第八章 春日遊覧 ー間奏曲ー(二)
そうした宴に象徴されるように、非常に安定した雰囲気が朝廷を支配していた。
もともと神野は芸術・学問面で、非常に優れた天分を発揮していた。詩人であり、楽の名手であり、書の達人である彼は、分野を問わず、優れた作品、作者を見いだし、育てることに関しては非常に熱心である。そんな帝を庇護者として、大学は隆盛を極め、人々はこぞって詩や楽に熱中した。同時に彼自身も、この分野においては直接の参加者である。宴で贈り贈られる漢詩は、勅選漢詩集としてまとめられ、また雅楽寮も整えられている。
「安世、この曲なんだが、室内で演奏できるようにもう少し少人数の曲に直せないか」
時々そんな相談を雅楽頭でもある安世に持ちかけたりもする。
「やってみましょう」
気軽に安世も応じる。
「あ、そうそう。いくつか新曲や、編曲作品も出来上がっておりますから、よかったらごらん下さい。舞をつけたものも一つ二つございますし」
「それなら、次の宴の時にでも雅楽寮の者で披露してくれ」
「譜をお渡ししておきますよ。今度は主上にも是非加わって頂きたいですから」
神野は苦笑する。
「わたしの音は、宴向きではないと思うがな」
「そんなこともないでしょう」
「どうも、場をしずめてしまうような気がするのだよ」
確かに、神野の音は宴を盛り上げる、とか、人をくつろがせる、というのとは少し異質だったかもしれない。詩は、神野にとっては芸術であると同時に、折々の社交手段のひとつでもある。それに対して楽はより私的なもので、人に聞かせるためのものではなかった。
神野は、神託を聞くように琴を奏でる―――かつてそう評した安世だが、少し首を捻って言った。
「最近は、少し軽みが出てこられたようにも思うのですけれど」
「そんなものかな」
「いえ、別に無理に宴で奏でて下さいとは申しませんよ。ですが、是非そのうち箏など聞かせて頂きたいと思っております」
安世がそう願いを取り下げれば、神野も強いて拒もうとはしない。長い付き合いである。
「いや―――それなら、練習しておこう」
といった話になるのだった。