第73話 ショコラは人差し指で天を指して微かに笑った
本丸の宮殿区域の主要門である大手門から、二の丸区域にある丘に向かって伸びる道には群衆があふれかえっていた。沿道の旧市街にはすでにあちこちから火の手があがっている。略奪と小競り合いの狂乱の中を、列をなして進む群衆の群れが異様だった。
レンジはチンチラに詫びながら、過去の失敗と後悔を思い出して、叫び出したい気分で歩き続けた。せめてショコラをなんとかしたい。
現世では、親の脛をかじってコンビニで豚の餌を食い散らかして、海や森を汚すだけ汚して死ぬだけだった。
今度はちゃんとしたいと思ったのに。
くやしくてあふれる涙を袖でこする。
また、なにもできなかった。
雑多な群衆が目に狂乱の光を宿らせて怒号をあげている。あの力なくうなだれていた住民たちもいまは拳を振りあげて興奮の声をあげている。なにかにとり憑かれたように、あるいはとり憑かれたなにかを祓おうとしているようにも見える。
誰か俺の命をもらってくれ、もう自分じゃうまくあつかえない。
ショコラの行列は海辺をでてから、本丸区域を抜けて二の丸の大手門通りまで進んでいた。群がり集まった群衆の行列の前には、明らかに乱暴された様子のショコラが素足で歩かされている。破られてわずかに残った袈裟の布で、胸と秘所を隠している。
武装した自警団が振るう武器にせっつかれて無理矢理に歩かされている。群衆があげる怒号のほとんどはショコラを侮辱する声だ、石を投げる奴、わずかに残された衣装の残りを剥ぎ取ろうとする奴までいる。
その光景はレンジの思考を飛ばした。ショコラに石を投げようとした奴の腰を後ろから蹴り砕いて刀を抜いて鞘をすてる。レンジは獣のような雄叫びをあげた。
「いた、レンジ、正面!」
ゾーイが叫んで三人は、抜刀して行列に突撃するレンジを見つけた。
「俺がいく!」
なんてめちゃくちゃな奴だ。ギンは二人を置いて全力で駆けだした。
走り始めてすぐにギンの耳に「レンジ・クロバネ、きたぞ!」と鋭く知らせる兵士の声が届く。嫌な予感、なにかの罠かと疑惑がはしる。
行列の先頭でショコラを囲んでいた、武装した自警団風の連中が、列から抜けだしてレンジに対峙した。
レンジはかまわずに魔力を刀身に集中させながら一気に距離を詰める。視界の隅に野次馬の列から抜けだしてきた兵士の一団の動きをとらえた。素早く背後を囲もうとしている。
ふり向きながら刀を一閃して空震を放つ。空気が白く爆発して、兵士の大半は衝撃波で吹き飛ばされたが、数人の兵士はその場で耐えた。訓練された兵士、精鋭だった。
「魔法を使うぞ! 宝具で拘束しろ!」兵士の一人が叫ぶ。
レンジはかまわずに向きなおってショコラへ走る。武装した自警団と対峙した。
殺す。
突然の大立ちまわりに群衆の声が一瞬鎮まり、そこへショコラの澄んだ声が響いた。
「レンジ、殺すな!」
声に惹かれて一瞬、ショコラと目を合わせたその時に、レンジの心にショコラの霊が降った。彼女は衣服がはだけるのもかまわずに、顔の前に上げた人差し指で天を指して微かに笑った。
乱戦が始まる直前で棒立ちになったレンジの背後から、空震に耐えた兵士が素早く攻撃を仕掛ける。剣の腹でレンジの頭を強打した。
レンジは視界に自分の鮮血が舞うのを見ながら倒れ込んだ。叫びをあげることで無理矢理に意識を呼び戻して闇雲に剣を振るう。
自警団と兵士たちは四方から一気に踊りかかった。レンジは強引に手を後ろにまわされて額を地面に押しつけられる。吹き出す血が目に入って、背中に乗りかかられて息ができない。地面の砂が唇を切って入り込んでくる。窒息しそうなまま首になにか巻きつけられて、思い切り引っ張りあげられた。
ギンは乱戦のなかに一直線に飛び込んだ。棍棒を振りかぶってレンジの膝を砕こうとしていた兵士の頭をつかんでその顔面に膝を入れた。レンジに組みついていた兵士の腰に当身を入れて昏倒させる。
レンジは背中を強打されて、組み伏せられたまま首に宝具を装着されている。
「どういうつもりだ!」
ギンが抜刀すると兵たちは気圧されて距離をとった。
「こっちも仕事なんだよ」兵の一人が怒鳴りつける。
「ばかやろう!」ギンは行列の群衆を指して怒鳴り返す、「仕事ならあいつらを取り締まれ!」
指揮官らしい兵が進みでてきて「この行列は許可が与えられている」と言ってギンに対峙した。
レンジは数人がかりで組み伏せられたまま激しく抵抗を続けている。
「おい、いい加減にしろ!」
ギンは兵士たちのあまりの手荒さに手加減も忘れて、レンジにのしかかっていた一人の鼻っ柱を拳で叩き潰した。
魔法を封じる宝具で首を引っ張りあげられたレンジは、頭から胸のあたりまで血まみれになっていた。怒り狂ってぞっとする唸り声をあげている。レンジを囲む人々が思わずその迫力に身を引いて沈黙する。
「殺してやる! おまえらみたいな奴らみんな殺してやるからな!」
レンジの呪いの叫びが周囲に響きわたる。群衆も兵士達もしばらく誰も言葉を発さなかった。
若い兵士が動揺して上官を向いて首をふった。自分たちのしている不義が良心を蝕んでいる。
「連れていけ!」
動揺する若い兵士を叱咤するように年配の上官が怒鳴った。
剣を抜いて距離を詰め始めたゾーイとチンチラをギンは厳しく制した。
指示をだしている上官の真向かいに、威圧的に立って問い詰める。
「ギン・ヴェルナツキー・アッティラだ。この少年の身柄は私に責任がある。正式に抗議するぞ、どこからの命令だ」
「レヴィアタン・ジギラニラゾとレンジ・クロバネがアレクサンドリアで連日会合をもっていたことは確認されている」上官が答える。「カラマーゾフ倶楽部の取り締まりは調査局の案件です」
「誤認だ! 彼はジギラニラゾが放ったオロチを討ちとっているんだぞ!」
「私に申されても困ります、アッティラ卿。上に言ってください、部下への暴力はひとまずは不問にしますので」
やられた、最初からレンジを捕らえる機会を窺っていたんだ。しかもあえて多くの人の目のある場所で捕らえた。




