EP238 無鉄砲な覚悟
「今後について詳しい事は、明日お伝えします。今夜は客室を用意したので、そちらにお泊りください。」
「ありがとうございます。」
ルーネとの自己紹介を終えた征夜は、軽い会釈をして玉座の間を後にした。
すると、玉座の裏手に構えられた別の扉から、"槍使いの女"が顔を出し、ルーネの元に駆け寄る。
「ルーネ、本当にアイツを入れるの?」
「えぇ、あなたを倒すほどの戦士ですし、何より平和を望む心は同じ。仲間にしない理由が無いもの。」
アメリアは腕を組み、玉座の背もたれに体を委ねている。
その姿勢は女王に対する態度には見えないが、ルーネ自身は気にしていない。
「仲間にするのは良いけど、私の部下はやめてよね。
あんなボンクラっぽい奴、いくら強くても扱えないわ。」
「あの人が心配かしら?」
「フワフワしてる奴が下に居ると迷惑なの。目の前で死なれたら、寝付きが悪いでしょ?」
「フフッ、素直じゃないのね。」
ルーネは意地っ張りな友人の本音を見透かして、優しく微笑んだ。
世間体を使わずに接している彼女は、気品の中にも年頃の女性らしさを感じさせる。
女王として肩肘を張って過ごす生活の中では、アメリアのように語らえる相手は貴重なのだろう。
「安心して、あの人はあなたの部下にしないわ。その代わりに・・・。」
ルーナはそう言うと、アメリアに耳打ちした。
しかし、それを聞かされた彼女の顔には、瞬く間に困惑の色が広がる。
「・・・はっ!?あなた正気なの!?」
「あら、そんなに変かしら?」
「変に決まってるわ!」
「まぁまぁ、私の言い分も聞いてくださいよ。」
ルーネの示した提案に対して驚愕と不服の意を示すアメリアとは逆に、本人は自信に満ちている。
「あの青年、何処となく似てるのよ?」
「一応聞いてあげる・・・誰に?」
興奮に満ちたルーネに対し、呆れた顔を向けるアメリア。どうやら彼女は、ルーネの考えに予想が付いているようだ。
「伝説の英雄・・・吹雪の剣豪様!」
「いや、それ御伽話でしょ?絶対胡散臭いけど・・・まぁ良いか・・・。」
何処か浮かれ気味な友人に、アメリアは冷静な意見を述べる。
ただ、彼女はルーネが妙な部分で頑固だと知っていたので、深入りしない事にした。
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質素ながら、丁寧な清掃の行き届いた城の廊下。
巨大な砲塔が幾つも並べられ、窓の外を狙っている。その傍には、常駐と思わしき兵士が座り込み、4人で麻雀に興じていた。
(少し気は抜けてるけど、酒は飲んでない。・・・真面目だな。)
この国は平和とは言え、いつ攻められるか分からない。兵隊たちの光景は、厳しい現実を征夜に知らしめるようだった。
無駄に金の掛かる壁画や、天井を覆うようなシャンデリアは無く、ひたすら合理的な造り。
悪く言えば「無骨」だが、良く言えば「いつでも戦える」城。征夜とて、それくらいの事は分かった。
(えぇっと、ここが僕の客室で・・・。)
征夜が、紹介された客室の扉を開けると――。
「遅い!ご飯が冷めちゃうでしょ!」
「うわっ!?」
突如として浴びせられた、可愛らしい怒号。
怯んで縮こまった征夜が目を開けると、エプロン姿の花が扉の前で仁王立ちをしていた。
「ごめん、待ってると思わなくて・・・!」
「私はいつでも待ってるの!そこを覚えておく事!」
「ハハッ、ありがと!」
大袈裟な膨れっ面を浮かべた花だが、彼女が本気でない事は誰の目にも明らかだ。
頬に差した一筋の赤みが、はにかむような笑みを強調する。
「ご飯とお風呂、どっちが先?」
「死ぬほどお腹減ったけど、汗も凄いし風呂かな・・・。」
「いきなりの二連戦だったもんね、お疲れ様・・・。」
「そうだねぇ・・・。」
誤解とは言え、決死の死闘に違いない。
命を取り合う戦いには、いつも死の感覚がある。
彼の心は修羅場に慣れ過ぎたが、体はどんな時も疲弊を訴えるのだ。
こんな時は、風呂が一番だ。
汗と共に負のオーラが流れ出す感触が、堪らなく心地良い。
「・・・そう言えば、あの三人どうなった?
結構激しくやり合ったから、怪我とか・・・。」
「アメリアとイーサンは軽い骨折。蜜音ちゃんは無傷。お風呂で色々話したけど、みんな良い人だった!」
「えっ!?あの男とも!?」
「女の子だけに決まってるじゃん・・・バカ・・・///」
花の拳がコツンと音を立て、征夜の額に優しく触れた。
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風呂から上がり、適当なシャツに着替え、濡れた髪をタオルで絞りながら、征夜は客間に戻った。
食卓に並べられた料理は彩りに満ちており、その芳醇な香りと共に、花の女子力を際立たせる。
「いただきますっ!」
「召し上がれ!」
花の朝食で一日が始まり、花の夕食で一日を終える。
たった、それだけの事なのに、征夜にとっては至福の時間だった。
(うわ、夕陽が凄いなぁ。)
そよ風が吹き込む大窓の奥で、地平線の彼方に沈み行く太陽。
今日という日の最後を飾る鮮烈な陽光は、波乱の一日を"美しい思い出"に変えた。
だが、そんな感慨も一瞬にして崩れ去る――。
「明日からはエレーナ様に言われた通り、”覇王”って人を探す感じなの?」
夕暮れを眺めながら逃避していた現実が、弾丸となって征夜の心臓を撃ち抜く。
テーブル越しに映り込む花の不安げな表情が、耐え難いほどに心を締め付ける。
どれだけ夕陽が綺麗でも、大切な恋人を明日も知れない世界に連れて来た事実は、決して変わらない――。
「・・・なんか、ごめん。」
「どうして謝るの?」
花を気遣った征夜が、僅かに詫びを入れた。
しかし、花の表情はむしろ、先程よりも暗くなっている。
「こんな世界に連れて来て、本当にごめん。・・・でも、安心して欲しい!君の事は僕が必ず守」
「ソレよ征夜!」
花は言葉を遮って、勢いよく立ち上がった。
真剣な眼差しを向けながら征夜の元へ駆け寄り、椅子に座ったままの彼を、優しく抱きしめる。
「えっ?"ソレ"って何の話?」
「まだ分からないの?私は"あなたを"心配してるの!」
「あっ・・・。」
征夜はついに気が付いた。
彼は彼女の身を案じるあまり、自分の事を疎かにしていた。しかし、それがかえって彼女を不安にさせていたのだ。
「今朝だって、一歩間違えば死んでた!
危険なのは、あなただって同じなのに!私の心配ばかりして・・・!」
「いや・・・あの・・・。」
花から見た征夜は、果てしなく勇敢だった。
しかし最近、やっと分かって来た。彼は勇敢なだけではなく、どこまでも"無鉄砲"なのだと。
「でも、僕は君を守る為に・・・。」
「分かってる。昨日だって約束したし、あなたの気持ちは本当に嬉しいわ。
・・・でも、今のあなたを見てると、なんだか凄くハラハラする。自分が生き残る事なんて、まるで何も考えてないみたい・・・。」
誰の頭にも在る、生物として最低限のリミッター。それが"生存本能"だ。
人は勿論の事、犬や猫、ゴキブリやボウフラに至るまで、生物は"生き残る事"を常に考えて生きている。
ところが、征夜は時折その本能に逆らって、異常なほどに自身の命を軽く見る悪癖が有る。
そして、『自分の存在』が征夜のリミッターを壊して、彼を死に急がせている。花は薄々、その事に気付き始めていた。
「約束して?絶対に無茶はしないって・・・!」
「いや・・・別に無茶をしてるつもりは・・・。」
花の事を守りたくて、ガムシャラに刀を振るっていただけ。征夜には、自分が無茶をしている自覚など微塵も無かった。
「じゃあ、もっと具体的に言うわ。
"修羅の瞳"は禁止!そして何より、単独で戦おうとしないで・・・!」
「いや、それは・・・。」
「アレは危険過ぎるわ。
あなたの動きは、もはや人じゃなかった。・・・次も正気に戻れる保証は、どこにも無いのよ?」
花の言わんとする事は尤もだ。
先日、意図せずに開眼した新たな永征眼。
ソレは自らの理性を完全に失う代わりに、限界を超えた力を引き出す眼術だった。
その効果は絶大だが、同時に諸刃の剣でもある。
魔王としての力を解放したラースを仕留めるには、アレ以外に道は無かった。
しかし、錯乱の最中に誤って花を刺し貫いたのも、紛れもない事実なのだ。
「約束して。もう、アレは使わないって・・・。」
「う、うん・・・。」
征夜の返事は、どこか歯切れが悪い。
花の懸命な頼み込みにも、容易には快諾できない理由が彼には有った。
<この世界では其方が最強でも、隣り合う世界には凄腕の剣客がひしめき合っている。>
脳裏によぎる、恩師の言葉。
それは激励でありながら、"戒め"でもあった。
アンダーヘブン最強の名に酔い痴れ、鍛錬を怠るな。
目指すべき道は遥かな先まで続いており、見果てぬ夢の到達点は、『最強になって、大勢を救う事』なのだ。
その為には、まだまだ実力が足りなすぎる。
正義を貫きたいのなら、刀に更なる力を込めろ。資正は、そう忠告していた。
(凄腕の・・・剣客・・・。)
オデュッセウスは論外だが、その他の敵と比較しても、征夜の実力が過信出来るほど高くない事は、彼自身がよく分かっていた。
ラドックスを倒した今、修行を終えた頃より強くなった事は疑いようの無い事実。
しかし彼の自信は、先刻において木っ端微塵に砕け散ったのだ――。
(強かったなぁ、二人とも・・・。)
イーサンは別として、アメリアと蜜音には、正直言って苦戦した。
二人とも、実力は征夜に迫る物があり、僅かに彼が優っていた。それだけなのだ。
(きっと、神宮殿って奴はラースより・・・。)
即興で大仏を築く者や、九天の果てより流星を降らす者。驚天動地な能力者は、他にも多く居るだろう。
そんな怪物がひしめく魔境において、300年の時を経てもなお、"頂"に鎮座する男。
それが、"覇王・神宮殿 雁月"なのだ――。
(覚悟を・・・決めないとな。)
この世界は"修羅の国"だ。
人の世に有る筈の人権が、ここには無い。真っ当な暮らしをしたいなら、心身を削る覚悟が要る。
手足が千切れても、肺が破れても、口から内臓を吐き出しても、戦わなくてはならない。
必要に迫られれば、自分は心身ともに"修羅"になる。その力を以って、再び花を守らねばならない。
(あの力を使えば、また人が死ぬ。
ソレが敵なのか、味方なのか、それだけの話。・・・出来れば、殺してでも止めて欲しいけどな。)
味方は勿論として、征夜は敵の命を奪う事も良しとしていない。
これまでに殺した2人は、どちらも永征眼の暴走による突発的な物。正気を保ちながら人を殺すのは、未だに憚られる。
しかし、『郷に入れば郷に従う』のも、生き残る為には必須だ。
それが、たとえ"外道に堕ちる"事を意味していても、征夜には選択肢が無かった。
修羅の瞳は最終手段。とは言え、いつか必ず使う日が来る。その時が来れば、"自身の死"も覚悟していた。
「ちゃんと目を見て!」
「わ、分かった!分かったよ!」
深く考え込む征夜の視線は、花の元から離れ、虚空を見上げていた。
怒ったように詰め寄る彼女の声で我に帰った征夜は、慌てて目線を彼女に合わせる。
「約束できる!?」
ヤンチャな息子を嗜める母のように、花は険しい顔で詰め寄る。右手の小指をピクッと伸ばし、彼に"指切り"を迫った。
(どこまで踏み止まってくれるか、正直分からないけど・・・。)
征夜の身を案じ、その暴走を止めたいと、彼女は心から願っている。
しかし、ブレーキの壊れた電車が簡単には止まらない事も、彼女は知っていた。
「約束する!」
差し出された小指に、自身の小指を絡め、"指切り"を交わした征夜。しかし花は、そんな彼を更に訝しむ。
「・・・ホントかなぁ?」
「ホントだって!」
薄い笑みを浮かべ、花の忠告を聞き入れたフリをする征夜。説教を受けている筈なのに、その表情は何処か嬉しそうだ。
(やっぱり僕は、花が居ないとダメだなぁ・・・。)
花の為なら頑張れるし、花の為なら踏み留まれる。
エンジンもブレーキも、彼女が居てこそ働くのだ。
(たとえ死んでも・・・花だけは守る・・・。)
身に余るほど素敵な女性が、自分の帰る場所になってくれる。
そんな夢のような現実が、幻であって欲しくない。征夜は切に、そう願った――。