2 不思議な声
もう、じい様のことも、みんな、ちょっと忘れかかった頃合いさね。じい様が死んだあとで村に嫁にきた子がいたんだ。
この家の姑の嫁いびりがひどくってね。
見かねた息子が母親に何を言ったって、聞きやしない。だから、この嫁はいつも泣いてたんだ。
この日も、仕事の出来が悪いの、子どもができないのといつもの文句を言われて、嫁は家にいられなくて飛び出したんだってさ。少しだけでいい、気をしずめてからでないと帰れない。
それで、目についた空き家の陰に身を隠したんだ。草がぼうぼうの中に、屋敷の神様の祠がある。それは、嫁いだ家にもあったから嫁にもわかった。でも、そのとなりに、不思議な小屋があったんだ。
何だろうと思って、嫁が小屋を覗くと、中にはソラマメみたいな、おカイコ様みたいな、丸い石が六つある。古い土器もあって、神様として大事にされていたんだなって嫁にもすぐにわかった。まあるい石が、赤子みたいにかわいいんで、嫁は石をなでさすった。それから手を合わせて一生懸命おがんだんだ。
『どうかどうか、丸い石の神様。おっかさんが優しくなりますように。夫との間に、やや子を授かりますように』
すると、優しいしわがれ声が聞こえたんだってさ。
『優しくなりますよ。授かりますよ』
これは、神様がお願い事を聞いてくださった証だと嫁は思った。それで、もう少しだけ堪えてみようと思って、家に帰ったんだそうだよ。
すると翌朝、いつになく寝坊したお姑さんが真っ青な顔で起きてきて、言うんだって。
『嫁や、朝飯は食べたかい。若い女衆は体を冷やしたらいかんで、水仕事は私がやるでね』
びっくりするくらい、優しくなった。
いいことなんだけどね、その変わりようが、ちょっと気味が悪いくらいだった。それで、息子が、そっと聞いたんだってさあ。
『おっかさん、いったい、何かあったのかね』
すると、おっかさんは、仏壇に手を合わせてから、息子に話したんだそうだ。
『死んだ私のおっかさんがね、夢枕に立ってね。悲しい顔して、言ったのさあ。あんた、私がお姑さんに意地悪されて、いつも井戸の傍で泣いてたの、見てたろう。嫁っこに優しくしてやってるかい、息子の言うこと、ちゃんと聞いてるかいって』
『はあ、おっかさんのおっかさんが、ねえ』
『私もおっかさんの顔を見るのなんか、もう何十年ぶりでね。そう言われたら、私が童の頃、一人でこっそり泣いてたおっかさんの顔が思い出されてね。ああ、死んでからもうずいぶんになるのに、まだ意地悪されたのが無念で、それから、私のことも心配で向こうに行けていないんだねえ、と思ったら、もう、泣けて泣けて』
姑はまるで若い娘っこのように、はらはらと涙をこぼしたそうだよ。
『親が草葉の陰で泣いてるのも知らないで、私は嫁っこにきつく当たってたなあ、と思ったら、なんて親不孝の娘だろう、って、嫌になっちゃったんだ。それで仏様にお祈りしたんだ。できるだけ嫁っこに優しくするから、私のおっかさんを成仏さしてやってくださいって』
そうして、姑のほうが優しくなれば、もとから嫁っこだって、悪い子じゃない。おっかさんの意見もよく聞いて、家の中がずいぶんあったかくなってね、そしたら、次の年にうまれたんだってさ、かわいい男の子。
息子は、嫁がたまたま見つけてお参りした、まあるい石のご利益だと思ったんだ。それで、村の衆に話して、じい様の空き家をきれいに片付けて、草も刈って、村のみんなで、じい様のこだま石様をおまつりするようになったんだ。
子宝、家内円満に霊験あらたかなこだま石様は、辺りの村でも大評判になってね。沢山の人がお参りするようになって、お花やお供えが、ひきもきらなかったそうだよ。
お参りするとね、時々、不思議な声が聞こえたんだってさあ。
『子宝が授かりますように』っていうと、『授かりますよ』ってさ。
そうすると、本当に、赤ちゃんができるときもあれば、親戚から養子をとる話がまとまったりもする。
『いい人にご縁づいて、お嫁に行けますように』っていうと、『行けますよ』って聞こえるときがある。そうすると、不思議と、いい縁談が舞い込むんだ。
いつでも、誰にでも聞こえるわけじゃない。だから、そのこだまみたいな声をどうしても聞きたいお参りの人は、何べんも何べんも、通ったそうだよ。
でもね、そうすると、おかしな話になってくる。
こだま石様にのめり込みすぎて、夜も昼も、家のことも田んぼの仕事もみんなほっぽりだして、お参りにくるような女衆が出てね。
また、そういう人に限って、いつまでたっても聞こえないんだ。
なにがって? こだまさ。
それで、周りの村でも、これは怪しからんという噂が立った。
狐狸妖怪の類が、女衆をたぶらかしてるんじゃないか、ってさ。
そうなると、気味悪がって、お参りの人もだんだん減ってね。
そんなある日、ここに、旅の六部がやってきたんだ。
お姉さん、六部って知ってるかい?
なに、知らない。モグリだねえ。
平たく言えば、お遍路さんみたいなもんだ。
お経を写したのをいっぱい持ってね、霊場巡りをして納める修行をしているんだけど、道中で、旅の費用のために托鉢をしたりとか、水子供養をしたりとかするんだよ。あたしが子どもの時分には、まだ、時々来たよ。ろくぶさん、ろくぶさんって、みんな、親切にしたもんさ。
ああ、こんな学のないばあちゃんの言うこと、本当の本気にしないでよ。ろくぶさんっていう名前も、あたしが自分の親に教わったってだけだからねえ。記事に書くときは、ちゃんと調べてね。
でね、その六部が、衆生をたぶらかす狐狸妖怪が出るという噂を聞きつけて、街道をわざわざちょっと外れて、この集落までやってきたわけだ。
村のもんが、その日の食事やら、破れていた蓑やらを世話してやって、六部はこだま石様の小屋掛けの前で一夜を明かすことになった。
何かあっちゃいけないって言うんで、六部は、ずっと、お経を唱えていたそうだ。
すると、夜更け過ぎになって、なにか妙な気がする。
「南無妙法蓮華経」
六部が唱える声に、よくよく聞くと、かすかに重なる声があるんだ。
「なむみょうほうれんげきょう」
夜も夜、真夜中に、どこからともなく声がしたら恐いだろう。
六部は恐ろしくなって、読むのを止めてみた。
何も聞こえない。
恐がりすぎて、耳がおかしくなったのかと思って、また唱え始めると、しばらくして、また、重なる声がある。
いよいよおかしいと思って、六部はまた、止めてみた。
すると、不思議な声もぴたっと止まる。
お経を唱える狐狸妖怪というのも変なものだ、と思ったそうだよ。
よくわかんないけど、嫌がるものなんじゃないかね。
それで、六部はまた読み始めた。しばらくすると、また、小さい声が、六部についてくる。