第66話 噂の彼
マムルークの溜まり場ではミューズ時代のレンジの奇行が暴露されて笑いを誘っていた。
「なるべく人をさけて剣技と読書に没頭することで精神の均衡を保とうとしてたことは本人以外のみんなが気づいてた。自分以外のまともな人間に会ったことない、なんて図々しいことよく言ってたけど、やばいのはおまえだろっていうな」
ギンが話すとパトラッシュは笑い声をあげる。ランボーが、まあ健気じゃないか、と評して、一緒にミューズに通っていたゾーイにさらにレンジの詳しい様子を聞いた。
「なんかね、昼食の時間が決められているのが気に入らないって学食のおばちゃんと揉めたりもしてた、並ぶのが嫌だったみたいなんだけど、昼飯をいつ食べても食べなくても俺の勝手だろ! って。学食安くて美味しいって最初は気に入ってたのに、二度といかない! ってぷんぷんしてた」
「あぁ、それであいついつもおにぎり作ってたのか。自分で食べてたのかよ、懐いてた変な鳥にでもやってるのかと思ってた」ギンが納得する。
チンチラが思い出して、
「しかもおにぎりの形が変なの、三角にならねぇ、とか言ってさ、ダンゴムシみたいだったよ」とレンジの口真似をしながら、楽しそうに笑う。
「学校で一番許せないのが体育だって」ゾーイが続ける。
「あいつ運動得意だろ」
ギンが意外そうに言う。剣技の上達は天才的だったのに。
「それがね、学問しに来たのに体育ってなんだこのやろう、って。いい歳して雁首そろえて体操なんてみっともないことやってられるか、って。それはもうすごく怒ってたよ」
「俺の理解を超えてるな」ギンがつぶやいた。
「あとミューズでは十二時と六時に鐘が鳴るんだけどね、それがうるさいって、余計なお世話だろって、また怒って。不良に手伝わせて鐘を盗みにいったんだけど、鐘楼の上で鐘外そうとしてたところであっさり学長に見つかったの」
「そういうことほんとにやっちゃう子なんだよ」チンチラが言う。
「すごい開き直って、鐘を鳴らすから盗むんだ、その逆はないっ、きりっ」
「どういう意味だ?」
ギンが聞くとゾーイはレンジの顔真似を解いて、「もちろんわからないよ」と答えて続ける。
「不良たちが、先輩すげぇ、ってなって。鐘楼からおりてこないから学長にギン博士呼んでくるようにわたしが頼まれて、なんとか説得して鐘盗むのやめさせたの。それから鐘が鳴るたびに眉間に皺寄せて睨んでたよ」
ランボーが笑いをこらえながら「なにを?」と聞いた。
「わからないなぁ、鐘の音、かなぁ。あ、これ博士には言うなって言われてたんだ」
「いいんだゾーイ、俺はあきれたぞ」
みんなは笑って聞いているが、ギンは本当に不満顔だった。
「学長もゾーイもずいぶん控えめに様子を知らせてくれてたんだな」
「それで高等部の不良には崇められてたんだけど、レンジが言うには、不良のくせに決められた時間に昼飯食うからあいつらはインチキだ、って」と言ってゾーイは笑った。「学校きらいなんだよ、単に」
「昼飯がなんなんだよ、それこそどうでもいいだろ」パトラッシュは大笑いしている。
「入学してすぐそんなだったから。それからわたしと散歩したりする以外はずっと図書館にいるか農学部の動物見て過ごしてたみたい」
ミューズにおけるレンジの孤独癖はゾーイの孤高とは違う、なにか逃げ出すようなこそこそとした変わり者のそれだった。
ランボーは同情を込めて、「なにと戦えばいいのかわからなかったのかも」と云った。
「不器用だし偏屈者だし、でも頭は良くないね」チンチラはフォローするつもりが本音を吐いてしまった。
「やれやれだぜ」ギンが嘆息する。「学校なんてところは利害関係のない若くて暇な同世代ばかり集まってるんだから、友達も恋人も作り放題だろ。そんな貴重な環境に放り込んでやったのに、わけのわからない奇行を繰り返した挙句、唯一できた友達が下町の酒場の酔っ払いだぞ。学校と関係ないじゃねぇか、逆にどうしたらそんなろくでもない人間関係になるんだよ」
周りのマムルーク達も笑っている。
「その酔っ払い友達って誰だと思う?」ギンは間をとって言った、
「ここだけの話にしてくれよ、レヴィアタン・ジギラニラゾなんだよ」
沈黙がおりた。
「それで一人だけ厳重な監視と制限受けてるのか」
パトラッシュが言って、壁際でくつろぐカンナビ政府の軍官に目を向ける。
調査局所属と思われる抜け目のなさそうな鋭い目の人員が三人程度、交代でレンジを見張っている。レンジだけではなくマムルークの監視も兼ねているはずだった。彼らはそれを隠す気もないようで、普通に挨拶をしたり、たまに雑談などしながら職務を遂行している。アカネマルが派遣している要員に間違いなかった。命令の内容は監視だけではなく、ガスコイン派の接触を牽制することだ。今日の担当らしい若い軍官は、立場上なにも言えないが否定もしない、といった表情を浮かべている。
「カンナビの調査局が嗅ぎつけて、ミューズの学長経由で警告されたんだよ」ギンが続ける。「アカネマルにならまだ申し開きもつくが、ガスコインに痛くない腹を探られても面白くない」
街の治安も悪化の一途をたどり、民衆の余裕もなくなっていくばかり。政治も錯綜している。ある程度正確な情報を共有していなければかえって危ないとギンは判断して語っている。
「ミューズを離れたのもゾーイじゃなくてテロリストと飲み歩いてたあいつが主な原因だ。だから気にしなくていいからな、ゾーイ。いや、ちょっとは気にしとこうか、な」
ゾーイはギンの言葉で放校処分の件について少し気が軽くなったが、その分レンジの心配が増えた。
「レンジがよく話してた居酒屋マンボゥのにいさんって、そういう人……」
「だから情勢が白黒つくまでは目立たないで欲しいんだ。あいつからは目を離さないで欲しい」
困り顔のギンと心配顔のゾーイを眺めながら、チンチラは目と鼻の穴をいっぱいに開いて声をださずに笑っている。彼女は自分にわからないことで深刻になる習慣がない。レンジという愉快で謎めいた友達が珍事件を起こしてみんなを振り回すのがただ面白い。
チンチラの表情を見たパトラッシュが堪えきれずにまた吹きだした。
「団長、やっぱりあいつはうちに誘ってあげよう。よそにはお出しできない子だ」そう言ってさらに笑い転げた。
「ギン博士が手放してくれるかな?」ランボーが悪戯っぽい表情を浮かべてギンをうかがう。
ギンは一瞬虚をつかれたように戸惑いを閃かせてから、眉間に皺を寄せて困り顔を深くした。
「レンジはわたしがサバンナに連れて帰る」
争奪に割り込むようにゾーイが宣言する。彼女の声には本気が込められていて、一瞬みんなが沈黙する。
それから笑顔を花の香りのように振りまきながら、
「わたしが退学処分されそうになった時、結局そうなっちゃったけど、その時レンジがね、一緒にサバンナに帰ろうって言ってくれたっちゃ」と、サバンナ訛りでうっとりと語った。
「またその話かぁ」何度も聞かされる惚気話にチンチラがあきれる。
「なんの話?」ランボーが尋ねる。
「ゾーイはね」チンチラが楽しげに答える、「同級生をぶん殴って退学になったんだよ」
パトラッシュがソファの上で身をよじって笑う。「おーい、ゾーイぃ!」
「ねぇパトラッシュ聞いて、チンチラはね、試験が嫌で立てこもり事件を起こしたんだよ」
ゾーイが追い討ちをかけると、周りのマムルークも大笑いして部屋中に笑い声が響いた。
笑い声に被ってバタバタと騒々しい足音が近づいてくる。「あとでちゃんと自分で直すから、言いつけることないだろ!」とレンジの声。「また怒られるよ、おまえらのせいだぞ!」悶着が起きている様子で、やがてドアに足だか手だかが当たる音が響いた。
「噂の彼か?」
ランボーがつぶやくのと同時にカンナビ兵が姿を現して「アッティラ卿かランボー・ラブ司令、いらっしゃいますか」と声がかかる。
何事かと、共同スペースにいる全員の視線が集まる。
数人の兵士にぐるぐる巻きに拘束されたレンジが担ぎ込まれてきた。床にごろんと転がされて、一回転半してみんなの方へ向いた顔は不貞腐れ切っていた。




