覚醒
無音。
世界が彩度を失った。
穴だらけのボス部屋、正面にコウモリ羽付きの豚顔モグラ、俺の手に鞘に収まる古い剣。
そのどれも動きを完全に止めている。
時が……、止まった……!?
いや、違う。
とてつもなく遅く見えている。
もしかしてこれが走馬灯ってやつか?
死ぬ前に見るっていう……。
なら俺は死ぬのか?
――なぜ仲間を見殺しにした人物を助けるのですか?
な、なんだ!?
頭の中で声がする。
耳を押さえようとしても身体の自由が利かない。
――なぜ仲間を見殺しにした人物を助けるのですか?
平坦で無機質な言い方だ。
声の感じは、たぶん若い女だと思う。
誰だ、俺に話しかけるのは!
心のなかで叫ぶ。
――なぜ仲間を見殺しにした人物を助けるのですか?
聞こえてないのか?
まるっきり同じ言葉が繰り返される。
どうやら質問に答えないといけないようだ。
仲間を見殺しにした団長を助ける。
なぜ?
そういえば考える前に体が動いていた。
改めて言うなら、そうだな……。
団長は人間失格だ。
だけど! 俺は誰も見殺しにしたくない!
ああ、そうだ。
そして俺は青年を見殺しにしてしまったんだ。
本当は助ける力を持っていたというのに!
人が死ぬのを見過ごして、何が団長を許せないだ?
俺も同じだったじゃないか……。
力を隠して最強の攻略パーティに入った。
何でも言うことを聞くテイの良い荷物持ちとしてだ。
魔王城に行くまで死ぬわけにはいかないから。
でも間違っていた。
そんなことだから助かる命を助けられなかった!
――では契約してください。
また、女の声がする。
ケイヤク?
――あなたは人が死ぬのを見過ごさないために剣を振るう、と。
分からないけど、覚悟しろってことか?
――その対価に伝説の聖剣セレナータは力をお貸ししましょう。
この声の主は、もしかしてこの古い剣なのか?
剣が喋るなんて聞いたことがない。
でも、言葉の意味はわかる。
俺は人が死ぬのを見過ごさないために剣を振るえばいい。
ただ、俺は一度、剣の道を捨てた者。
また剣を取るのなら、いいだろう、ふたたび剣の道を行くまでだ。
この声のお前が何者かは知らない。
だが、分かった!
――契約成立です。よろしくお願いします、ご主人様。
無機質な声がそう告げると、まず風の音が聞こえた。
ゴオオオオ
敵が風を切る音だ。
次第に世界の色彩が元通りになってくる。
……俺は死ぬのか?
あきらめながら
鞘ごと古い剣を振った。
目の前に
巨体が迫る。
棒きれ同然の古びた剣で身を守れるわけがないのだが。
キィィィィィィン!!
目が覚めるように
刃、
鳴る。
木製の鞘が砕け散って、中から美しい銀の剣身が現れた。
それは、魔力を秘めた剣。
青年が団に潜り込めたのも、そして傷を自分で癒せなかったのも、剣だけが魔力を持っていたからだ。
あらゆる合点が、俺の中にあった迷いを打ち消した。
切っ先がボスの体躯にスッと切り込む。
それは水面に指を入れるのとほとんど変わりない所作だった。
「……軽い」
感嘆が漏れる。
何かを切る時に感じる引っかかりがまるでない。
ボスは豚のような声で体を逸らす。
仕留めそこねた。
さすがダンジョンボスと言うべきか。
俺はかろやかに着地する。
ああ、今まで中空にいたということすら忘れていた。
今までの重さが嘘のようだ。
それだけではない。
「体すら軽く感じる」
地面を靴のつま先で踏み鳴らす。
本当に軽くなったわけではなさそうだ。
ダンジョンボスが俺を睨みつける。
次の標的はお前だ、とでも言いたげに体を震わせた。
震えは弾力を増して、
その場から壁に
跳ぶ、
跳ぶ、
跳ぶ。
ドン!
ドドン!!
ドドドン!!!!
ドドドドド!!!!!!!!
目にも留まらぬ速さ。
もう音しか聞こえない。
今まで聞いた中で最も早い衝撃音だ。
たぶんこれがボスの全力。
……でも、関係ない。
俺は目を閉じ、剣の柄を両手で握り込む。
右肘を顎の前に出した後、顔を柄の先へ向けた。
ドォォォン!!
開眼。
俺の左の脇腹へ向けて跳んでくる。
だけど敵がどんな速さになろうと関係ない。
……あらゆるすべてが止まって見えるから。
豚顔は鋭利な前歯をむき出しにした。
なんだその攻撃、遅すぎる――!
これは本来なら片手剣の剣術。
だが、この軽さだからいけるはずだ。
曲げた肘を伸ばすと同時に体重を前に掛ける。
【輪剣術三日突】
柄の先を前に向けていたから、もちろん剣先は敵に最も遠い。
剣先ただ一点を届ける、豚顔の前歯へ、最短で。
この剣術を見た者は白刃の残像について、こう言う。
「三日月……?」
俺の後ろから団長の呆けた声が聞こえた。
そしてダンジョンボスは顔面を中心になますのように四散した。
ガガン!
「え?」
なぜか分からないが、ダンジョンの壁も爆砕した。
夜空が見える。
剣戟の勢いが余ったのか?
いや、違う。
これが、契約の「力」なのか……?
夜の光を浴びて、自称伝説の聖剣は怪しく輝いていた。