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前編

 五月雨がしとしとと降りしきるほの温かな薄曇り。

 雲のすき間から照らす日差しは弱い。


 更に編笠を被って視界も悪いという悪条件のなかでも野村清五郎のむらせいごろうの目は見逃さなかった。


 ──見つけた


 三月と半、江戸より出でて追ってきた相手の顔に相違はない。


 何やら着物の仕立て屋の前で買い物の交渉などをしている様子だ。


 店主を慮り丁重に頭を下げる男の姿はその以前の態度を知る清五郎からすれば俄かに信じがたい姿であった。


「──城戸道久きどみちひさこのようなところで何をしておる」


 思わず低い声を呟き慌てて口を噤む。

 落ち着け、と自分の胸に言い聞かせる。

 ここから相手に聞こえるような距離と声量ではない。


 じっと編笠の裏で目を光らせ清五郎はやっと出逢えた目的の相手の所作を観察する。

 ──本当に何をしているのだろうか


 身長たっぱは5.2尺、体重も並くらいだろうか。

 容貌も目立った所はなく凡庸。

 しかし男に刀を持たせればその平凡たる外観から想像できないほどの絶技が放たれる事を清五郎は嫌というほど知っている。


 使命を思い出すと今すぐ駆け寄って後ろから刺突したい衝動に駆られるがそれほど易い相手ではないこともわかっている。


 自然と上がる呼吸を編笠の奥で落ち着かせながら清五郎は離れた物陰からじっと男の挙動を観察する。

 本当に何をしているのだろうか。


 遠くから聞こえてくる言の葉の端々を拾い上げると何やら女物の着物の仕立てを頼んでいるらしい。


 ──女?


 師を斬っておいて随分といい御身分なことだ。

 清五郎は思わず腰の刀に手を掛けそうになるがその衝動を抑える術も心得ていた。


 ──落ち着け


 清五郎は再び目的の相手の観察に戻る。


「……くそっなんで俺がこんな出歯亀のような真似を」


 歯ぎしりしたくなる衝動を抑え清五郎は己の苛立ちを抑えつける。


 三月以上に渡り追っていた仇にやっと出逢えたのだ。

 しかも相手はこちらにまだ気づいていない。

 長らく待ったこの絶好の機会を逃すわけにはいかない。

 事は慎重に進めるべきだ。


 清五郎は頭の中で様々な状況と出方を構築しながら仇を観察し続ける。


 城戸道久は師を始めその高弟たちをたった1人で斬り殺した恐るべき達人だ。


 対して齢21の清五郎の剣の腕は楢館ならだて一刀流目録。

 同門の免許皆伝を取得した兄弟子相手に正面から立ち会ったところで勝ち目は薄い。


 己がこの恐るべき達人相手に返り討ちに遭う最悪の状況を思い浮かべながら清五郎は身震いを必死で堪える。

 呑まれたら敗けだ──




 何故若輩の野村清五郎に師の仇討ちのお鉢が回ってきたのか。

 話は三ヶ月前まで遡る。






 ◇





 館山藩たてやまはん江戸屋敷に朝も早くから呼び出された清五郎は戸惑いながらも言われるままに出仕する。

 久々に出仕する江戸屋敷に着くなり通された一室は奥の良いところらしく更に訝しみながら清五郎は呼び出した相手が誰かわからぬまま待った。


 奥の一座に跪き清五郎はやがて遠く聞こえる足音を聴く。

 ますます身を屈めて清五郎は相手を待つ。

 その慇懃な足音は座敷に入ってくると上座に座った。

 音も立てずに清五郎は平服したまま声がかりを待つ。



「野村清五郎であるな。面を上げよ」


「はっ」


 声が掛かり顔を上げ上座を見やると眉間の皺の深い白髪交じりの初老の男が無表情で脇息きょうそくにもたれていた。

 ──館山藩たてやまはん江戸家老渋沢光胤しぶさわみつたね

 何度か顔を見た事がある館山藩江戸屋敷の最高責任者である。

 予想以上の大物からの呼び出しに清五郎はますます身を強張らせる。


 清五郎の心中を知ってか知らずか渋沢はしわがれた声で質問をしてきた。


「……うむ若いな……いくつになる?」


「数えで21になります」


 じっと黒の瞳に見つめられ清五郎は身じろぎもしない。いや出来なかった。

 ──家老まで出張ってくるとは如何様だろうか


「ふむ。野村よ、出来るらしいな。お主の剣の腕は聞いておる」


それがし、若輩なれば滅相もございません。先般のこともたまたま天運が味方しただけのこと」


 先日、清五郎はその剣の腕によって商家に押し入った強盗数名を撃退、捕縛した。

 商家への押し入りがあるという情報を手に入れたとある同心連中が清五郎の腕を見込み助っ人を要請されその期待に見事応えたのだった。

 ここ数日家中はその話で持ちきりであるが煩わしいことが嫌いな清五郎にとってはその噂は鬱陶しいとすら思っていた。

 それに相手の剣の腕も大したものではなかった。

(こんなことを鼻に掛けては武士が廃る)

 清五郎はそうまで考えていた。


 しかしいきなり剣の話を持ち出すとはきな臭いな、と訝しんでいると清五郎のその嫌な予感は的中してしまった。


「剣の腕を鼻にも掛けぬ殊勝なその態度見事である。しかしそうも言って居られぬ事が起きた。大変伝え難いことではあるのだが」


 話の嫌な流れに清五郎は気色ばむ。

 しかし表情や態度には出せない。

 上意下達じょういかたつの武家社会ではこのような場で嫌な顔一つすることすら許されない。


「……これから話すことは他言無用。そして藩主よりの命と心得よ」


「はっ。この野村天命に誓いまする」


 如何ほどが自分の本音だろうか。

 幼い頃より叩き込まれ繰り返してきた作法をこなしながら清五郎は己が今否応もなく人生の分岐点に立ったことを自覚する。

 息苦しさを堪え密やかに目線を前にすると己の命運を握る目の前の家老が物の怪のようにすら思われた。

 やぎて渋沢の口が開き嗄れた声が清五郎の命運を変える言葉を紡いだ。


「では伝える。まずは驚いてくれるなよ。5日前の晩、国元館山藩たてやまはんにて津久井明良つくいあきよしが斬られ死んだ。我が藩の剣術指南役であり、知っての通り其方そのほうの剣の師である。側に仕えていた高弟5名も時を同じくして斬殺された。この事実は未だ公には伏せられているため、知る者は少ないがな。この事実はもちろん他言無用だ」


「……まさか、師匠が……兄弟子まで」


 驚愕の事実に清五郎は目を見開き色を失う。


 楢館一刀流師範津久井明良。

 清五郎の剣の師でありかつては音に聞こえた達人であった。


 また津久井自身は高齢であったが側で重用されていた兄弟子たちはいずれも劣らぬ剣豪揃いであった。

 それがもうすでにこの世にはいない……


 ──とうてい信じられぬ


 冷や汗を吹き出しながら清五郎は二の句を告げぬままじっと平伏する。

 身分も低く若輩の身である清五郎は彼らとさほど言葉を交わした覚えもないがそれでも衝撃の程度は大きかった。

 渋沢は何か反応を待っているようであったが絶句の刻が明けない清五郎に向けて再び話を始める。


「……野村よ、衝撃は測り知れぬが暫く立ち直ってもらいたい。津久井が死んだという事実は曲げられぬ」


「……はっ」


 清五郎が小さく返答すると渋沢はうむ、と頷き先を続けさらに過酷な事実を告げた。


「藩の剣術指南津久井明良を斬り殺したのは城戸道久きどみちひさ。楢館一刀流免許皆伝を与えられたお主の兄弟子だな」


「……そんな、城戸先生が」


 清五郎は更に目を見開き息を呑む。

 故あって城戸も清五郎にとって見知った男である。

 城戸は兄弟子であり凄まじい剣の腕の持ち主であった。

 しかし清五郎の記憶によれば師を斬るなどという蛮行を果たすような男には思えなかった。


「これは現場から逃走する血塗れの城戸を複数の人間が目撃した、という証言から導き出された推測である。何度も重臣の間で協議を交わしたが身を隠しているという事実、師と不仲であったという証言からもまず犯人は城戸で間違いないであろう。私の言葉に偽りはない。良いな」


「はっ」


 家老がそう言えば事実はそうなのであろう。

 清五郎は動揺を脇に置き目の前の家老の言葉に集中する。


「蛮行の夜から城戸は国元より消えた。東海道を往き西の方に向かったとの目撃証言もある。 ……ではまだ頭の中で整理もついていないであろうが、これより藩命を申し渡す。謹んで受けよ」


「……はっ」


 何を言い渡されるのか、清五郎はここまでの話の流れでもはや読めていた。

 若い侍は座して運命の宣告の刻を待つ。


「野村清五郎、其方に館山藩剣術指南役津久井明良を殺害した罪人城戸道久の仇討ちを命じる。必要な資金はこちらより暫時用意するので路銀の心配はいらぬ。明日出立せよとの殿よりの命である。以上」


「……はっ」


 なぜ自分が……

 そのような疑問をおくびにすら出してはならぬ。

 清五郎は膝をついたまま上意を厳粛に受ける。


「下がってよい」


「はっ」


 青褪める顔を必死で取り繕いながら清五郎は江戸屋敷を後にした。






 ◇






「くそっ……アンタのせいで俺はこんな目に……」


 雲の間を手探りで行くような長かった旅路の日々を思い予期せず目頭が熱くなり袖で拭う。

 これは良くない。

 かなり内心では動揺が起きているようである。


 相手は師を始め一晩でしかも1人で高弟たちをも斬り殺した化け物。

 万全の状態でも討てるものか怪しいのに今の清五郎では返り討ちは必至である。


 不意打ちを採用するにしろ、本日は日が悪いと判断し清五郎は今日のところは城戸の挙動と根城を確認することにする。

 己を知り、相手を知らずんば──何たらである。


 仇を見つけたは良いが暗澹たる気持ちで清五郎は漸く話がついたらしい店を離れた城戸の後を追う。

 しかしどうやってこの男を斬ればいいかわからない。

 普通に考えれば不意打ちしかないだろうが通用するだろうか。


 観察して分かったがやはり城戸には隙がない。

 城戸道久が歩くごとに周囲に結界のような防衛線が張り巡らされているのが分かる。

 後ろから気配を消して斬りかかったとしてもその者はたちまちに恐るべき剣技の錆となるだろう。

 これは剣をある程度極めた者にしか分からない感覚であるが。

 凶行を成しただけはある。


 ──2年前より更に腕を上げている


 城戸の隠された剣力に改めて清五郎は密かに身震いする。

 ──ダメだ、勝ち目が無い


 このまま斬りかかったところでなます・・・になる未来は見えている。


 何故藩は剣豪というにはまだまだ力量不足の自分なんぞにこんな命を下したのか。

 いっそ藩命なんぞ放り出して何処かへ逃げてやろうか。

 構いやしない、どうせ俺には剣しかなく、それも目の前の相手には通用しない。

 下級士族の五男なので嫡男の目も無く許嫁もいない。


 頭の中で思考を組み立てつつ、いつかの城戸の姿を思い浮かべる。

 短い間ではあったが清五郎は師の命でひと月ほど兄弟子である城戸に仕えた事があった。







 ◇







 清五郎がまだ国元くにもと館山藩の剣術道場に通っていた2年前の事だった。

 通っていた道場師範の命を受け清五郎は街はずれに佇む一軒の道場を訪ねる。


 城戸道久は当時家中でも腕に覚えありとして師より免許皆伝を賜り楢館流の道場を一軒与えられていた。

 ここへは師の命で来たがこの時清五郎も名うての剣士から何かを学びとろうと意気込み城戸の元を訪ねた。


「ごめんください。某、楢館一刀流野村清五郎と申す。師よりお聞き及びかと思われますが今日より宜しくお願い申し上げます城戸先生」


 古びた小さなその道場を尋ねるとちょうど城戸が井戸端で水を汲んでいるところだった。

 城戸は清五郎の方すら向かず黙って水汲みを続けた。


 作業の間清五郎は黙ってその終わりを待つ。

 城戸という男は腕は立つが偏屈で上司や同僚への忖度ができぬ男であると聞く。

 その為にこのような片田舎の隅の道場を与えられ、また有望な若者の指導という厄介な仕事を仰せつかっているとも言われている。


 一瞥もくれることなく水汲みが終わると城戸は甕を持って家の中へと歩みを進める。

 慌てて清五郎はその後を追いながら城戸へと声を掛ける。


「お待ちくだされ、先生。某、師より先生のお世話を仰せつかっております。何か私に出来ることはないでしょうか」


 追いながら何度か同じ質問を繰り返すと根負けしたのか煩わしそうにしながらも城戸は口を開く。

 この時に清五郎と城戸は初めて向き合った。


「ええい!うるさい!今から俺は朝飯をつくるのだ。俺の食う物は俺の舌に合ったものをつくる。お前に出る幕はない」


 城戸は中肉中背、容貌に特筆するところもない男だった。

 歳は28と聞く。


 こうして話す内容もこういっては何だが剣客らしくもなく几帳面さや細かな拘りは伺えるが凡庸さすら感じさせる男だった。

 しかしめげることなく清五郎は続ける。


「なればお手伝いさせてくだされ、先生の味付けを勉強いたします故」


 尚も食いさがる清五郎に城戸は呆れたように舌打ちをする。


「ええい、勝手にせい。邪魔と思えば追い出すからな」


 そう言って城戸は清五郎をギロリと睨み抱えた甕を降ろすと朝食の準備を始めた。




 それから清五郎が住み込むようになって数日が過ぎた。

 城戸には直接の弟子というものはなく鄙びたこの道場に通ってくる者は居なかった。

 また、近所の農家の作業の手伝いをして生活費を稼いでいるようだった。

 剣の稽古の方も日に数度藁や木に向かって木刀を打ち込むのみでそれ程激しい稽古をしているように見えなかった。

 清五郎は城戸に立ち会いの稽古を一度申し出たことがあるが鋭い目で睨まれこう言われた。


「貴様の剣力で立ち会う、だと?片腹いたいわ」


 しかしその時の冷たい眼差しだけは身震いするような迫力があった。


 清五郎は疑問に思う。

 これが噂の天才剣士なのだろうか、と。

 師より与えられた古い道場を只ひたすら遊ばせているだけではないか。


 それでも清五郎はせめて、と城戸の作業を目で盗み習得する。

 やがて10日ほどすると道場の手入れや食事の世話を任されるようになった。

 道場に立ち会いを申し出る他流の剣客が訪れたのはその頃だった。


「頼もう。拙者は千川流ちかわりゅう榎本大善えのもとたいぜんと申す。立ち会いが所望だ」


「受け付けていない。帰れ」


 ふらりと現れたその男は昼下がり道場の掃除をしているところに現れた。

 城戸は一瞥だけするがその申し出をすげなく断り掃除を続ける。

 数日共に過ごしたのみであるが清五郎には分かる。

 この男は決して臆したわけではない、大方掃除をやり直すのが面倒くさいから、というのが主な理由なのだろう。

 清五郎は内心で呆れる。


 道場破りを見れば筋骨隆々とした偉丈夫だった。

 強い。

 清五郎はそう確信した。

 若い彼に滾る血が思わずその言葉を紡がせた。


「先生、なれば私が」


 間髪入れず城戸は清五郎を射竦めるような眼差しで怒鳴りつけた。


「ならぬ!お前ごときが流派を代表して立ち会うだと?10年早いわ!」


 殺気のこもった迫力に清五郎は怒りを覚えるよりも恐怖を覚え何も言い返すことが出来なかった。

 そんな彼らを見て榎本某と名乗る男は嗤った。


「おやおや……! 師弟ともに怖気づいたと見える。こんなものが楢館一刀流か?肩透かしだわ」


 しかしそれでも城戸は嘲笑う男を尻目に箒を片手に掃除を続ける。


「なんとでも言うがよい。振るって自慢する腕などない。お前こそこんな辺鄙な田舎道場なぞ破っていないで街へいけ。そこに楢館の本館はある」


 呆れたように眉を潜めるが榎本某は挑発を続ける。


「ふん……! 臆病者が。ならば貴様の兄弟子と師匠どもに目に物見せてくれようぞ。この俺、榎本大善が楢館を潰したという報せを楽しみに待っているがいい」


「勝手にせい。むしろそうしてもらったほうが清々する。あのような根の腐った爺どもなど元よりどうなってもよいわ」


 何としても動かず、自らの師たちを馬鹿にするような発言までする城戸に清五郎でさえ呆れを覚えた。

 いったいこの男の師に対する薄情さ、また無気力さは何だろうか。

 榎本某は遂には諦めたようにため息を吐き最後に吐き捨てるように言った。


「……ふん、本当にお前にはがっかりだ城戸。その調子で貴様の妻にも苦労をかけたとみえる。病床の妻を見捨てることなど貴様にとって造作もなかったろうよ」


 その瞬間、清五郎は背筋に怖気が走るのを感じた。

 城戸を見ると作業の手を止め無表情で榎本某を見つめている。

 面には顕われていないが城戸は激しく怒っている──

 清五郎が初めてみる城戸の表情だった。

 思わず清五郎は息を呑んだ。


 城戸は無表情のままゆっくりと歩き出すと道場に立てかけてある竹刀の一つを手に取った。


「そうだな。俺はあれの連れとしては最低の男だった。苦労をかけたのも事実だろう。だがな……」


 そして榎本某に向き合う。


「お前のような青二才にとやかく言われる筋合いはない……! こい。遊んで欲しいなら相手してやる。但し楢館一刀流の剣ではなく俺の流儀を見せてやろう……特別にな」


 城戸が初めて見せた殺気に一瞬たじろいだが榎本某は気を取り直すと腰に下げた木刀を手に取った。


「ふ……ふはは!それだ!それでこそだ!まずはお前を血祭りにあげて俺の旗揚げとしてくれる!」







 ◇







 嘗ての城戸の太刀捌きを想い出し清五郎は数度目の身震いを覚える。

 現在はその男の尾行中だ。

 見つかれば即、斬り合いになるだろう。

 じわりと額に汗が滲むのが感じられる。

 ──くそう、なんだってそんな大それたことをしやがったんだ

 男の凶行と藩命に怒りを覚えながら清五郎は編笠の奥で目を光らせながら慎重に尾行を続けた。

 城戸は繁華街を抜け街はずれへと歩みを速める。

 いったいどこへ行こうというのか。

 日が落ちかけ用件も済ませたらしく城戸はヤサに向かっている可能性は高い。

 なれば好都合だ。

 城戸の生活の拠点を突き止めたなら不意を付ける見込みは充分にある。

 奇襲が成功する可能性ははるかに上がるのだ。

 早鐘のように打ち付ける心の臓を抑えながら清五郎が息を殺しながら後をつけるとやがて城戸は街はずれのとある長屋の一軒に足を止め何か一言二言軒先きに呟くと無造作に戸を開いた。

 清五郎は編笠の下で目を見開き思わずつぶやく。


「……間違いない。城戸の住居だ

 あ……?」


 そして次の瞬間、思いもよらぬ光景がその目に飛び込んでくると──

 目の前が真っ暗になり、清五郎は意識を失った。








 ◇







 無精髭の紺色の袴の男が竹刀を八相に構え、黒い道着を着た巨体の男が青眼へと木刀を構え睨み合う。

 道場の木の床がみしり、と低い音を立てた。


 やがてにじり寄る2人の男のうち口を先に開いたのは城戸であった。



「榎木某とか言ったか俺はこの試合、竹刀を使う。お前は何を使っても構わんぞ。所望なら真剣を貸すが」


「榎本大善だ!覚えとけ!

 ……俺はこの木刀を使う。

 貴様こそ真剣を使わなくてもいいのか?

 楢館の外れ者風情が竹刀で俺に敵うと思うなよ」


 憤る榎本に城戸は鼻で嗤いすり足でその距離を詰める。


えのき・・・たけのこ・・・・か知らんが弱い犬ほどよく吠えるとは言ったものだ」


 榎本の顔色が紅潮し構えを更に高く掲げる。

 自らの体格を活かした戦法である。


「……ここは貴様の道場内だ

 殺されても文句はあるまいな」


 榎本の言葉に城戸は更に口角を上げ構えを低く下げる。


「やれるならやってみるがいい、くそガキが」


 返答の代わりに榎本の身体が次の瞬間低く沈んだかと思うと思い切り床を踏みしめ城戸の間合いへと跳ね飛んだ。


「とああああっ!」


 裂帛の気合いと共にその巨体から木刀が城戸の額目掛けて勢いよく振り出される。


 ──ガシャァァ!


 榎本某が一撃を振り下ろしたその一瞬だった。

 榎本が握っていた木刀が道場の天井近くにまで跳ね上がり次の瞬間には榎本は額から血を流し頭からどう、と倒れ込んでいた。

 城戸の竹刀が榎本の上段をかち上げ返す刀が額を割ったのであった。

 一瞬の内に終わった攻防は清五郎の目には糸筋が奔ったようにしか見えなかった。

 唖然とする清五郎を余所に城戸は竹刀を肩に担ぎ倒したばかりの相手を見つめながらぼつりと呟いた。


「……ふん、ちとやり過ぎたか。

 おい、野村片付けを手伝え」


 そうして介抱され目覚めた後は榎本某は来た時とは打って変わって腰を低くし頭を下げ道場を去っていった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いや、お見事です。 読みやすいし、迫力が伝わってきます。 なろうではなかなか「歴史・時代小説」は受け入れられませんが、もっと読まれてよい作品だと思います。
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