第56話 パトラッシュの話
反乱軍の尻尾に追いついた、その日は快晴だった。
サバンナの果てには、ダルエスサラームの巨大な城塞が見える。午前の清澄な空気に景色の輪郭が鮮やかに浮かびあがる。レンジは一瞬自分の遠近感を疑った。その白い優美な城塞は東京ドームよりも国立競技場よりも遥かに巨大だった。
強行軍の疲労を休めてから戦に臨むことになった。井戸のあるオアシスに駐屯して食事や武器の整備など、部隊単位でそれぞれの作業を行う。
レンジは、いつも忙しく動き回っているマムルークの幹部でアヌビス族のパトラッシュが、一人で休憩をとっているところにでくわした。狼男、狗神様といった感じの彫像のようだ。話しかけるでもなく見つめるレンジに気がついたパトラッシュが首をかしげた。
「なに見てんだよ」パトラッシュが男らしい太い声で問いかけてくる。
「アヌビス族と間近で話すの初めてなんだ、いつも忙しそうだったから」
「おう、そうなのか、触ってみな」
表情を緩めたパトラッシュの顔を触らせてもらった。近くで見ると黒と茶色の毛が密生している頭のほかは、ほとんど人間と変わらない狼男だった。
「ネコマタよりも、なんていうか、ワイルドだね、毛が多い」
犬に近い、というのは失礼に当たるのだろうか。
「ネコマタよりってわけじゃない。俺はフランドル出身でアヌビスの血が濃いんだ、純血に近いアヌビスもネコマタも都会では少ないからな」
レンジは日向の匂いのするパトラッシュの腕の毛をなでてみる。それからもしかしたらと思って、手のひらを返して肉球の有無を確認したが、普通の人間と変わらなかった。
「どうだ?」
「格好いいぜ、あとすごい筋肉だ、どんな鍛え方したの?」
「マムルークだからな、物心ついた頃から武術の訓練しかやってない」
兵の一人がパトラッシュに木の器に入った乳白色の飲みものをもってきた。レンジは先に飲ませてもらった。酸味があって少し甘い、疲れがとれそうだ。
木の器を返しながら、「話しかけてくれて嬉しいよ」と言った。
「ん?」
「最初はみんな、俺たちを敵意とまでは言わないけど、けんのある目で見て距離を置いてた」
パトラッシュは照れて、少し困った表情を浮かべる。
「そうかもな、わるかった。俺たちは武骨一遍の人間だ、レンジ達はなんか華やかでさ、洒落ててさ、気後れしてしまったのかもしれない」
二人は含みのない笑顔で笑い合った。
「連れのホットな女の子二人だけど、凄い腕前だな、感服した」
「二人とも剣技は天才だって。ゾーイは部族伝統のあやしい魔法も使う」
その女の子二人はいまボロンゴと遊んでいる。猫科の巨獣が仰向けになって背中を地面に擦りつけている。二人は歓声をあげながらそのお腹に抱きついた。優しいボロンゴはなされるがままだ。
「しかし、もうちょっと緊張感もってくれって言っといてくれないか。いや、いいんだけどさ、あの二人がああやって遊んでると、なんていうか、気になってしょうがない。士気にも気を配らないといけない立場なんだ」
「無駄だよ、あの二人はどこだろうが好きにやる」
そうなのか、と言いながらパトラッシュは部下たちの方に視線を送る。
サバンナのいい風があたって気持ちいい。アレクサンドリアへ向かった頃よりも随分涼しい。レンジはさっきの飲みものをもう一口もらった。
「ダンクタ産の茶に馬乳酒を混ぜたもんだ、気に入ったか?」
「美味しいよ。パトラッシュ、強いね、ランボーさんも」
「団長、あの人は別格だ。テルエルアマルナ、アビシニア、さらにはガージャールなんかからも破格の待遇で、指南役とか武士団長の誘いがあったんだけど、興味ないらしくてね。なんでまたカンナビの内輪揉めなんかに首突っ込んだんだろうな」
「ちょっと変わった雰囲気は漂ってるかな」
「ま、考えがあるんだろうから俺はついてくけどさ。それに、ドラゴンの被災の混乱につけ込む奴らは、よくない」
パトラッシュの武人らしい率直さを、レンジは、いいな、と思う。
「反乱軍とやるなら、戦略で数さえ分散してくれれば俺たちは勝てる。カンナビの遊牧民を主体にした軍隊だから野戦では手強いだろうが、カンナカムイの部族は参戦していないからな。さすがだよ、アカネマルが既に手を回してる」
サバンナ最強のカンナカムイの民は今回の戦には参戦しない。レンジはなにか引っかかるものを感じた。あの荒野の襲撃に、ボブマーリー族長が助けに来てくれたときはすでにアカネマルと連携があった? そういえば詳しく聞かなかったけど、別れ際に族長がなんか言っていたような気がするな。
レンジはミスライムの荒野ですれ違ったことを話して、続けてマムルークのことを興味の赴くままに質問すると、
「そうか、あのときのカンナカムイの部族と一緒にいたのか」意外に話好きのパトラッシュはなんでもよく話してくれた。
「マムルークも傭兵団も、出身地や所属する契約先によっていくつもの軍団があるんだ。俺たちは、圏外調査隊の護衛を目的とした軍団、って触れ込みでメンフィスで結成された」
メンフィス王国はカンナビ連邦ではなく、北のミスライム連合王国に属する古い王国だった。
圏外調査隊は人跡未踏地域を調査する大規模な探検隊のことで、主に国家レベルの組織がその運営を担っている。民間では冒険者や浪人がその探検を請け負ったりもする。目的は財宝の探索、神獣退治、魔獣の駆除、植民地の建設など様々だ。特にカンナビ、ミスライム地方はその土地柄、昔から圏外調査隊の需要が多い。
「実際は装備も人材も訓練の内容も、探検隊の護衛じゃなくて最初から戦争やるために徹底された編成だったけどな」
「アカネマルの見えざる手?」
「政治のことだからあまり詳しくは言えないし知らないが、逆になにか聞いてないか?」
「博士はなんか知ってそうだから聞いたらさ、おまえは口が軽いし隙だらけだから余計なことに興味もつな、だってさ」
「アッティラ卿か」
「パトラッシュもあのおっさんのこと前から知ってんの?」
「アーセナル技研にいらした頃に攻城兵器なんかも設計してるからな、上級軍人のなかでは知らない人はいないよ、剣士としても高名だ。ドラゴンにとり憑かれて出奔してなければ、今頃クテシフォンの宰相か大元帥かなんかになってたんじゃないか。もしかしたら選帝侯の一人になってたかもな」
「ずいぶんやんごとないんだな」
クテシフォンは確か博士の実家のある地域だったか。
レンジは可笑しくなった。荒川区の職人みたいな風態でオーパーツをいじくり回している印象の方が強い。紅茶に入れた砂糖を手近のペンでかき混ぜるおっさんなのに。あとでからかおう。
「一緒に暮らしてると変わりもんだよあの人。まあ確かに洒脱なところはあるし、見た目も多少はかっこいいと言えなくもないか。でも気に食わないやつとは口も聞かないんだぜ、俺をぞんざいに扱うしさ、社会不適応者だと思うよ、彼。不思議な人望がなくもないけど……」
褒めてるのか貶しているのかわからないレンジの評にパトラッシュは軽く笑って馬乳酒入りのお茶を飲み干した。
「オロチとの前半戦で、おまえが団長の後ろで不規則な動きばっかりしてるところをしっかりフォローしてた。アッティラ卿がいなかったら死んでるぞ。ま、討ちとったのもおまえだから上出来だけどな」
噂をすればだ。ボロンゴと遊ぶ二人に手を振って、ギンがこちらへ歩いてくる。
「アッティラ卿」パトラッシュが声をかける。
「ギンでいい、君のおかげであの子達もレンジも命をひろった」
ギンはパトラッシュと握手しながら改めて丁寧に礼を言った。
「なに話してたんだよ」
いつものぞんざいな口調に戻ってレンジに問いかける。
「殿下の経歴さ」
「誰が殿下だよ、なに聞いたのか知らねぇが、調子に乗んな小僧」
レンジはパトラッシュに訴える。
「見てよこの態度、野蛮人だよ」
パトラッシュはいかにも楽しそうに笑って、レンジに聞いた。
「レンジはどこで魔法と武術を習ったんだ」
「おれ? 剣はちょっと前からこちらの野蛮人とゾーイに教えてもらってる」
ギンは笑って自分の馬の方へ移動した。
「……冗談だろ?」
「ほんとだよ」
「それまでは」
「空手ちょっとやってた」
「なんだよカラテって。魔法は? 特大の空震放ってただろ」
「空震? 魔法、みたいな力はオロチにあの赤い光くらったときにさ、なんか鼻血がでてピリピリきて意識できるようになった」
「めちゃくちゃだなおまえは」
パトラッシュが呆れている。自分の能力に関してはレンジ自身も未知の部分がある。そのうち落ちついたらギンがゆっくり対応してくれることになっていた。
「リキマル」レンジは間違って昔飼っていたすぐに脱走する愛犬の名前を呼んでしまった。
「あ?」
「いや、パトラッシュ」
パトラッシュは笑って問い詰める。
「おい、誰と間違えたんだよ、リキマルって誰だよ、女か?」
「いや、男の子なんだけども、いいだろ別に!」
ランボーは少し離れたところから、パトラッシュとじゃれるレンジをじっと見つめていた。その斜め後ろからアカネマルがその様子をじっと見ている。
「ランボーちゃん」
「はぁ!」
ランボーは武人らしからぬ動揺した声をあげて振り向いた。
「閣下……」
「はぁっ、てなによぅ、どしたのよぅ」
アカネマルは意地悪く真似をして、邪悪な笑みを満面に浮かべながらランボーの脇腹を突っついた。




