生姜焼き定食と、メロンパン ~おかわり~
世界で自殺者が一番多い月曜日──ブルーマンデー。
林田 果歩の可愛い後輩の愛海は、今日も今日とてチベットスナギツネだった。
先週の金曜日の飲み会の果歩の話が不満のようだ。
どうしてだろう……果歩としては最高の夜だったのだが。
「先輩、ただの飲み会のことを『最高の夜』とは言わないですからね。言うならば『最高の夜(笑)』です。……連絡先くらい交換したんですよね、もちろん」
可愛い話し方が家出した後輩は容赦がない。
一体どうしてだ……果歩の方が先輩なのに。
(『してない』って言いにくいな……)
「え、えへ?」
「『えへ』じゃないですよ! 先輩、知ってますかぁ? チャンスの神様は前髪しかないんですよ?」
「知ってるよ。チャンスの神様は後ろ頭が禿げ上がってるから、ない髪は掴めないって話でしょ?」
「ちっがーう! そうだけど、そうじゃないんですよぅ!」
「よしよし、落ち着いて」
ワゴン車販売の一日百個限定のクリームメロンパンを頬張りながら、果歩は愛海を宥める。
愛海はそれでも諦められず、「何話したんですかぁ?」と食いついてくる。
この後輩は本当にコイバナが大好きだ。
「私、中学の頃ね、剣道部だったの」
「はい?」
きょとん顔の愛海を知らんぷりして、果歩は話を続ける。
「二木さんもね、剣道やってたんだって。あっ、二木さんは高校までやっていたみたいなんだけどね。抜き技と打ち落とし技が得意だったんだって」
「それってエッチな話ですかぁ?」
「違うよ……」
がっくり肩を落とす果歩に、愛海が顔を赤くしながらスマホで調べて「すみませぇん」と謝る。
「うふっ、勘違いしちゃったぁ。で? で? 学生時代の部活動の話で一時間半も盛り上がったんですか? 違いますよね? 他にもしましたよね?」
「ええっと、野菜も食べなって言われた」
「ああ、それで今日サラダの小鉢があるんですねぇ」
食堂でばら売りしている空になった小鉢を見ながら愛海が「きゃっ」と悶えるのが、いたたまれない。
『野菜も食べな、林田さん』
彼に優しい声色で言われたのだが、恥ずかしくなった果歩は思わず反論してしまった──
朝食はサラダと育てているカスピ海ヨーグルトだし、食べられない日は通販で買った少し値が張るトマトジュースを飲んでいるし、夕飯だって野菜たっぷりのものをできるだけ自炊している。
昼に好きなものを食べていたくらいで、食生活が乱れていると思われているなんて心外だ。
そちらこそ、毎日毎日生姜焼き定食を食べているではないか──と。
二木 温は、少し拗ねた言い回しの果歩を面白そうにくつくつ笑った。
彼と話すのはとっても楽しかった。
部活の話から、好きな作家の話、最近観た映画の話……。
本社に引き抜かれただけあって、頭が良いのだなと感心する場面も幾つかあり、「あっ」と言う間に飲み会は解散となった。
「ロマンスの神様の前髪を掴めないのが先輩ですよねぇ……仕事はバリバリできちゃうのにぃ」
「そんな格言ない」
「言葉の綾ですぅ。そんなぼんやりしてると誰かに取られちゃいますよ?」
「……愛海ちゃん、とかに?」
「やだもう、だからタイプじゃないって知ってるくせにぃ。私は二木さんより、嶌さん派ですぅ」
「しま……? ああ、嶌さんね」
嶌は二木 温と同じ海外商品企画部所属の男で、見た目がとっても綺羅綺羅しい男だ。彼は、最近人気の爽やかイケメン俳優に顔と雰囲気が似ている。
しかも、確か帰国子女で良家の次男……さぞやモテるだろう、と思いながら果歩は最後の一口のメロンパンを口に入れた。
時計を確認すると、休憩時間終了十分前。
(今日は二木さんいなかったなあ……)
二木 温が食堂にいないことを残念に思いながら、果歩は牛乳パックを畳んだ。
*
あの最高の夜(笑)の翌々日から、果歩がリーダーを務めるチームは突然忙しくなった。
というのも、クライアントが納期三日前に色指定の変更を願い出たからだ。
──『赤色をさ、ちゃちゃっと青色に変えてほしいんだよね』
色の変更を、ちゃちゃっとできると思っているクライアントに心の中で『歯にもやしの髭を一週間ほど挟めてしまえ!』と呪いをかけた果歩は悪くない。
色の変更と言うことは、つまりほとんどのデザインが変更ということだ。
赤色(暖色)に合うデザインを青色(寒色)に変更する作業は物凄く大変なのだが……クライアントにはそんなことは理解できないようだ。
色を変えるだけだろ? なんて言われて終わりだ。
「やってやろうじゃんっ!」
もともとの担当分の仕事と、打ち合わせで会社訪問の予定が二件、新入社員への講習とその準備にプラスしての色変更……かなりの工数だ。正直、しんどい。
でも、果歩は負けず嫌いなのだ。
できないなんて口が裂けても言いたくない。
「頑張るぞー!」
チームメンバーの後輩達に明るく声をかけて、果歩は差し入れに缶コーヒーを配った。
*
納期終わりの木曜日。
「ちかれたー……」
べたあ、と冷たい自分のデスクに頬をくっ付けて果歩は呟いた。
ここ三日、不眠不休……とまではいかないまでも、体内時計が狂うほど頑張った。
結果、クライアントは喜び、「次も林田さんと仕事がしたいな」といい笑顔で言われたが、果歩はこっそり遠慮したいなと思った。
「先輩、お昼ご飯食べに行けますぅ?」
「うーん、パスかな」
果歩は愛海の誘いに首を振る。
(今は食事より睡眠……)
納期ぴったりにデータを格納し、先ほど打ち合わせを終えた果歩は昼休憩を睡眠に回したい。
「先輩、大丈夫ですかぁ?」
「大丈夫だけど、ごめん。寝る……」
「はっ! 先輩っ、死!?」
「死んでないよ~寝かせて~」
果歩は死……ぬことはなく、寝た。
ぐう。
昼休憩終了十分前に起きた果歩の肩には愛海のブランケットがかかっていた。
そして、さらっとした肌触りのいいブランケットを畳んでいると、愛海がメロンパンを片手にデスクに戻ってきた。
「メロンパンのお土産ですぅ」
「愛海ちゃん、ありがとう。ブランケットも」
「いえいえ。それより先輩、明日は食堂行きましょうね!」
ピカピカ満点笑顔の愛海に何か違和感を感じながら、果歩は「うん」と頷いた。
******
「お前、連絡先聞かなかったの?」
肉野菜炒めを飲み込んだ嶌に呆れ顔で言われ、温は眉を顰めた。
「……」
無言は肯定なり。
「ええ? 一時間以上ずっと話してたろう? 何の話してたんだ?」
「学生時代の部活動の話とか、野菜食べろとか」
「はあ?」
温は中学校から剣道を始めて、高校卒業まで続けた。
中学では副主将。高校では部員八十名の強豪校で主将を務め、全国にも行くことができた。最後の試合ではベスト4を修め、その試合で温は大将だった。
道着と袴の色、襷の結び方、試合で使う特別な手ぬぐい、こだわりの面の形、竹刀のカスタマイズ、一本取った時の号令、得意技等々……経験者ならではの話で盛り上がり、それが一段落つくと趣味の話に花が咲いた。
独特の感性を持っている彼女の本の感想なんかは、温を驚かせて楽しませた。
野菜を食べるように言った時には、口を尖らせて反論してきた顔が可愛くて笑ってしまった。
彼女と話すのはとても楽しかった。
それからそれから──
「普通に解散って、二木は馬鹿なの? 男子なの?」
「……男子だよ」
「林田ちゃん、がっかりしただろうな~。『どうして何も言ってくれないの?』って」
「似てない」
「硬派なのはいいけどさ、二木がモタついてる間に掻っ攫われるぞ」
「お前、もしかして、」
「俺は林田ちゃんよりも愛海ちゃんのがタイプだから、それはない」
「誰だそれ」
「林田ちゃんの後輩。林田ちゃんの傍にいつもいるだろ? あのすっげえ可愛い子。飲み会にも来てた」
「いたか?」
「いたわー」
リアクションがいちいち煩い嶌に、うんざりしながら温は今日も生姜焼きを食らった。
先週の金曜日の飲み会から、月曜火曜とメロンパンを頬張る林田 果歩を見れなかったことを残念に思う温は、この時、翌日の昼休憩に彼女を見れることを信じて疑っていなかった。
*
今週一度も彼女を見れないまま食堂に訪れた木曜日。
林田 果歩はどうしたのだろう。
もはや、あの不躾とも言えるしつこい視線が懐かしい。
生姜焼き定食に箸を付けながら、彼女が好んで座る窓際の席を見ると、そこには別の人間が座っていた。
「気になるなら聞いて来い」
「……誰にだ?」
「ほら、あの端の席にいる白ワンピの茶髪の可愛い子。あの子が愛海ちゃん」
そう言うと、嶌は味噌ラーメンをずぞーっと啜った。
嶌が「ほら」と顎で指した席には若い女子社員が三名……とても話しかけづらい。
「聞いてきたか?」
温はげっそりしながら、にやにや顔の嶌に「……聞いてきた……」と返す。
林田 果歩の後輩達の『興味津々!』という顔にHPがごっそり持っていかれた。
彼女の後輩が言うに、林田 果歩はクライアントの急な仕様変更で忙しく、ここ三日休憩も取らずに栄養補助食品ばかりで仕事をしていたそうだ。
しかし、それも今日までだとか。
今は納期が無事に終わり、デスクで昼寝してると言われた。
「で?」
「え?」
「だから、愛海ちゃんに『四人で昼食しませんか』くらい言った?」
「……いや」
言ってない。
「やっぱお前あれだ、中学生だ」
*
皆が大好き、花の金曜日。
約一週間ぶりに見た林田 果歩は、なんとなく顔がほっそりしている気がした。
もともと細かったが、七分丈の袖から伸びている腕の細さが妙に気になる。
「あららら、二木くん、林田ちゃんいるよ? 一人で声掛けれる? 嶌くんが代わりに声かけてきてあげようか?」
嶌がわかりやすく煽ってくる。
きゃぴっとした話し方がムカつくし、キモい。
「お前ちょっとどっか行け」
「面白……心配だから俺も行っ……はいはい、行かない行かない。怖いから睨まないでください」
「お疲れ様」
こん、と根菜のサラダの小鉢を林田 果歩の前に置くと、嶌が可愛いと大絶賛していた彼女の後輩が「きゅぅん!」と小さく奇声を上げて素早く席を立ち移動してしまった。
なんて気の利く子だと思うと同時に、温の気持ちがバレバレなのを知る──この『バレバレ』は林田 果歩にもそうなのだろうか?
「え、お疲れ様です? ……え?」
混乱して目を瞬かせている彼女の前に、生姜焼き定食が乗ったトレーを置いて割り箸をぱきっと割る。
「小鉢、要らなかったな」
林田 果歩の手元にはきゅうりとツナのサラダの小鉢があった。もちろんメロンパンもある。
「……二木さんが『野菜も食べな』って言ったんじゃないですか」
二つも食べられません、と言って彼女は温の寄越した小鉢を引き寄せて、彼女の小鉢を温の方に移動させる。
あんな小言を守ってるなんて、ちょっと……いや、かなり嬉しい。
視界の端にいるサムズアップしている嶌を無視して目の前の林田 果歩を見れば、彼女はいつもより小さい口でメロンパンを食んでいた。
クライアントの急な仕様変更の話や、この三日間の天気の話、当たり障りない言葉を二・三交わし、ほんの数泊の沈黙の後、温は口を開いた。
「林田さんがちゃんとした飯食ってるとこ見たいんだけど」
「ええ? なんですかそれ」
彼女が笑ってくれたことに、安堵して温は箸を置いた。
そして──
「食事に誘いたいから連絡先聞いてもいい?」
温は、にまーと笑う嶌を直角に曲がって避けた。
が、待て待てと言われて捕まってしまった。
「ちょいと、二木や」
「何だよ」
「『何だよ』じゃなくて誘えたのか」
「ああ」
「まじかーやるときゃやるんだな。あっ、嶌くんが女の子の喜ぶ店教えてあげよっか?」
「……もう行くとこ決めてるからいい」
「え、どこ?」
「言わん」
******
「二木さんと連絡先の交換おめでとうございまぁす」
語尾にハートマークをたっぷり付けた愛海が、にこにこしながら果歩に言う。
「愛海ちゃん、見てたの?」
「見てましたぁ」
「悪びれもなく言う」
「デートに誘われたんですよね? どこ行くんですかぁ?」
「やだ、言わない」
「えっ!? 何でですか? 報連相は社会人の基本ですよぉ」
「報連相はこういう時使わないの」
「ええ~!」
「もうこの話終わり! はい、仕事するよ!」
愛海に、場所を言わなかったのは『言えなかった』ということもある。
なんせまだ『〇〇に行こう』と正確なお誘いをされていないので。
休日に誘ってくれたらいいなと思う。
もしそうなれば、いかにもデートって感じの可愛い格好をしてやるのだ。
納期終わりの残業がない平和な金曜日。
お誘いメッセージが来たのは、定時から十五分過ぎた頃だった。
タイトルに、『日曜日』──〈N県に朝採れ野菜を使った朝食を出してくれる古民家があるんだけど、朝が苦手じゃなかったらどうですか〉
「N県……」
小さく呟きながら、果歩は笑いがこみ上げてきた。
二木 温はどうやら果歩に野菜を食べさせたいらしい。
お洒落なバーとか、可愛いカフェランチを想像していた果歩の予想は裏切られたが……存外、不快に感じない。
それどころかとっても嬉しい。
話す時間がたっぷりある最高のお誘いだ。
N県だと車で往復四時間くらいだろうか──先週の飲み会では話したりなかったことや、聞けなかったあれやそれやを聞いてみたい。
メッセージの返信は時間を置いた方がいいと聞くけれど、野菜もこの気持ちも鮮度が大事だ。
〈早起きは大得意です!〉
果歩は思ったまま送信ボタンをタップして、今の時間からでも予約なしで行ける美容院を検索することにした。
【完】
dates are held even if it rains.