1 七つの石
わたしがその集落に行ったのは、本当に偶然だった。きっかけは、地方に取材に行った帰り、とんでもない渋滞に巻き込まれたことだ。
原因は、わたしが走っていたところから数キロ先で起こった、トラックの荷崩れ事故だった。どんなひどい積み方をしていたのか、道じゅうにマグロの猫餌の缶詰がぶちまけられてしまったという。後で聞いたところによると、幸いけが人はなかったらしい。しかし、その事故のおかげで、ただでさえ混雑していた金曜日の午後の国道は、完全に車列が動かなくなってしまった。
いつもなら通りすぎるだけの、全く見知らぬ土地ではあったが、渋滞と事故現場を避けて何とかその先に出られないかと、わたしは脇道にそれた。そこから地図を頼りに進んできたのは、山間の集落を通る道だった。
土地カンもないのにそんな無謀な冒険に出たのは、急いでいたからではない。むしろ、その逆の理由からだった。
ふとした気まぐれと言ってもいい。迷って時間がかかったとしても、ドライブを楽しんだと思えばいいだろう。
指示されていた記事の取材は済んで、頭の中でほぼ構成も出来上がっている。後は、戻って文章にまとめるだけ、とあって、一仕事終わったような解放感があった。
そんな時、ふと、目に飛び込んできたのが、集落のはずれにある、小さな掘っ立て小屋のようなお堂だった。
車を降りてのぞいてみると、中に七つ、ソラマメか落花生のようなまるっこい形をした白っぽい石が並んでいた。赤い前掛けを掛けてもらって、花や水が供えてある。
お地蔵さんだろうか。それにしては、定番の六地蔵より、一つ多いのが不思議だった。
わたしの半分仕事をかねた趣味は、地方の民話や伝説を収集することだった。何かネタを見つけて面白い記事になったら、雑誌に載せるかどうか考えてやる、と、編集長からも言われていた。
そこで、畑仕事をしている老婆を見つけて、声を掛けてみたのだ。
「お姉さん、見かけない人だね。ここで何してるんだい。ほう。伝説の取材ねえ。大学の先生か何かかい」
小柄でいささか腰の曲がった老婆は、草取りの手を止めて、人懐っこい顔で笑った。
「いえ、雑誌記者をしています」
わたしが社名と雑誌名を伝えても、彼女は首を傾げただけだった。まあ、さほど部数の多い雑誌でもないんだけど。
「いやね、この前も、古文書の調査っていって、どこだかの研究所の偉い先生が話を聞きに来たんだよ。この辺、ちょっと変わった話が多いんだってさあ。真面目そうな若い先生だったよ。すらっとしてて、イケメンでさあ。こんなばあちゃんにも礼儀正しくてちゃんと話聞いてくれて。ああいう孫がいたらいいねえ」
「あの、わたしの聞きたいのは、この辺の伝説とかなんですけど……」
「ああ、イケメンの話はいらない。ごめんごめん。伝説ね。お姉さん、名前は何て言うの」
わたしが名乗ると、森辺スエノと名乗った老婆は、大きく伸びをして、畑の横に植わっていた大きなエノキを指さした。
「ああ、草取りしてたら腰が固まっちゃった。そこの木の陰で、お茶を一服する間ぐらいだったら、いいよお。話してやっても」
◇
そこのお堂のこと?
中見たかい?
六地蔵だと思うだろう。七つ石があるから不思議だって?
うん、そうそう。赤い前掛けしてならんで、お花が供えてありゃ、大体はそう思うよねえ。
ありゃあ、昔は六つだったんだって。でも、お地蔵様じゃない。
こだま石様っていうんだ。
あたしが子どものころ、ひいばあさんに聞いた話さあ。ひいばあさんも、そのばあさんから聞いたってさ。
ある正直者のじい様とばあ様が暮らしていたんだって。二人は猫の額ぐらいの田んぼと、おカイコ様で生計をたててた。おカイコ様にやるんで、毎朝、桑の葉っぱを取りに行くだろう。そうすると、たまーに、石が呼ぶんだってさあ。
あの、落花生みたいな石ね。
呼ぶって言っても、怪談みたいなのじゃないよ。夜泣いたりとか。じゃなくって、じい様が石を好きになっちゃうんだ。
どの石でもいいんじゃないんだよ。ああいう、ほどよい大きさで形のいいのが、何年かに一回、じいさまの目に飛び込んで来ちゃうんだってさ。
どうってことない普通の石なんだけど、マユ玉みたいにも赤ちゃんみたいにも見えるだろう。カイコのマユ玉、わかる? 丸くてころんとしてて。
それで、じい様はかわいくてたまらなくなっちゃうんだってさ。子どもがなかったからかねえ。
それで、重たいのを家まで持ってきちゃうわけ。
ばあ様にも呆れられてたってよ。
でも、じい様は、こだま様が呼んだんだって、大事にしてさあ。この辺じゃあ、どの家にも屋敷の神様っていうのがあって、家の裏っかたに小さい祠を立ててるんだ。そのとなりに、小さな小屋掛けをして、そこに据えたんだよ。石が増えたら小屋も大きくしてね。六つ並んだのを、屋敷の神様とおんなじように、お祀りしてたんだって。
こだま様っていうのは、カイコの神様の名前さね。
じい様とばあ様は、三毛猫を飼ってた。おカイコ様を育てる家は、みんな飼ったもんさ。ネズミがおカイコ様を狙うからね。ネズミよけさね。
子どもがなかった二人は、この猫をたいそう可愛がってね。お玉、お玉と話しかけたり、食事時には一緒にお膳を囲んだりしたそうだよ。
お玉は、じい様が家にいるときは付いて回って、家の仕事をよく見ていたそうだ。
ところが、ある年、ばあ様がぽっくり亡くなってしまった。じい様は気落ちしてねえ。野良仕事にも出られなくなって、家でじいっとしてるもんだから、お玉はじい様のそばを決して離れなくなった。
じい様はしばらくそうして気が抜けたようになっていたけど、ある日、夢枕にばあ様が立ってね。じい様や、屋敷の神様とこだま様のお世話を、ずいぶん忘れているよ、と悲しそうに言うんだってさあ。
じい様ははっとして、次の日、水と花を持って、屋敷の神様とこだま様のところに行ったんだ。すると、六体目のこだま様が、どうも、ばあ様の顔のように見える。それでつい、話しかけたんだってさあ。
『お前さん、そこにいたのかい』
するとね、死んだはずのばあ様の声が答えたんだって。
『お前さんこそ、そこにいたのかい』
じい様は腰が抜けるほどびっくりした。
『お前さん、どうしているね』
すると、ばあ様の優しい声が返ってくる。
『お前さんこそ、どうしているね』
『わしは何とかやっているよ』
じい様はとっさに嘘をついた。ばあ様の声は嬉しそうに言った。
『わしも何とかやっているよ』
ずっと聞きなれたばあ様の声だった。それで、じい様は我に返ったんだ。
ばあ様はこだま様のところからわしを見ている。だらしないところなんか、見せちゃなんねえ。
じい様は、シャキッと背を伸ばした。
『ばあ様もそっちでちゃんとやれよ。おれは、今日は、田んぼの様子を見に行くんだ』
それで、じい様はまた、仕事に精を出すようになった。田んぼも、おカイコ様も立派に世話をして、村の者の野良仕事の手伝いもしてやった。
それで周りの衆もじい様の暮らしには気を付けてやって、煮炊きしたものを分けたり、着物の破れたとこなんかは本人が気づくより早く、近所のおっかさん連中がつくろってやったりしてさ。
数年後、じい様は、夕方まで仕事をして、家に帰ったあと眠るように亡くなったんだそうだ。今でいう、PPKっての? ほら、年寄りのあこがれ、ピンピンコロリ。翌朝、おすそわけの柿をもって様子を見にきた隣の家のおっかさんが見つけたんだって。
お玉は姿を消していたという。
もう、十五を越えた猫だったからね、どこかでひっそり、じい様の後を追ったんだろうか、なんて言ってたらしいよ。
それきり、じい様の家は、跡をとるものもなくて空き家になったんだってさ。
◇
それから、何年かしたある日のことだった。