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そんな僕らの裏事情  作者: 工藤由梨
若葉の頃、中学生
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春の通学路

 中学校までの緩やかな坂道を、ふたり並んでゆっくりと歩く。春の風が心地よく頬を撫でて過ぎ去っていく。時折自転車の同級生や後輩たちが、挨拶をしてはふたりを追い越していった。

「美空!」

 ふたりの傍で銀色の自転車が止まる。

 ふわりと制服のスカートを風になびかせて自転車からコンクリートへ降りた朝子は、ヘルメットを外すと爛漫に笑った。朝から弾けんばかりの明るさだ。

「おはよう、美空! 悠輝くんも」

 顔を覗くようにして挨拶をしてきた朝子に、美空はいつも通りため息をついた。

「おはよう、朝子。悠輝がまるでついでみたいよ、それじゃ」

 一瞬遅れて慌て始める朝子に呆れた眼差しを送り、鞄を持ち直した美空は空を仰いだ。

 真白の雲が浮かぶ空は透き通って青い。時折傍を通り過ぎる車の音が鳥の鳴き声をかき消した。いつもと変わらない朝だった。

「ごめんね悠輝くん、そういうつもりじゃなかったの」

 元々よく通る朝子の声は耳に残って少しばかり煩い。けれど美空はそんな朝子の溌剌とした元気が羨ましくもあった。

「……気にしてない」

「ほんと? ごめんね」

 眉を寄せた朝子の素直さはいつだって美空には眩しかった。美空はそんな風にはなれない。そして悠輝も。

 そもそももちろん、悠輝も美空も本当に朝子がそんなつもりで声をかけたわけではないことはわかっている。特別無礼を非難したわけでもなく、注意を促したかったわけでもない。ただのいつもの何でもないやり取りだ。

 朝子が当然美空の隣に並んで歩くので、いつ通るかわからないとはいえ全く通らぬわけでもない車の邪魔にならないようにと、悠輝が少し後ろへと下がった。

 元々、この通学路であるこの道は車が一台通ることのできるくらいの広さしかない山道なので、当然歩道が分けられているわけではない。広がって歩くことも出来ぬ訳ではなかったが、それはもう癖というより躾の賜物なのかもしれない。考えるでもなく、誰もが皆そうしていたし、悠輝はこうして少し後ろから美空を見ているのが嫌いではなかった。

「昨日の宿題でわかんなかったとこあるから後で教えてね」

 自転車を押しながら懇願してくる朝子を美空が軽くあしらう。

 口では嫌がるくせに結局は丁寧に教えてやる美空の姿を思い浮かべて、悠輝は僅かに目を細めた。悠輝にとっては朝子のような真っ直ぐな素直さよりも美空の不器用な優しさの方がずっと擽ったく思える。

 海と山に囲まれた、どこか緩やかに時間が通り過ぎていくような穏やかな場所。

 近所の子どもたちはお互いに全員知り合い、その保護者も全て顔見知りで、保育園も小学校も中学校もたったひとつで一クラスしかない片田舎の小さな街。

 当然クラスメイトとはもう十年近くの付き合いだ。家族よりもずっと同じ時間を過ごしているような錯覚は、一方でまた真実でもあった。それとももう半分、家族であるのかもしれない。

 友達と言うには近すぎて、幼馴染みと言うには遠すぎて、同級生と言うには濃く、家族と言うには薄い。そんな仲間がこの先の中学校の教室には待っている。

「そういえばあんた、今日は平良はどうしたの?」

「今日は生徒会があるから先に行くって」

「あら、ふられたの」

 唇を尖らせて不満を体現する朝子を美空がからかう。

 仲の良いクラスメイトたちの中でも、同じ吹奏楽部に所属する美空と朝子は親友だ。

 小さなクラスであってもどうしても女子の中には仲良しグループが存在する。男子にはどうしても理解できないが、誰と誰がグループなのかは考えなくても理解していた。

 それとは別に、美空と悠輝は特別で、それとはまた別の意味で朝子と平良は特別だった。

 朝子たちは比較的わかりやすく、恋人同士という名前を持つ。ずっと好きだと言い続けた朝子にどこか根負けしたような平良ではあるが、それでも朝子を大切にしていることは事実だった。

 美空の少し後ろを歩きながら、教室に入れば一括に纏められてしまう長い黒髪が背中に揺れるのを、悠輝は目で追っていた。

 隣同士の家の、向かいの部屋。

 悠輝にとってクラスメイトの誰より一番近く、長い付き合いである美空。他の誰より彼女を理解していると自負しているし、己を理解してくれているのも彼女を置いて他にはない。悠輝はそう固く信じていた。

 事実、家族にさえどこか言いしれぬ壁を持つ悠輝がありのままの自分を見せられるのは、ただひとり美空以外にはいなかった。

「美空、車が来る」

 どれ程近く長い付き合いでも、それでも悠輝には美空はいつでも女の子だった。

 憂慮を僅かも顔に出せないまま、控えめに言った悠輝の声に美空が悠輝を振り返る。車が通り過ぎていった後、美空は怒ったような表情で憮然と言った。

「そのくらい、わかってるわよ」

 美空がそんな態度を返すことはわかっていたし、それでも僅かな危険を知らせたかったのは自己満足を促すためだ。だから悠輝は気にすることなく頷いた。

「悠輝くん、優しいね」

 朝子が緩慢な口調でそう言うので、美空は刺々しい己の態度を恥じたのか、それとも僅かにコンプレックスに思っているらしい素直でない自分を突きつけられたようにでも感じたか、すっかり黙り込んでしまった。

 中学校の校門を潜り、自転車置き場に向かう朝子に付き合って寄り道をする美空に悠輝も付き添う。いつもは同じように自転車の平良がいるので極自然な行為が少し歪に感じたが、校門で別れる方が更に不自然だった。

「おはようございます、美空先輩、朝子先輩」

 朝子が自転車を置いてすぐ、軽快な足音が美空に迫ったかと思うと美空の背中にくっついた。

「あっずるいよ由宇香ちゃん!」

 不平を漏らす朝子に由宇香は勝ち誇った笑みを見せる。ふたりの吹奏楽部の後輩である彼女は、何かと異常なほど美空に懐いていた。

「悠輝先輩もおはようございます」

 どこか朝子に似たような、溌剌と明るい笑顔に僅かに気圧された悠輝は小さく頷いて挨拶を返した。

「重いわよ、由宇香」

「うわっ、女子にそれ言います?」

 女子ばかりの空間はどこか居心地の悪さを感じるが、普段から女子ばかりの吹奏楽部を纏め上げている美空はそんな悠輝に気付かない。少しばかり平良を憎んでみたところで、目の前の光景が変わるわけではなかった。

 素直に美空から離れた由宇香に後ろから彼女のクラスメイトの男子が揶揄めいた野次をあげ、怒った由宇香がそちらへ走り出す。ため息をついた美空は一瞬視界の端に朝子を捉えた後、無駄のない動きで一歩横にずれた。

 間抜けな叫び声が朝子の口から漏れ、バランスを崩した朝子の体がふらふらと揺れた。

「わかりやすすぎなのよ、あんた」

 スキンシップの激しい後輩に触発されて、自らもまた美空に抱きつこうとしたことくらい、付き合いの長い美空にはわかっていた。

「チッ。よくぞお分かりで」

「舌打ちを口で言わないの。ほら教室行くわよ、暑いんだから」

 不満そうな朝子を気にする様子もなく、美空はさっさと校舎へと入っていく。慌てて後を追う朝子の後ろから、悠輝もゆっくり歩きだした。

 桜の花びらが風に乗って空を舞う。知らず知らずのうちに吐いていた息が大気に溶けた。

「悠輝?」

 靴箱の前で脱いだばかりの靴を掴んだ美空の肩から髪が一房落ちた。黙ってその前に立ち、そっとその髪に触れる。

「何?」

 訝しげな美空に髪についていた白っぽいそれを差し出すと、面食らったように目を瞬かせた。

「お土産」

 何と言おうか迷った末にそう言うと、美空は頬を染めて怒った。

「ばっかじゃないの!」

 叫ぶなり朝子さえも放って足早に踊り場を駆けていくので、慌てた朝子が乱暴に靴を下駄箱に突っ込んで上履きに足を入れてその後を追いかける。後回しにされたせいできちんと履ききれていない上履きでは朝子も随分と走りにくそうで、悠輝はほんの少しだけ表情を緩めた。

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