クリスマスプレゼント
史は再び、舞台中央に進み出た。
また万雷の拍手を浴びて、ピアノの前に座った。
史は言葉通りにアンコールでショパンを弾きはじめた。
「う・・・まさかショパン・・・」
「しかも雨だれ・・・」
「でも、なんかいいなあ・・・」
「雅っていうのかな」
「泣けてきちゃうショパンだ」
「ドイツばっかりじゃないね」
「でも指導教授は本来、ドイツでしょ」
「いい教え手がいたのかな」
「ほんと、いいなあ」
バッハ同様に、聴衆全員が史のショパンに惹き込まれて演奏を終えた。
史は再び立ち上がり、聴衆全員の拍手に包まれた。
舞台袖口では教授と春奈が涙を流して史を見ている。
突然、史が教授と春奈を手招きした。
教授と春奈が驚くが、史は手招きを止めない。
そして史がまず、指導教官を紹介した。
指導教官もかつては著名な演奏家。
突然のステージ中央に驚きながらも満面の笑みを浮かべ、盛大な拍手に応えた。
そして次に史は春奈を呼び寄せた。
春奈の顔は、すこぶる緊張した。
史は、聴衆全体に春奈について話し始めた。
「春奈さんは、ずっと私に指導をしてくれた憧れの女性です」
「春奈さんのショパンは、私よりも上手です」
「今日も春奈さんの期待に応えられるようなショパンが弾けたか・・・あとでゆっくり教えてもらいます」
「それから、春奈さんには、この拙い私にずっと付き合ってもらうことにします」
史は春奈の顔を見た。
春奈は、もうどうしていいのかわからなかった。
「ほら、さっさと」
教授が二人を促した。
やっとのことで、二人は一瞬だけ抱き合った。
そして手をつなぎ、聴衆全員に頭を下げた。
再び、会場全体の拍手に三人が包まれていた。
しかし、その拍手に変化が起きた。
全員が入口を見てざわついている。
「おーい!いったい何だ!」
「この私に黙ってリサイタルなんぞはじめやがって!」
突然、入口から涼子が入って来た。
「おい、史!」
「ふざけんじゃねえ!」
「マネージャーが来なかったらリサイタル中止するのが当たり前じゃねえか!」
涼子のロレツは、全く乱れている。
「それに何だ!」
「アンコールで下手なショパンなんぞ弾きやがって!」
「お前みたいな馬鹿野郎はな!」
「シンネリハンネリ、バッハでも弾いていればいいんだ」
「この涼子様がいなければ、なーんにも出来ねえくせに!」
「おう!落とし前つけろ!」
「いくらだ?」
「百万や二百万じゃ済まねえぞ!」
「この涼子様に赤っ恥かかせたんだから、千万単位だ、それも今すぐにだ!」
「それが情けなくも、今出来ねえって言うならばだ!」
涼子は右手を高く上げた。
聴衆から悲鳴の声が聞こえた。
涼子の右手には、父親のトラックから持ち出したハンマーが握られている。
「そんな腐れショパンなんか弾いたピアノなんぞ、叩き壊してやる!」
「この涼子様が叩き壊して差し上げるから、ありがたく思え!」
「ピアノの弁償は史が払え!」
「当ったり前だろうが!」
涼子は、叫びながらハンマーを振り回している。
そして振り回しながら客席からステージに駆け下りて来る。
「止めろ!」
涼子の父親もステージに駆け下りて来る。
さすがに、これはまずいと思ったらしい。
しかし、父親の後ろに警察官の姿も見えている。
理由は、よくわからない。
ついに涼子はステージの前までたどり着いた。
顔も真っ赤、かなり興奮しているようだ。
「許せねえ!」
涼子が再び叫んだ瞬間。
涼子の身体に縄が巻き付いた。
途端に涼子は倒れてしまった。そしてもがいている。
「これは申し訳ねえ・・・」
投げ縄を投げたのは涼子の父親であった。
普段の威勢の良い表情は微塵もない。
学長も近づいて来た。
涼子の父親は学長に頭を下げた。
「なあ・・・学長さんよ、娘の非道には頭を下げるからさ・・・」
「今まで、さんざん献金して来たんだ」
「誰も怪我した奴はいねえ・・・」
「警察も来ているらしいが、大目に見てくれねえか・・・」
それでも頭を下げ続ける。
「警察は私が呼んだ、万が一もあるからね、ドイツ大使館も招待したし」
教授が史に告げた。
しかし、史は何も聞いていない。
懸命に目を凝らして、涼子の父親が来ている作業着の会社名を見ていた。
そして、教授の言葉が終わらないうちに、ステージを降りて、客席にいる涼子とその父親の前に立った。
これには、学長も教授も春奈も驚いている。
史は誰も見たことのない怒りの表情を浮かべている。
その怒りの表情を見て、ようやく正気を取り戻した涼子は何も言うことが出来ない。
むろん、涼子の父親もどうしていいのかわからない様子。
「誰が許しても、私は絶対に許すことは出来ません」
「私の両親は、貴方の会社の違法運転による事故に巻き込まれて、同時に命を落しました」
「過重積載と、不眠運転のためです」
「その運転手も亡くなったそうですが、原因は貴方にあります」
「しかし、貴方は一度も私に謝罪に来ませんでした」
「私は、そういう人から音楽に献金などされたくありません」
これには、涼子の父親を初めとして全員が声を失った。
史が再びステージに戻るまでの間に、涼子とその父親に手錠がかけられた。
罪名は涼子が過失傷害未遂他六本木の暴行、父親は危険運転によるものであった。
既に何台か衝突事故を起こし、そのまま会場入りしたらしい。
しかし、まだまだ余罪はありそうである。
学長がステージに昇った。
聴衆全体に深くお詫びをした。
その後、「口直しです」と聴衆に一言、そして史に耳打ちをした。
史がピアノの前に座った。
春奈と教授も史の隣に囲むように立った。
史はピアノを弾きはじめた。
平均律クラーヴィア曲集第一番。
全員が学長の意図を理解した。
そして史のピアノに合わせて、「グノーのアヴェマリア」を歌い出した。
弾きながら史は春奈を見た。
「やっと憧れの人と一緒にステージに立てました」
「だめ、そんなんじゃ・・・」
春奈が少しむくれた顔をする。
「え?」
史は聞き直す
「うん、春奈君の言う通りだ」
教授も史を少し睨む。
「わかりました、憧れはやめます」
「うん」
春奈
「春奈さんは、史の嫁さんです。ずっと・・・」
史が春奈を見た。
「うん・・・上手じゃないけれど、やっと言えたね、最高のクリスマス・・・ずっと待っていた」
春奈はまた泣き出した。
「全く下手だけど、やっとだよ」
「でも、これで史君のご両親も、やっと天国に行ける」
「ホールの上で史君と春奈君を笑って見ているよ」
教授の目からも涙がこぼれている。




