーナが目を丸くする。
そりゃ高校生にもなって、リアルにこんな提案されたらこんな反応にもなるだろうな。
「でもでも、私きっと重いのです」
「大丈夫。力には自信あるし」
うん。体育ステータスは高いはずだし、エリーナ一人くらい、流石に大丈夫だろう。
「勿論、嫌なら無理しなくていいよ。ただ、人混みがいつ捌けるかもわからないし。見たいなら、協力するから言って」
こっちは大丈夫ってのをしっかり伝えるべく、笑顔を崩さず様子を見守っていると。
「じゃ、じゃあ、お願いするのです」
まだ遠慮がちだけど、彼女ははっきりと言葉にした。
うん。こういう風に前向きになってくれた方が、ちゃんと楽しめるだろうし。スチルイベント的にも正解なはず。
まあ、これまで普通のイベントタイミングで十分翻弄されてるし、特別感はあまりないけど、それでもヒロイン達の記憶に残るイベントにはなるだろうしな。
俺はエリーナに頷くと、両膝を地面についてより姿勢を低くする。
「じゃあ、肩に乗って。俺の頭に寄りかかってもいいから」
「は、はいです。では、失礼するのです」
少し緊張した声で、彼女が俺の肩に片足を掛けた瞬間、顔の脇をスカートの裾からはみ出た、彼女の生足がすっと通り過ぎ──って、しまった!
肩車をしたら、こうなるに決まってるじゃないか!
白く透き通った肌。
同時に首に少しその柔らかさを感じ、俺は思わず固まってしまう。
「うんしょ……」
俺の動揺なんて知らないエリーナは、そのまま動きを止めない。
そして、まるで顔を挟まんとするかのように、新たに姿を見せたもう一方の生足。
この至近距離でこんな刺激的な経験をするなんて思ってなかった俺は、思わずごくりと生唾を飲み込む。
女子高生の……生足……じゃなくって!
い、いいか? 別に俺はこういうのを期待して提案したんじゃないんだ。
変な目で見るな。そう。足は気にせず正面だけ見ろ。
「こ、これで良いのですか?」
視線を彼女の足から外し、必死に落ち着こうとする俺に、彼女が確認の声を上げる。
流石にこの状態じゃ、互いに顔を見るのなんて無理。
とりあえず、足は肩に掛かってるし、頭にも彼女の寄りかかってる感覚はある。
って、これはこれでどきどきするな……じゃない!
「だ、大丈夫。これから動くけど、頭を掴んじゃっていいから。行くよ?」
「は、はいです!」
羞恥心を吐き捨て、俺は気合いを入れると、そのままバランスを取りつつ立ち上がった。
自分で言うのもなんだけど、すっと普段のように立てた事にちょっと驚く。
予想以上にエリーナが軽く感じるのは、彼女の小柄さもあるけど、体育ステータスもちゃんと上がってる証拠か。
人を肩車なんてした事がないとはいえ、これはこれで新鮮──。
「み、見えたのです!」
と、エリーナが突然、嬉しそうな声で叫んだその瞬間。俺は思わずはっとした。
……なんで、視えたんだ?
脳裏に鮮明に映ったのは、当時のキュンメモのスチルイベントと同じアングルから見た、満面の笑みを浮かべた彼女の姿。
もちろん当時のドットなんかじゃなく、今こうやって一緒にいる、リアルなエリーナがだ。
「小さなパンダさんもゴロゴロしてます。可愛いのです……」
こっちの頬が自然と緩みそうになるくらい、エリーナは幸せそうな笑顔で遠くを見ている。
ただ、それでも彼女が見えている自分への違和感だけは、心に強く残っていた。
「翔様も、見えてるですか?」
こっちへの呼びかけにはっとした瞬間。まるで白昼夢のように見えていたエリーナの映像は消え、人混みの頭越しにパンダが見えた。
……今のは、何だったんだ?
胸キュンメモリアルの世界だからこそ、ゲーム的な要素って事でいいんだろうか?
それとも、俺がエリーナに絆されていただけなんだろうか?
「……翔様?」
「え? あ、ああ。見えてるよ。やっぱり可愛いよね」
頭の上からする疑問の声に、我に返った俺は慌ててそう取り繕う。
反応が変になったか心配だったけど、
「はいです! あのあの、もうちょっと、見てても大丈夫、ですか?」
という返事を聞く限り、一応大丈夫そうかな。
「大丈夫だよ。こっちは全然辛いとかないから。次いつ見に来れるかもわからないんだし、しっかり目に焼き付けておこう」
「は、はい! ありがとなのです!」
お礼の言葉を最後に、また暫く無言になったエリーナ。
だけど、時折漏れる感嘆のため息や、「可愛いのです……」という呟きは、間違いなく彼女が満足していることが伺える。
……彼女をここに連れてきて良かったな。
内心ほっとしながらも、俺はさっき見た白昼夢のような光景の事が少し気になっていた。




