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1.貧乏公爵は幸せな夢を得られるか。


 ランヴァルトは震えそうになる体に叱咤を入れていた。これでも一応、公爵である。みっともない姿は見せられない。

 目の前には香り豊かな紅茶と茶請け。ケーキ、パイ、焼き菓子類、サンドイッチが控えめなサイズと量で品良く盛られている。ランヴァルトの独力ではまず用意出来ない品々だ。紅茶一杯で自分の一日分の食費と同額になりそうだと、胃がキュゥと切なく引きつった。

 テーブルの向こう側、ランヴァルトの正面には男が一人。幼馴染みの親友である。学園にも一緒に通った、竹馬の友だ。名をアルヴィド・フォン・ロヴネル。伯爵家の嫡男である。同い年ではあるが、彼はまだ爵位を継いでいない。当然だ。ランヴァルトが早すぎるだけである。まだ二十歳の公爵。「家に問題がありました」と公言しているようなものだ。


「いやぁ、驚いた。とにかく驚いた。俺の人生でここまで驚いた事ってないな、ってくらい驚いた」

「それは僕もだよ……」

「しっかりしろ、当事者。部外者の俺に同意してどうする」


 小ぶりなサンドイッチを手に取って、アルヴィドはぽいと己の口へ放り込んだ。貴族らしからぬ食べ方だが、彼にはよく似合っている。昔からこうなので、ランヴァルトも一々注意などしない。

 硬質な印象の真っ赤な髪に刃物のような灰色の目。野性味溢れる顔立ちだが、決して下品では無い。戦う男――騎士らしい精悍さがあった。鍛えられた筋肉は厚く、背も高い。誰もが目を引く色男、それがアルヴィドである。

 対してランヴァルトは、絵に描いたような優男だ。痩せこけてはいないが、無駄な肉をつける余裕も鍛える暇もなく、至って普通。顔だけは美の化身と謳われた母に似てくれたお陰で善いらしいが、中身が気弱なので宝の持ち腐れだと思っている。アルヴィドの男らしさの三分の一でも自分にあれば、と常々思っているが、現実になる日は来なさそうだった。


「それで? いつ結婚すんの?」

「半年後くらい……らしい……?」

「いやいやいや、なんで他人事なのお前。自分の事だろ?」

「現実感が全然ないんだよ……」

「まぁ、気持ちは分からんでもない」


 ため息まじりに、今度はクッキーをぽいと一口。好みの味だったらしく、アルヴィドの口元が綻んだ。そう云う顔は子供っぽい。ご婦人方に「格好いいのに可愛い」と好かれる要因だろう。


「エルヴィーラ嬢と云えば、我が国が世界へ誇る女傑。誰もが仰ぎ見る、世界一の大富豪だもんなぁ」


「やったな、玉の輿じゃん」と続けられ、ランヴァルトは苦笑い。狙ったわけではない。向こうが輿に引っ張り上げてくれたのだ。何故だか分からないが。


「もうエルヴィーラ嬢は結婚しないもんだと思ってたよ、俺。あの人、今年で二十五だっけ?」

「二十四だよ」

「やっべ。……間違えた事、黙っててくれ」


 若干顔を引きつらせたアルヴィドの気持ちは分かる。

 難しい年頃の女性に年齢の話は禁句。一年でも間違えれば睨まれるか足を踏まれるか。

 貴族の女性にとっての結婚適齢期は十五から二十歳、職業貴婦人なら二十三がギリギリのラインだと云われていた。二十四歳で未婚は、行き遅れだとか行かず後家だとか陰口を叩かれる世の中だ。

 が、当人やその身内に面と向かって云うのは流石に礼儀知らずである。アルヴィドの場合、本当につい何気なく云ってしまったのだろうし、ランヴァルトが相手だからと云う油断からだろう。こう云うちょっと抜けている所も、アルヴィドが愛される要素だ。


「いいけど。本人には云わないように気を付けてね」

「やっぱ気にしてるのか?」

「本人がって云うか……エルヴィーラ様は気にしてないけど、周りの人が気にしてるから」

「周り?」

「うん。秘書や執事の人とか、護衛の人とか。……うちのメイドがうっかり年齢について云っちゃって、なんか文句あるのかって凄い怒ってたんだ」

「あちゃー」

「エルヴィーラ様が取りなしてくれたんだけど……」


 あの時はランヴァルトも血の気が引いた。

 主の婚約者を悪く云うなどと、公爵家の使用人としてあり得ないのだから。


「うち……家令以外は公爵家の使用人として使えないって云われてしまったよ」

「エルヴィーラ嬢に?」

「エルヴィーラ様の秘書殿と執事殿に」


 エルヴィーラの側には、常に多くの人が居る。秘書、執事、侍女、護衛などなど。彼女の周りから人が消える事は無い。常時十人前後に囲まれている。

 その中で最もエルヴィーラに近く力を持っている女性の秘書と、初老で品の善い執事から、ランヴァルトは懇々とお説教されてしまったのだ。いや、説教では無い。公爵に説教が出来るのは同じ公爵か王族くらいだ。

 彼女たちとしては「お願い」だったのだろう。しかしランヴァルトには説教に思えてしまった。


「……うちが貧乏なばっかりに……いや、僕が情けないばかりに……」


 俯いて、肩も落とす。ランヴァルトは自分が情けなかった。

 グランフェルトは四代続く公爵家。その始まりは外交術に長けた王弟で、弟の才能を惜しんだ兄王が公爵位を授け、家臣として重用した事が始まりだ。

 二代目――祖父の代までは善かった。祖父は曾祖父から受け継いだ人脈を正しく扱い、外交関係で国を支えた重鎮だった。

 しかし父で躓いた。父には外交術を学ぶ忍耐も、受け継いだ人脈を生かせる人格も無かったのだ。

 父がランヴァルトのように気弱だったらまだマシだった。能力もない癖に自尊心だけは人一倍、いや三倍はあるような人間だったから悲惨な事になったのである。

 その辺りはランヴァルト自身思い出したくないし、周りの人も敢えて口にしない。未だに社交界ではネタにされているそうだが、ランヴァルトに直接云ってくる訳ではないので好きにしてくれ、と云う思いだった。

 そう云う、何年経っても笑い話のネタ扱いされる、どうしようもなくしょうもない人間がランヴァルトの父なのだ。悲しい。

 あんまりにも駄目な父だったから、王都から遠く離れた小さな領地へ送られて「二度とそこから出るな」と勅命を下されてしまった。王室にまで迷惑をかけて、ランヴァルトは王族の前でまともに顔が上げられない。

 救いなのは、王と王太子がランヴァルト個人には非常に優しく、親戚として目をかけてくれている事だろうか。他の王族には嫌われているが。仕方ない事だし、申し訳ないと云う気持ちしかわかない。


「せめて母上が居て下されば……」

「そうだなぁ。マティルダ様がいらっしゃれば、もうちょいこの家マシだったかもなぁ」

「……離縁しちゃったから……」

「つら」


 母は現国王の末娘で、王太子にとっては同腹の妹だ。花の妖精の如き美しさと気高さ、才媛と呼ばれて納得の頭脳と実行力を持ち、王室や民から愛されていた。ランヴァルトにとっても憧れの人である。

 その能力の高さを祖父に惚れ込まれ、どうしようもない父に嫁いで貰ったらしい。母のような人が側にいれば、父もマシになるだろうと云う周囲の考えもあった。

 しかし父は本当にどうしようもなかった。優秀な母に対してコンプレックスを拗らせて、マシになるどころか悪化した。自国の姫君に対して暴力や暴言こそなかったものの、ランヴァルトが生まれた後は完全に放置。母へ仕事を押しつけ、公爵家の金で遊び呆け、仕舞いには平民の女性へ入れ込んで子供まで作ってしまった。

 母と国王、王太子は当然激怒。祖父は平謝り。父は逃げ回り、謝罪すらしない。

 その結果、母と父は離縁した。当然だと思う。むしろよくそこまで我慢しましたね母上、とランヴァルトも唸るレベルだ。

 母は最後までランヴァルトを引き取ろうとしてくれたが、グランフェルト家の跡継ぎが居なくなってしまうため、離れる事を余儀なくされた。仕方ないと思う。ランヴァルトも父は嫌いだが、祖父は好きだし、曾祖父は尊敬している。自分の代で家を潰すのはあまりに忍びなかった。

 離縁した母は、異国へと嫁いで行った。王侯貴族にとって出戻りなど些細な事だ。ランヴァルトを産んでいる母は、子を産める健康で賢い女性として嫁ぎ先でそれはそれは大切にされていると云う。とても善い事だと思う。

 善い事だし、仕方の無い事。けれど現状を思うと、せめて母が家に居てくれれば……と思わずには居られない。人間とは、我が儘で現金な生き物だ。


「母上に戻って来て欲しいとは思わない。遠く離れても幸せであって欲しい。でも、我が家にまとめ役のしっかりした女性が居れば、もっとマシだったと思うんだ」

「一応居るだろ、お前。まとめ役の女性」

「ベック夫人の事を云ってるなら怒る」

「冗談、冗談だ。怒らないでくれよ」


 アルヴィドはケラケラ軽く笑いながら、両手を挙げて降参のポーズを取る。云ったのが彼だから許すが、他の人間が云ってたら一生根に持つ所だ。


「まぁ、しかし。お前もこれから大変だね。色んな地雷が周りにあるし」

「地雷って云わないで」

「事実だろ」

「事実だから辛いんだ」

「それもそうか」


 神妙な顔になったアルヴィドは手に取ったフィナンシェを半分に割り、片方をランヴァルトへよこした。彼は昔から半分こが好きなようで、割れる物は割ってランヴァルトへ渡して来る。

 別に拒む理由もないので受け取って口へ含めば、上等なバターと牛乳をたっぷり使ったフィナンシェは、しっとりほろほろ溶けて行った。これまで我が家で食べていたクッキーなどの焼き菓子とは一線を画する。あまりの美味しさに泣きそうになった。我慢したけれど。


「親父さんはまぁ、王都に来ようものなら斬首だからいいとして」

「よくない」

「悪い。……こっちから行かなきゃ関わんないって意味でだ」

「まぁ、そうだね」

「ベック夫人と令嬢の事は、早めに片をつけろよ。いくらなんでも、エルヴィーラ嬢に不義理だ」

「モニカとは何も無いのだけれど」

「知ってるよ。俺はな。でもラーゲルフェルト家や他の貴族はそう思わん。さっさと片付けないと、嫁の金で愛人を囲ってるなんて云われちまうぞ」

「うん……」


 厭な話題になってしまったと、思わず目をそらす。

 男と女の距離が近いと、すぐに恋だ愛だ痴情のもつれだと云われるのは何故なのだろう。

 ランヴァルトにとってモニカは妹だ。血の繋がりはとても薄いが、、女性として、結婚や恋の相手には全くと云っていいほど見る事が出来ない。でも世の中ではそうならないらしい。

 その乖離を世間知らずと云うのだと、アルヴィドから教わったランヴァルトは知っている。知っているが、「どうして」と云う思いが拭えなかった。


「……お前がさ、そう云う不誠実な男じゃないって、俺は知ってるよ。でもな、世の大半はお前の事を全然知らないし、知ろうともしないんだ。他人からの聞きかじりで、さも知った風な口を利く。手前の常識ものさしを持ち出して、その範囲へお前を落とし込もうとする。一族で無い女を家に置くって事は、そう云う下らん連中に餌を与えるだけだ。これまでと違って、お前は放っておかれない。貧乏公爵、地雷原男なんて陰口叩かれるだけじゃ済まないんだ。ランヴァルト、お前が幾ら厭がっても、聞きたくなくても、放っておいて欲しくても、無理な話になる。エルヴィーラ嬢と結婚するってのは、そう云う事だよ」

「うん……」


 ランヴァルトの逃げ道を塞いで、アルヴィドは云った。厭な話だ。けれど目を逸らしてはいけないし、瞑ってもいけない。

 このような話をランヴァルトに出来るのは、アルヴィドだけだ。他の誰が云っても厭味や侮蔑になる。友人だから、心配だから、彼はまっすぐこちらを見て云ってくれるのだ。

 それに対してランヴァルトは、感謝しつつしこたま落ち込んだ。ここまで云ってくれる友に、自分は何も報いられていないのだから。


「……裏切ってやるなよ、エルヴィーラ嬢を。お前にここまでしてくれる女性、もう二度と現れないぞ」


 アルヴィドが周囲へ視線を走らせる。ランヴァルトもそれに釣られた。

 ここはランヴァルトの家だ。王都に構えた、グランフェルト家の町屋敷タウンハウス。歴史はあるが管理が行き届いておらず、煤けていた。端的に云って、歴史があって大きいだけのオンボロ屋敷だった。お金が無くて、人手も足りない。ただ廃墟にならないよう必死に守っていた、それだけの場所。

 そのオンボロ屋敷がたった半月で、見違えてしまった。

 屋根や壁に開いた穴は丁寧に直され、目をこらしても修理箇所が分からないほど。ペンキも塗り替えられ、窓も透明度が高く頑丈な物が使われて、家を囲う壁も高く分厚く立派な物へ造り替えられた。家の中も美しくリフォームされ、家そのものの歴史を守りながらも住みやすくなった。家具は来歴確かなものは職人の手で補修され、買い換えられる物は全て新品に。人も増やされて、公爵家に相応しい白亜の豪邸へ生まれ変わった。

 そして今、ランヴァルト達がいる庭。見違えるどころではない。よそにあった格式高い庭をそのまま移築でもしたのか、と云うくらい様変わりした。

 公爵家の庭とは呼べない、ただ雑草を刈っただけの寂しい場所だったのに、今は季節はるの花々が咲き、動物の形に刈られたトピアリーや芸術的なオブジェが目を楽しませてくれる。ランヴァルト達がお茶会をしているのは、その庭へ拵えられた立派なガゼボの下だ。白い柱に円形のガラス屋根。今流行の形らしい。ランヴァルトはそんな事すら知らなかった。

 億単位の金をかけて、エルヴィーラはグランフェルト家の屋敷を生まれ変わらせてくれたのだ。ただの婚約者の行いではない。慈善活動でも無い。彼女は確かに、ランヴァルトと結婚した後の事を考えてくれている。

 アルヴィドとのお茶会の準備も、全て彼女が新たに雇い入れた使用人達がしてくれた。ランヴァルトは一円も出していない。何もしていない。一言「友人を招きたい」と云ったら、全て整えられていた。


「……僕なんかに、どうしてここまでしてくれるんだろう」

「俺に聞くな。エルヴィーラ嬢と話せ。時間、取ってくれてるんだろ?」

「うん。毎日来てくれて、夕食を一緒に取ってるよ」

「お膳立てされてんじゃん。ちゃんと話せよ。必要な事は全部。些細な事でもいいから、全部だ」

「全部」

「そう。話したい事、聞きたい事、どんな事でもいいから全部だ。黙り込むな。目を逸らすな。お前はもう、腹を括るしか無い。エルヴィーラ嬢と結婚して、一生添い遂げるんだ。その為には、不安要素は全て潰す気でいろ。そうじゃなきゃ、エルヴィーラ嬢に悪いだろ?」

「そっか……そう、だね」


 エルヴィーラの事を思い出す。

 燃え盛る炎を幻視する黄金の目。自信に溢れた傲慢な笑顔。丁寧に結い上げられた鉄紺色の髪。健康的に艶やかな白い肌。屋敷を買える程に高価なドレス。彼女を彩るたくさんの宝石達。それに負けないどころか完全に勝利している、左右対称に整った美しい顔。

 彼女の前で、ランヴァルトはいつも萎縮していた。俯かないように、猫背にならないようにするのが精一杯で、視線を合わせるだけで息が上がりかける。自分とは違う、強い人。王侯貴族も、聖職者も、悪魔や天使とて彼女の財に敵わない。誰より高い場所に居る、世界最高の一人。誰も彼もが媚びへつらう、そうせざる得ない財貨の化身。

 それなのに。

 彼女は一度たりとも、ランヴァルトを軽んじなかった。

 婚約者として、未来の夫として大事にしてくれている。周りに居る者がランヴァルトを尊重しない事を、決して許さなかった。

 ――何もないのに。ランヴァルト自身は、何も持っていない。血統がよいだけの、ただの男なのに。

 エルヴィーラは誰でも選べた。どんな男でも、一言「欲しい」と云えば自分の物に出来ただろう。皇族・王族に輿入れだって出来る。どの国の皇室・王室も、諸手を挙げて歓迎する。彼女自身が国を作る事も出来た。それだけの財と人脈を、エルヴィーラは持っている。

 それなのに選んだのは、地雷原男と名高いランヴァルトだった。どうして、と思わずに居られない。だが聞くのも怖かった。「誰でも善かった」「適当に目についた」と云われたら立ち直れない。

 けれど、聞かない訳にはいかないのだろう。これほど恵んで貰っておいて、一人不安にうじうじしているのは確かに不誠実だ。

 話を、しなければならない。

 気合いを入れる為に、ランヴァルトは口を一文字に引き締めた。



 *** ***



「貴方を選んだ理由? 好きだからですけど」

「へあ゛っ?!」


 アルヴィドと茶会をした日の夜、晩餐の席でランヴァルトは勇気を振り絞って聞いてみた。「何故あなたは私のような男を選んだのですか」と。

 その答えがこれである。ストレートにも程があった。エルヴィーラは恥じらいも戸惑いも悩みも無く、スパッと云い切った。まさに一刀両断であった。

 それに対してランヴァルトはと云えば、自分で聞いた癖に動揺し、顔を真っ赤にして狼狽えまくった。「あー」とか「うー」とか、愚にもつかない音だけが口からこぼれ落ちる。

 ランヴァルトの様子を見て、エルヴィーラは薄く眉間へシワを寄せた。怒っていると云うより、困っているようだ。


「……何か不安にさせましたか。私の不徳の致すところですね」

「ち、違うのです。あの、ぼ……私が勝手に、不安になって、あの、エルヴィーラ様は何も悪くなくて……」


 美味しい食事が止まってしまう。

 今日のメインは「清流ナマズのレモン添え」だ。初めて食べた時はあまりの美味しさに、五分は感じ入っていた一品である。温かいうちに食べた方がいいのに、何故この段階で不適切な話題を出してしまったのか。またランヴァルトは落ち込んだ。

 情けないランヴァルトを見て、エルヴィーラはふむ、と呟く。カトラリーを置いて、ランヴァルトの方をしっかりと見た。


「貴方の生い立ちは把握しているつもりですが、認識が甘かったですね。……ランヴァルト様は、ご自分に価値がないとお思いのようだ」

「……っ」


 云い当てられて、息が詰まる。

 誰もが思っている。ランヴァルト自身も思い知っている。あまりにも、エルヴィーラとランヴァルトは不釣り合いだ。

 身分だけ見れば丁度いい。公爵と侯爵令嬢だ。問題ない。しかし内情を見れば、誰も彼もが首を傾げること請け合いだ。

 曾祖父の遺産を元に自ら財を築き上げた最高峰の女傑と、血筋だけは立派な貧乏地雷原公爵。

 どう見たってチグハグで不釣り合いだろう。ランヴァルトにエルヴィーラは勿体なすぎる。エルヴィーラにはもっと善い縁談があると、みんな口を揃えて云うに違いない。

 と云うか、云われてる。彼女が複数人から「なんでよりにもよってあんな男を選んだのか」と云われている事を、ランヴァルトは彼女の秘書より聞かされていたのだ。

 そして彼女がその言葉を云った相手に対し、男女身分年齢関係なしに情け容赦なく顔面を扇子で打ち据えて、「金銭的に殺してやろうか」と云っていた事も知っている。

 怖すぎる。ようは彼女の支配する経済圏からハブると云う事だ。このご時世に飢え死にか。怖すぎる。王子も一人ぶん殴られたらしい。こちらは拳で。怖すぎる。

 ちなみに、当然彼女へお咎めはなく。殴られた方が一族総出の平謝りで、王子は国王と王太子両方からみっちり叱られたそうだ。可哀想と云うべきか、自業自得と云うべきか。ランヴァルトには分からない。

 そう、分からないのだ。

 何故エルヴィーラほどの人が、ランヴァルトにそこまで入れ込んでくれるのか。


「……僕、は」


 呟くように、云う。不安と焦燥が、ランヴァルトの舌を動かした。


「この血筋以外、確かなものを何も持って、いません」


 ほぼ王族と変わらない血統。王弟の末裔、姫君の息子。それしか無いのだ、ランヴァルトには。


「金策も出来ず、世間知らずで、家を維持するのに精一杯で」


 伯爵以上の貴族は、国から年金が与えられる。それを元手に商売をする、領地を改良する、交易を行うなどして、貴族は金銭を稼ぐ事も出来る。けれど、ランヴァルトには出来なかった。これ以上の失態を重ねてお家取り潰しになる事を恐れて、現状維持にしがみついた。


「母は遠くへ輿入れし、父はどうしようもない男です。頼っていい親戚もいない。友人と呼べるのは一人だけ。曾祖父の人脈は、父の代で絶えました」


 外交上重要な人脈は、他家へ移された。曾祖父と祖父の世話になったとランヴァルトに親切な人も居るが、国と国との対話に影響を与えるようなものではない。父の所業に憤り、ランヴァルトへ厳しい視線を向ける人の方が多いくらいだ。

 王と王太子はあくまでランヴァルト個人に優しいだけで、グランフェルト公爵としては甘やかしてなどくれない。公私の線引きはきちっと出来ている方々だった。


「……金も力もない癖に、行き場の無い母子を拾い上げて、救った気でいた」


 ベック夫人と娘のモニカ。夫人は元々男爵家の人間だった。しかし夫が亡くなり、家が夫の弟夫妻に乗っ取られ、為す術無く娘共々追い出されてしまったのだ。

 ランヴァルトとモニカは、子供の頃に遊んだ仲だ。まだ母が家に居た幼き頃、茶会が開かれる度にモニカはベック夫人に連れられてグランフェルト家へ来ていた。あの頃は男女の別なく遊んだものだ。

 この家における数少ない優しい思い出に、モニカは登場する。穏やかな日々を思い出すためにランヴァルトは、モニカ達母娘を拾ったようなものだ。モニカを見ていると、母がいた頃を思い出せる。自分の無聊を慰める事が出来る。たったそれだけの理由で、モニカ達を屋敷へ入れた。


「…………どうして、」


 息苦しさと共に、疑問を改めて口にする。俯きたくなかったのに、膝の上で握りしめた拳を見つめてしまう。視界に入る自分の金髪が鬱陶しい。見た目ばかり立派で中身は一つも伴っていない事を、逐一思い知らせて来る厭な髪だ。

 ランヴァルトを好きだとエルヴィーラは云った。どこが好きなのだと、疑問に思う。こんな男のどこに、好意を寄せる要素があると云うのか。

 公爵のくせに情けなくて、みっともなくて――自分で自分が大嫌いだと云うのに。


「どうしようもない境遇でも頑張ってる所が好きです――とか云えたら、格好がつくのですけれど」

「はい……?」

「単純に、貴方が私の“最推し”だと云うだけです」

「え」


 聞き慣れない言葉が出てきて、ランヴァルトは戸惑った。ついでに顔も上がった。

“最推し”と云う言葉は、あの夜会で云われた言葉だが、そう云えばどう云う意味なのか聞いていなかった。


「あの、“最推し”って、どう云う意味ですか……?」

「難しい質問です。推しとは概念ですから」

「概念」


 オウム返しする。概念とはなんぞや。

 エルヴィーラは白ワインを一口飲むと、杯を掲げてにこりと笑った。普段の傲慢でギラギラ輝く笑顔ではなく、慈しむような優しい笑みだ。


「例えば、貴方の食事。私が金に飽かせて用意したものです」

「はい」

「私の金で準備した食べ物で貴方の体が形作られて行くのかと思うと興奮します」

「こうふん」

「貴方が今着ている服。私がデザインし、私が買った布を使い、私が選んだ針子に作らせたものです」

「は、はい」

「貴方に私の好きな服を着せて眺められるとか、尊さの極みです」

「とうと、え?」

「貴方が生活する家。元々公爵家の物ですが、私が好きにリフォームしました。私の金で」

「はい……」

「私の用意した私の縄張りで貴方が生活しているのかと思うと、心が満たされます。生きるって素晴らしい」

「え……」

「貴方にお金を使える事が幸せです。貴方が私のお金で生きている事そのものに意味があり、価値があります。それを間近で見られる婚約者と云う立場、未来の貴方の妻と云う美味しすぎる立ち位置、最高過ぎて墓入りしそうです」

「し、死なないで下さい……?!」

「死にません。貴方を幸せにしたいので」

「……」

「まぁ、そう云う事です」


 どう云う事だろう。

 ランヴァルトは意味が分からなくて、ぽぁっとエルヴィーラを見つめてしまう。

 エルヴィーラは間抜けなランヴァルトに失望するでも、残念がるでもなく、にっこりと、それはそれは幸せそうに笑った。この世全ての幸福を手に入れているのだと云わんばかりの、大輪の笑みだ。

 くるり、くるぅり、杯の中で白ワインが踊る。


「世の人々は、自分の為にお金を使います。私も自分の為にお金を使っています。貴方にお金を使う事が私の幸せです。貴方が私のお金で幸せになってくれたら、それでいいのです」

「わ、分かりません。僕にお金を使って、貴方がどうして幸せになるのです?」

「だから云ったでしょう。――貴方が私の“最推し”だからです。推しの幸せこそが私の幸せ。そう云うものなのです」

「そ、う、なのです、か……?」

「そうです。だからランヴァルト様、貴方はこれからも遠慮せず、私の金と云う名の愛を受け取って下さればよいのです」

「え、でも、それではあまりにも不公平では……? 僕ばかり得をして……」

「では笑って下さい」

「え」

「泣いてもいいですし、怒ってもいいです。戸惑うのもいいし、困ってもいい。私に沢山ファンサして下さい」

「ふぁんさ……?」

「具体的に云うなら、これからも私に色々な表情と行動を見せて下さい。私に会う時は目一杯おしゃれして、私に笑いかけて、丁寧に相手をして下さい。夜会の時は片時も離れてはいけません。他の女性と踊るなど以ての外。私の見た目を褒めてくれてもいいですし、ドレスや装飾品を選ぶ時には一緒に居て一番私に似合う物を選んで下さい。お茶会も開いて欲しいです。貴方の精一杯のもてなしで私を楽しませて下さい。観劇や美術品の鑑賞会にも一緒に行きたいですね。市場や公園に行くのも楽しそうです。その時も当然、私の側から離れないように。――そして結婚した暁には、この屋敷に帰って来る私に、必ず「おかえりなさい」と云って下さい。そこまでしてくれたら、最高過ぎて死にます」

「死なないで?!」

「例え話です。死にませんとも、貴方を心ゆくまで堪能するまでは」

「……」


 ランヴァルトはかなり混乱している。どう考えても、ランヴァルトしか得をしない条件だ。


「えっと……」


 言葉に詰まり、悩み、惑い、目をぐるぐるさせて、ランヴァルトは云う。


「せ、精一杯、頑張ります……?」

「よしなに」


 晩餐の席。部屋は広く、テーブルは大きく、けれど二人の距離は近い。

 エルヴィーラを差し置いて上座に座るのは無理だと懇願し、公式の場ではないからと彼女が折れて、でも近くで話しながら食事をしたいと云われた。当主の場所にエルヴィーラが座り、机の角を挟んだ近くにランヴァルトが居る。晩餐なのに、家族のような食卓風景。すぐに声が届く場所に、近いうちに家族となる人が微笑んで食事している。

 ランヴァルトは「やはり自分だけが得しているのでは、自分だけが幸せなのでは?」と混乱しながら、エルヴィーラの甘い笑顔にくらりと酔った。



 つよつよ女性の話が読みたいんですけど、探し方がへったくそなのか中々見つからないんですよね……。かなしみ。

 別所で教えて頂いた「ヴィクトリア・ウィナー・オーストウェン王妃は世界で一番偉そうである」のヴィクトリア様が最高にツボな訳ですが。

 他にもおすすめ攻め女子、イケメン女子、最強女子の話があったらどうか教えて下され。

 途中で女らしさを求めない、最後までおっぱいついたイケメンであるつよつよ女子を常に求めております……!!

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