第75話 秘密会談
ガスコインがやぶれかぶれの粛清を始めてから、アカネマルは半ば謹慎扱いで表立った会議には参加していない。専有している本丸の天守閣にこもって、下界で進行する事態をうかがっていた。
アッティラ家を通じた外国勢力との関わり、メンフィス王国との利権疑惑、ショコラ・イナムラを通じた宗教勢力との癒着とザンジバル難民の糾合、沿岸貿易商社への利益誘導、反乱軍への内通、その他あらゆる疑惑をかけられている。そしてその疑惑のほとんどは事実に近かった。
一時はアカネマルに追い詰められて失脚寸前になっていたガスコインの権力は絶頂を迎えていた。配下の特捜を差し向けてきたがしかし、捜査は形だけのもので終わっている。その後も裁判機関の尋問も国会の査問も一向に受けることはない。高官達は誰もがガスコインの凋落を自明として動いていたし、なによりアカネマルの報復を恐れているからだった。表向きの謹慎とは裏腹に、実際は変化する事態のひとつひとつに楔を打ち込みながら、水面下では益々そのカリスマを閃かせているアカネマルだった。
レンジ逮捕の一件でギンに散々責められた後だった。あの子を外に出さないようにあれほど忠告したのに、それについての不手際はギンの責任じゃない。
しかしここは正念場だった。目の前に座る男の意図を見抜くまでは王手をかけることはできない。完璧な警護と完全に人払いを施した天守閣、簡素で豪華な部屋で対峙した。
巻き起こしている事態の甚大な規模にしては若く見える、それがアカネマルをしても畏怖を感じさせた。気さくで豊かな表情を浮かべる男だが、大きく濃い紫色の目が底知れない。その深みから人を戦慄させる覇気があふれている。本人を名乗って表舞台に姿をあらわしたのは初めてだった。
「俺が生きて目の前にいるってことは貴様の負けだ、アカネマル」
「いまここで首ねじ切って殺してもいいのよ」
脅しを鼻で笑ってジギラニラゾは続ける、
「ガスコインのおっさんはほっといていいのか?」
ぬけぬけと言ってのけた。アカネマルの権力と動きを抑えるためにガスコインを操って粛清に走らせたのはジギラニラゾだった。
「どんな手でそそのかしたのよ」
「田舎の遊牧民が複雑な沿岸経済をまわせるわけがない、戦後ほどなく政権交代がおこる、そのときに返り咲く椅子を用意する。信じるか? ふつうそんなこと」
そもそもの最初から今いる地位の責務を果たす能力がない。それを指摘されること、その現実を突きつけられることからなんとしても目を逸らして逃げまわる。それがガスコインという小心な男の仕事の全てだった。
組織で最も危険なのが小心な人間だ。職業倫理や長期的な展望や志よりも必ずその場しのぎの保身を優先する。結果、人を売って真っ当な人間が想像できないような汚い愚かな真似をする。アカネマルがあの負け犬のプライドを完全に潰すのをさけてあやしてきたのもその一線を越えさせないためだったが、ジギラニラゾの手が早い。アカネマルは後手にまわっている。
「テロリストが殺す人間の数なんて微々たるもんだ。おまえら政治家の無能と怠惰で殺される人間の数に比べたら」
アカネマルは言葉を返さなかった。
ジギラニラゾは上質な皮のジャケットと乗馬ズボン、ブーツの足を組んで座っている。目立たないための服装は、その独特の存在感と背徳の気配を抑えられていない。目につく武器は腰に吊るしたサーベルだけ。アカネマルは鉞を背負ったまま椅子を引き気味にしてさりげなく警戒している。
「ドラゴンにとどめを刺される前から、長く平和が続きすぎたカンナビは組織も人も終わってた。どのみちこの国は自壊する」
「よくもまあ、煽ったもんねぇ」
「平等を謳う平和な時代に、格差と階級の固定を放置したからだ。世にあふれたもてないやつ、もってないやつを煽るのは簡単だ、連中はいつも不安でしょうがない」
「念のため聞くけど、聖女の生贄の効果の真偽は」
「あらゆる偽情報は勝手に増幅して、心弱い愚民の恐怖と不安にとり憑く。オロチに聖女を捧げればなんとかなるって? アホかよ。反対派の支柱になってた彼女が煙たかったんだろ。貴様でなければ、煽って放置したのはガスコインとその支持層ってとこか、俺の知ったことじゃないな」
自分はやりもしないしできもしないことを人にやれと言ってまわるか、他人の手柄でイキがるか。平時は左右二派に分かれて互いの卑しさを競い合っている政治関心層が、街ではいま暴力と排除の尖兵を担っていた。
「沿岸の富裕層と内陸の遊牧民、金持ちと貧乏人を分断して対立をうながしたのは俺だけどな。両翼の票田を利用してのしあがったのは貴様だろうが」
元々、野党と過激派のカラマーゾフ倶楽部に資金を流してコントロールしていたのは与党幹事長のアカネマルだった。政権をとる気も力もない野党は、与党の票と権力を盤石にした。さらにドラゴンの被災と混乱の渦中に民衆は強権を支持した。先鋭化して暴走したジギラニラゾを抑えられなかったのが天下を目前にした彼女の唯一の誤算だった。
「しかしまさか、一匹目のオロチを倒すとは思わなかった、見事だ。レンジが討ちとったって聞いた時は震えたぜ。もってるよな、あいつ」
アカネマルが余計な話には乗ってこない様子を見て、ジギラニラゾは本題に入る。
「午後の会議で正式に提出、即時調印される予定の条約だ。要求の一覧に目を通せ、すべて無条件で受け入れてもらう、例外はなしだ」
アカネマルはあらかじめ机に置かれた書類を取りあげる。
「それと俺からの追加の要求をひとつ呑んでもらう」
「それでのこのこ姿を見せたってわけね」
「レンジの身柄だ。ガスコインが手玉にするつもりで捕らえているが、貴様ならなんとでもできるだろ」
「みんなあの子にご執心ねぇ、ドラゴンの宝珠なら持ってないわよ」
アカネマルは書類に目を落としたまま対応する。
「そんなんじゃねぇよ」
見誤ったかしら、レンジとこいつのつながりには特別な要素はないと判断した。
「理由を言いなさい、言わなければあの子は殺す」
ジギラニラゾは、ん、と声にならない声をだしてからしばらく視線を泳がせた。その様子を見てアカネマルは舐められている侮辱を感じて怒りをおぼえた。こいつ、本気で考えこんでいる。
「あいつといると……」とってつけるように言葉をもらした、「一番正しかった頃の自分を思い出す」
「いいわ、あの子は殺す」
「なら、オロチに喰われるといい」
アカネマルはゆっくりと視線を送って邪悪な笑みを浮かべて言った。
「ガキに浪漫なんか見てるから、あんたはテロリストどまりなのよ」
ジギラニラゾは舌打ちする。
アカネマルは書類を机に放り投げて聞いた。
「オロチは間違いなく退治できるのね」
「俺の仕事は、反乱軍の要求を通してオロチを処理するところまでだ。アムリタの搬入はカラマーゾフ倶楽部で行う、貴様は高みで見物してろ」
「そんなお酒で、ほんとに効果あるんでしょうねぇ」
「アムリタは霊酒だ、単なる酒じゃない。ヤシオリの魔導士に醸造させた。火入れの工程は間に合わなかったが、搬入後におこなう、杜氏も連れてきてる。オロチに飲ませて眠らせる」
「それから?」
「目をさます前に頭を潰せ。念のため両腕も切り落として得物も離しておいたほうがいい。兵力の提供はそちらの仕事だ」
「逃げたり約束を違えたり効果がなかった時点で全員殺す、カラマーゾフ倶楽部に少しでも関わった人間はその家族と親族も殺す。しっかりやんなさいよ」
こんなに態度の大きい人間には会ったことがない。ジギラニラゾは逆に痛快を感じて微笑んだ。一呼吸おいて語り始める。
「カンナビ沿岸の港は同時テロで足止めしたが、あと一、二週間もすれば海路は開けるだろう。海賊含めた寄せ集めだが、カラチには艦隊が集まり始めた、アッティラ卿経由でガージャールに働きかけたな? オアシスにはマムルークの分隊もいる」
「よく調べてるわねぇ」
「アレクサンドリアの胸の大きなねえさんもよく動いてるな。俺の暗殺で下手を打ったから挽回に必死だな」
ガブリエル、ジギラニラゾに通じたか? そう疑うよう仕向けられているか。アカネマルは兆した疑念を振りはらう。どのみちアレクサンドリアに手を伸ばす時間も人手もない。
「それとンゴロンゴロ部のゾーイって名前だったか? 貴様のところにカンナカムイの姫がいるな。ボブマーリーが見殺しにするとも思えない。レンジの彼女って、ほんとか?」
「まだキスもしてないわよ」
「だと思った」
アカネマルは緩みそうになる表情を引き締めた。
「確かに、時間が経てば我々反乱軍は不利になる」
ジギラニラゾはしばらく沈黙して、外の音を聞く素振りを見せてから、唐突に話題を変えた。
「オロチは酒が好きなんだ、酒に誘導される」
オロチを誘導する手段、それはジギラニラゾがもつ手のひとつで当然極秘にすることでその効果はあがる。あっさりとその秘密を漏らした。その手は必要なくなったということだ。アカネマルは咄嗟に最悪の予感に駆られた。
階下が慌ただしくなった。会合のあいだ誰も通さないように厳命したはずなのに、それを破って緊急の伝令が扉を開ける。
ジギラニラゾとの会合はその内容も含めて極秘中の極秘事項だった。アカネマルは厳しい一瞥と手の一振りで伝令をさがらせた。命令違反に下すアカネマルの処置は苛烈で知られる。喋らせなければ違反ではなく過失の処分で済ませられる。アカネマルなりの気遣いでもあり、報告を聞くまでもなく事態を想像できたからだった。新たな軍事行動以外の緊急は考えられない。
「三の丸には兵を入れない取り決めだったはず、これでは戦後の統治に禍根を残す」
初めてアカネマルに動揺が走った。
「仕事に締め切りがあるのはお互いだが、時間が足りないのは俺じゃない。ことが終わるまで貴様に主導権は与えない」
二人の視線が正面からぶつかり合った。
「条約は即時調印してもらう、レンジの身柄は俺にわたせ」
静かな凄みにアカネマルでさえ気圧される。
早く外の状況を確認して指揮をとらなければならない。焦るアカネマルの心情を察して、ジギラニラゾは殊更ゆっくりと言葉を紡いだ。
「レンジがいた国では尊厳と自由を売って給金にする階級をサラリーマンって言うらしい。多数派を占めているって、どの国も一緒だな」
「御託はよそでやんなさい」
「連中に望みをかけるな、目下の有り様を見ればわかるだろ。あいつらは自由も公正も独立も望んでいない、人間未満だ、何人死んだってかまわない。あの奴隷たちが欲しがるのは所詮、身分と差別だが、心の底で望んでいるのは終末だ」
動揺するアカネマルを呑み込むように、ジギラニラゾの紫の目に不穏な魔力が宿る。
「オロチを呼んでいるのはあいつらだ」
アカネマルは戦慄とともに悟った。政治も対話も無駄だ。この男にはこの世の管理も支配も及ばない。
「本当は終わらせたいんだろう、だから暗い方ばかり見る、だから悪いものばかり見つける。このまま混乱と危機が続けばいい、今日と同じ明日だけはきてほしくないから。世の終わりを待ち望んでいる」
危険すぎる。肩に一国を背負った政治家として、この男は殺す以外の手がない。
「レンジと話しててな、どうしても一度見たくなって、ダルエスサラームに入る前にザンジバルに寄った」
ジギラニラゾは組んだ足を解くと、机に両肘をついて乗りだしてアカネマルを見つめた。
「被災地は荒涼として静かで魂に響く風景だった」
アカネマルは赤紫の目に宿る狂気に射竦められた。
「この街もそうなるといい」
ジギラニラゾが席を立って「仕事を進めろ」と言い残して退室するまで、呼吸も忘れて動くことができなかった。初めて恐怖を感じた、他人の覇気に萎縮したのも初めてだった。




