第九章 春雨水紋(四)
篁は翌年春に文学科に入学した。そして宣言した通り、僅か一年で文章試を受けて及第するという離れ業をやってのけたのが今春二月のことである。合格してからは、一年間、窮屈な寮生活を続けたのだから文句はないだろう、とでも言いた気に、許可をとって家に戻り、このところ再び馬と弓に精を出す日々なのである。
「しかし、良峰どのも、もう少し天気のよい日に来て頂ければ、遠乗りにも行けましたものを」
残念そうに、篁は言う。安世は笑った。
「だからこそだな。晴れた日になんぞ来てみろ、岑守どのと話などできないよ。わたしとて、出かけたくてうずうずするではないか」
「それならば、わたしも御一緒致しますよ」
にこにこと、岑守が口を挟む。
「父上は、そろそろお年の方を考えた方がよろしいでしょう」
篁は澄ました顔で言う。岑守はじろりと篁を見た。
「父をいくつと思っておる。まだ五十だぞ」
「五十二でしょう」
「五十やそこらで年寄り扱いされるのは迷惑というものだぞ。我が父永見は死ぬまで馬に跨がり、桓武帝をお守り申し上げていたものだ」
「前の征夷副将軍と御自分を同格に見てどうなさろうというんです」
「何を言うか、お前など、父上の足下にも及ばぬわ」
そんな親子のやりとりを、安世は楽しげに見守っていた。
岑守は非常に温厚な文人ではあるが、それだけではない。意外に熱い血を持っているな、と、安世などはたまに思うことがある。大体穏やかなだけの生白い文人などに、坂上田村麻呂、文室綿麻呂によって鎮圧されたばかりのまだ荒々しい陸奥の地の国司などつとまるはずはないのである。
大体、小野氏はもともと文人の血と武人の血とを二つながらにその身に秘めているところがあるらしい。岑守の父永見は征夷副将軍をつとめているし、その父毛野は中納言正三位中務卿。その祖父は聖徳太子の時代に遣隋使をつとめた小野妹子であり、さらに敏達天皇(欽明天皇の子、推古天皇の兄)にまで行き着く。
やはり篁も、その小野の血筋である。
その弓馬の才も大したものだが、二年で文章試に及第するあたり、ただものではない。




