第八章 春日遊覧 ー間奏曲ー(六)
そして、母親の身分が低い子供に、神野は「源」姓を与えて一挙に臣籍に下した。親王の臣籍降下そのものは桓武帝も行っているが、それも安世も含め二人だけで、しかもそれぞれ別姓である。それに対し、神野の子で源姓を賜ったのはこの後も増え続けて後に三十二名にまで達するのだから、これは極めて異例の措置である。
「財政難の解決という点では、確かにうまい手だな」
ふむ、と安世は三守に向かって呟いた。
皇族の生活費、というのは国庫支出である。それゆえに、皇族である内は働かなくても生活は保証されているが、臣籍に下る、ということは、きちんと職をえて自らの生活費を稼ぎ出さなければならないということを意味する。また、皇族は中務卿や式部卿といった限られた職務には就けても、参議や納言といった重職には就けない慣例になっていた。臣籍に下るということは、当然こうした官職にも道が開かれることになる。
三守は首を傾げる。
「何か、引っかかることでもありますか?」
「ぼくにはないんだけどね。民部卿の葛野麿どのなんかは、泣いて喜びそうだし」
安世は軽く肩を竦めた。民部省は、国の歳入・歳出、すなわち財政一般をつかさどる省である。
「ただ………冬嗣は、引っかかってると思うよ」
「冬嗣どのが?」
「皇族があまりぞろぞろ列をなしてまつりごとの中に出てくるのは、多分冬嗣にとってはあまり喜べたことじゃないと思うね。競う氏族がひとつ増えるみたいなものだよ、これだけ人数が多いと」
「あ―――」
内麿は、遷都の事件から二年後に亡くなっている。その後を受け継ぎ、冬嗣は今や藤原北家の長になっていた。
眉間に軽く皺を寄せ、安世は呟く。
「せめて、ぼくみたいに各々違う姓ならまだしも結びつきが弱められるかもしれないけど―――しかも、『源』だよ。同じ源―――皇族に連なる、氏族意識っていうか、血族意識がはっきり出てる」
「皇族」対「北家」―――その対立の構図が準備されつつあることを、安世は感じた。
そしてそれと同時に、冬嗣と神野との関係も、難しいところにさしかかってるのかもしれないな―――と、いささか苦い気持ちで、安世は二人の兄弟―――異父兄と異母弟とを思うのである。