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カンナカムイの翼  作者: ななじぬぅす
第8章 蛇のカルマ
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第68話 悪霊

 お喋りをしながら後片付けをしているときに、ゾーイが言った。


「最近雰囲気悪くなってきてる? わいわい話してるの、わたしたちだけかな?」


 ザンジバル被災民のキャンプにダルエスサラームの貧困層が合流して、スラムが拡大し続けている。界隈の治安も悪化するばかりだった。


 長く続く仮住まい暮らしと、情勢の停滞は貧困層の活力を奪い続けていた。食事時の活気もだんだん薄れてきていて、なんとなく荒んだ印象を受けるようになっていた。


 ショコラは炊き出しの残りを、いつも手早くお弁当にして持たせてくれた。


「今日のお弁当少なくてごめんね」ショコラは鍋の底に残ったスープをすくいながら言う。「いつ終わるのかわからないけど、こんな状況、いつまでも続けられない。物資も不足してきてる」


「櫓に役人とか軍官が休憩がてらくるんだけど、話を盗み聞く限り反乱軍との事前の交渉はもう始まってるみたい」レンジが言った。


「オロチに打つ手がないんじゃ相当不利な交渉になるね」


「アカネマルはなんか悪巧みしてるのかな?」チンチラがコンセイ様の先を手のひらに立てて、バランスをとって遊びながら言った。


「あの人、邪神か悪魔のたぐいと取引してるって噂があるね、見た感じ俺もそう思うよ」レンジが笑う。


 アカネマルにまつわる噂は良いも悪いも多すぎて飽和しきっているから、逆にどれもこれも信じられていないという独特の立ち位置にいたっていた。


「会ったことも会うこともなさそうな人のこと考えてもわからないのにね」チンチラが言った。


「アルーシャでオロチを討ちとった謎の美形戦士は俺だって噂を流してるんだけど、一向に広まらないんだよ、噂でもないのに」


「あれレンジじゃなくてランボー団長ってことになってるよね」ゾーイが笑いながら言った。


「美形ってとこが誇張だからじゃない?」チンチラが言うと、

「やっぱりそこかな」とレンジは笑って返す。「まぐれってところはあるけどね、たしかに」


「ランボーさんってパレードの時、アカネマルの後ろでレンジの横にいた人?」ショコラが聞いた。


「そう、マムルークの大将」レンジが答えると、

「彼かぁ、遠目には女性かと思ったけど、すっごい美形だったよね、わたし好みだな」とショコラが賛美した。


 しばらく女性陣がランボーの美貌を賞賛しているところへ、「実に気にいらない」とレンジが不満を表すとゾーイが、

「レンジだって雑に切ったじゃがいもみたいでかっこいいよ」と屈託のない笑顔で言ってくれた。


 サバンナ流の褒め言葉だと信じて余計なつっこみはしないのが幸せと判断する。


「ねえねえ」後片付けなどの雑用を一切せずに遊んでいるチンチラが聞いた。「ショコラは好きな人いるの?」


「なに急に」


「今流行ってるんだ、ボクたちの間で好きな人って」


「わたしは、聖職者だからして……」


「じゃ、付き合ったことないの?」


「聞き捨てならない」レンジが話にのってくる、「付き合ったことないのにこの間、俺にモテる男がどうのとかの話したの?」


「いや、ちょっと、それはだって」


「付き合ったことないの?」声を合わせてショコラを囲んだ。


「そんなに迫る? あぁ……」三人のキラキラ光る好奇の目線に、別に隠すことでもないのに照れてしまう。


「あるよ」


 チンチラとゾーイが猫科の獣のような勢いでくいついた。


「だれと? いつ?」


「えぇ、同期のケンシロウとぉ……エローラのヤギ小屋の裏で、というか……」


 動揺したショコラは余計なことまで話してしまった。


 女子二人が嬌声をあげて、また周囲の注目を集めた。


 話題が細部に至ってから、女性同士の会話からのけ者にされたレンジは、聞き耳を立てながら後片付けを行った。



「いまはみんなの言うことよく聞くんだよ」


 レンジは素直にうなずいて、また明日、と言って宿舎への帰路につく。何度もふり向いて、海辺のショコラに手をふった。


 帰るとき、彼女はいつも三人が椰子の並木に隠れて見えなくなるまでほかの作業をせずに見送り続けてくれる。不思議な力をもった人。


 今日も宵闇の迫る浜に佇んで、衣を潮風にはためかせてずっと手を振ってくれている。遠くで見えないけど、笑顔を浮かべているはずだ。


 難しいショコラの話を聞いて、考え続けることだけでも、気がまぎれて意欲が湧いてくるような気はしている。丁寧に気を遣って優しくしてくれているのもわかって、レンジは感謝の気持ちでいっぱいだった。



 ゾーイがコンセイ様を祠に返すチンチラに「レンジ、少し元気になって良かったね」と声をかけた。


 チンチラは祠に手を合わせてからふり返って、「あいつが元気ないとつまんないもんね、またバカなことしてくれればいいね」と笑った。



 立入禁止区域の外では、デモ隊がキャンプを囲むようにして怒号が湧いている。


 三人並んで宿舎に戻る途中で見かける難民たちの目と、デモに参加する雑多な人々の目がレンジの気に障った。


 街では次々に乱れ飛ぶ偽情報と怪文書、誰が言いだしたのかもわからない噂が人々の口にのぼるようになっていた。


 汚れなく徳の高い聖女の魔力でオロチは鎮まる。エローラの聖女ショコラ・イナムラをオロチに捧げよ。ザンジバル被災難民とダルエスサラーム下流民の糾合をはかっている。戦後の宗教界を牛耳ろうとしている。出どころもわからない真偽不明の噂話が民衆の不安と恐怖にとり憑いて、その噂は人々を善意と悪意の側に二分しながら素早く広がっていた。


「ショコラほんとに大丈夫かな、最近、なんか嫌な感じがする」


 ゾーイが特に心配して、アカネマルに頼んで人員を派遣してもらうか、夜は宿舎に一緒に帰るように勧めたが、ショコラは「そういうもんよ」と言って今日も気にした風ではなかったが。


 難民たちも海辺の人々も遠巻きな無表情に見える。しかしそれはよく見ると、怯えた上目遣いの陰険な表情、レンジの一番嫌いな表情。不快だった。せっかくショコラに元気をもらったのに。


 港から本丸区域へ登る長い石段から海辺を振り返って、レンジの胸が騒いだ。



 貧困層と、世論から忘れられた人々に手を差し伸べてその声を代弁したショコラに対して、民衆が手のひらを返すのは早かった。


 昨日までの善意と敬意は悪意と不信に変わり、幾日も経たないうちにその卑屈な視線はさらによそよそしく敵意を宿しはじめる。早くオロチの生贄になれ、そう思っている目に変わった。


 ほどなく海辺のスラムで大規模なデモが発生した。ショコラを生贄に捧げろと主張するほとんど暴動に近いデモだった。治安の悪化を理由に、難民キャンプを含めた海辺の区域はレンジたち部外者の出入りも禁じられてしまった。


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