第九章 春雨水紋(三)
「心になきことを、口にするつもりは毛頭ございませんが」
「仮にも主上直々の命で編まれた詩集に対し、関係ないとは何事か。何よりも文章を尊び、国の柱とされる主上に対する重大な侮辱ですぞ」
「あなたは、他人の言葉でしか語れぬのですか」
篁は真っ直ぐに清公を見た。
「なっ………!」
怒りのあまり、清公の顔がどす黒く紅潮する。
「篁っ! 何ということをっ!」
対照的に真っ青になってたしなめる岑守を、篁は無視した。
「いかに名文であっても、そこに真実の心がなければただの文字に過ぎませぬ。唐詩をひき、父の編んだ詩集をひき、最後は主上の御威光に寄り掛かるあなたが言う文章によって国が支えられるというなら、そのような国はまことの心のない、砂上の城のごときもの。虎の威を借るとはよく言ったもの、まさに唐の威を借る醜態を後世に晒すことと相なりましょう」
一瞬、場が真っ白になった。
唖然。
まさに、その一語につきる。誰も、口をきくものがなかった。
すっと、篁は盃を床に置き、床に両手をつく。
「いささか、呑みすぎました。失礼して、この辺りで下がらせて頂きます」
「あ………ああ、判った」
夢から覚めたように、岑守は言った。たしなめるだけの思考力は、既に残っていない。だが、清公はその言葉と共に何とか気を取り直したのか、
「ま………待て」
と立ち上がりかけた篁を引き止めた。
「まだ、何か」
不快をあらわにして動きを止める篁を見、ぐいと顎を引く。
「御高説は立派だが、学問せぬ者ほどそのような空論を唱えたがるものだ。優れた先人に学ばずして、いかにして己れを磨き、高めてゆけよう。それとも御子息は、もはや学ぶべきものは何もないとでも言われるのかな」
篁は傲然と、清公を見た。
「そのようなことを、わたしは一言も申しておりませんが」
「はて。どうも、この清公には判りかねますな。では、御子息は、何によって学ばれるおつもりなのか。多くの学生を持つ身として、是非聞かせて頂きたいものだが」
苛立ちが、篁を突き上げた。
「模倣を一切するなと言うつもりは全くございませぬ。もっとも、わたしは、模倣に明け暮れて心のこもらぬ文言を吐き、己れの心を見失うぐらいなら、いっそ黙っていた方が数倍もましだとは思っておりますが。―――だが、よろしいでしょう。そこまで仰るなら」
ぶん、と無造作に手を振り、篁は立ち上がる。
「近いうちに、文章試を受けます」
「何だと?」
清公は一瞬呆気にとられたように口をあんぐりと開けたが、じきに笑い出した。
文章試の難度は、非常に高い。これに通って文章生になれば、将来の出世は約束されたも同然、というものなのである。ちなみに、清公は史上最年少の二十一歳でこれに合格している。貞主も文章生出身だ。
「これはこれは。戯言も程々になされるが賢明というものですよ」
「篁、もう止しなさい」
見かねた岑守も遠慮がちに止めに入る。―――が、再び無視された。
「それが学ぶということだと仰るなら、その程度のこと、この篁には容易いことです。それをお見せいたしましょう」
「―――おもしろい。見せて頂こう」
清公は篁の眼を見据える。真っ直ぐな二つの視線が、ぶつかりあった。三人の文人たちを前に、篁はきっぱりと言い放つ。
「そして、幾多の詩文を諳んじ、異国の表現形式を用いても、その程度のことでいささかなりともこの篁の心が矯められはしないということも、はっきりとお目にかけます。―――では、失礼」
そのままくるりと踵を返して足早に立ち去る篁に、もはや制止の声はかからなかった。




