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そんな僕らの裏事情  作者: 工藤由梨
若葉の頃、中学生
3/3

碧い風と教室

 広いばかりの教室に並べられた十数個の机と椅子。窓から差し込む光が青春を生きる少年少女たちを包み込み、きらきらと輝かせていた。どの顔を見てもうんざりするほどに幼い頃から見てきた顔ばかりだ。それでもそれが、彼ら彼女らには疑うことさえないほど当たり前の日常だった。

 授業中以外は開け放されたままのドアから人が入ってきても、広さに反して生徒の少ない教室ではすぐに誰もが気付いて視線をそちらに向ける。

「おはよー、美空、悠輝、朝子」

 運動部の朝練習に励んでいるクラスの半分ほどの生徒以外はもう既に顔を揃えていた。

「あれ朝子、平良どうした?」

 平良と同じバスケットボール部に所属する悠輝が今の時間に登校している以上、今日の彼らの朝練習は行われていないはずだ。そうなれば当然、朝子が平良と共に登校しないはずはない。すぐさまからかってくるクラスメイトたちに、朝子の頬が膨らんだ。

「だから、生徒会だってば」

 楽しげに交わされる会話を聞き流しながら、時折挨拶だけを返し美空はいち早く席につく。鞄から教科書を出したついでに楽譜も取り出して開いた。

 人数が少なくて出られないコンクールの代わりに、小さな演奏会を開くのがこの中学校の吹奏楽部の通例だった。新入部員が入ってきたばかりで、ようやく楽器の割り振りが定まって練習を始めたところだ。

「美空、手伝おうか?」

 すかさずクラスメイトたちを放り投げた朝子が美空の元に駆け寄ってきた。奔放な朝子には誰も慣れたもので、呆れた顔こそ見せても誰も咎めないし怒らない。

 元々全校生徒数が少ない以上、各部活に所属する部員数も当然少なくなる。運動部は元より、吹奏楽部もまた例外ではなく、通常より使われる楽器が少ないため、各パートに振り分けられたメロディが足りなくなってしまう。それを組み合わせたり繋げ合わせて楽譜を作るのが部長である美空の役目だった。

「あんた、宿題いいの」

「よくない! 教えて!」

 視線を上げた美空に朝子が青くなる。慌てて掴んだ鞄を落として中身をばら撒いて、クラスメイトたちが笑った。

「平良に教えてもらえよー」

 美空もまた成績優秀と目されている生徒のひとりであるが、それは朝子の恋人である平良も同じことだ。これも当然、冷やかしの対象にならないわけがない。

「いいの!」

 床に投げ出された教科書やノートなどを適当に机に押し入れた朝子は、含み笑いをしている男子生徒たちに舌を出して勉強道具一式と椅子を引いて美空の前に座った。美空は顔も上げずに楽譜を捲っていたが、朝子がノートを開くと少しばかり視線を上げた。

 そんなふたりの様子をしばらく見ていた悠輝も鞄から文庫のミステリーを取り出すと、付属の栞を滑らせてページを開く。

 相変わらず教室は騒がしかったが、それがどこか心地良かった。

 あの中に入ることができたなら、何か自分の世界も変わるのだろうか。不意にそんな疑念に駆られたが、そこへ踏み出す勇気など持っているわけもなく、悠輝としてもどこか曖昧にも優しいこの距離にさして不満があるわけでもなかった。

 僅かに上げた視線の先に美空の横顔を映す。怒ったり呆れた風を装いながら、綻ぶ表情は溌剌として美しい。

 ずっと見ていたい気持ちより、その視線に気付かれる方が怖くて、悠輝は視線を本に戻した。今日は邪魔をしてくる平良がいないのでページの進みも早いだろう。他のクラスメイト達も、そんな悠輝をわかっているのか、ちょっとした質問や合いの手を求めてくる以外は邪魔してこない。人には人の個性があり、好きなことがあり、性格がある。長く時間を共にしてきた彼らには、互いのそれは意識の外にさえ当たり前だ。

「美空、借りてた本明日持ってくるね」

「あぁ、今やってるドラマの原作でしょ?そのまま麗未に渡してくれない?」

「あれ、次私でいいの?」

 美空が他の女子と話し始めると、宿題に飽きた朝子も顔を上げて会話に加わる。すぐに美空に咎められても、朝子は特別気にする様子もない。美空もわかっているので一応声をかけるだけだ。

 ドラマ、芸能人、アニメに漫画にゲーム、毎日顔を合わせているというのに、不思議なほどに話題は絶えない。一年後どころか明日にさえ忘れてしまうような会話のひとつひとつが楽しくて仕方がなかった。

「おはよう」

 穏やかな声と共に、生徒会の仕事を終えたらしい平良が教室に入ってくる。手に鞄も何も持っていないのは、生徒会室に行く前にこの教室に寄っていたからだろう。

 朝から宿題と格闘して疲れたらしい朝子が何となく泣きそうな顔で平良を見上げて挨拶を返す。それからふたりは二言三言会話を交わして、平良は悠輝を一瞥してから男子の輪の中に入っていった。ちょうど面白いところに差し掛かったところだったので悠輝としては有難い限りだったが、それを平良が察していたのかどうかまではわからなかった。

 やがて大きな笑い声を響かせて朝練習を終えたクラスメイトたちが教室に入ってくる。教室後ろのロッカーにスポーツバックを押しこんで、それぞれが会話の中に馴染んでいった。

 束の間のお喋りを楽しんでいると、朝礼のチャイムが鳴り響き、それぞれがいそいそと自らの机に戻っていった。朝子は何とか宿題を終わらせられたらしく、ほっとした様子で席に着き、美空も楽譜を仕舞う。悠輝も文庫本を机に仕舞ったが、まだ脳はミステリーの世界にいた。

 大人しく席には着いても、お喋りまでも綺麗に消えてしまうわけではない。担任教師が教室に入ってくるまでは彼らの自由時間だ。

「悠輝、また同じようなミステリー読んでんの?」

 ようやく本から顔を上げた悠輝に隣の席の平良が呆れた声で問う。平良も読書が嫌いというわけではないが、彼が読むならばどちらかというとコナン・ドイルやアガサ・クリスティなどのわかりやすく名作である作品ばかりであって、悠輝の好んで読む現代ミステリーはよくわからないようだった。

「同じじゃない」

 短く言い返した悠輝に平良は理解できないとばかりに肩をすくめる。すると授業が始まるからと髪を結っていた美空が振り返った。小さくぱちんとゴムを留める音がする。

「同じではないわよ。その作家に限っては同じような展開で面白くないけど」

 本屋の紙製のカバーのかかっていたその本の表紙もタイトルも見えるはずはないのに、美空は当然のように本の中身を知っている。連れ立って本屋に寄り道することも多いし、美空が悠輝の部屋を訪れる用事といえば専らその本棚だ。悠輝が今何を読んでいるかなど、聞かなくてもわかるのだろう。

 平良の視線が美空に移る。何を言おうとしたのか、開かれた唇が何かを告げる前に担任教師である佐藤が入ってきて話は中断された。

 号令に従って生徒たちが立ち上がって礼をする。普段と何ら変わらない一日の始まりだ。

「先に修学旅行の話をしておきます」

 各々、配られたプリントに視線を落とす。旅行が楽しみでない生徒などいるはずもなく、楽しげな話し声が教室内に溢れ返った。性格のおっとりしている佐藤は特別咎める様子もなく説明を始める。少しずつ声が静かになり、時折また大きくなる。

 人生の大半を共に過ごしてきたこのクラスメイトたちとの旅行も、これが最後だ。別れのカウントダウンはもうすでに始まっている。半分ほど開かれた窓の向こうでは、散り始めた桜の花が風に舞っていた。

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