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プロローグ

今でも続きを待っていて下さる方々へ

 車道に沿って植えられた街路樹が夏の香りを運んできた。緑の葉が太陽の光を集めて青く白く輝き、奥の影になった群青が揺れる。

 白い日傘の下で、美空は蒸し返るような暑さに喘いだ。

「だから車で来ようって言ったのに」

 苦笑がちに揶揄する声の主を美空は睨みあげた。彼が美空を思ってそう言ってくれていることはわかっていたが、久しぶりのこの街をゆっくり歩きたい気持ちも理解してほしい。

「うるさいわね、そんなことばっかり言ってるとメタボまっしぐらよ、あんた」

 相変わらずの容赦ない物言いに悠輝は今度こそ苦笑した。

 かんざしひとつで纏め上げられた美空の長い黒髪が歩く度にふわりと揺れ、白い項は光を溶かすようだった。

 程よくチークの乗った桃色の頬、もはや十年と前、共にこの街で暮らしていた頃よりずっと白くなった肌。焦がれてやまなくて、けれど触れるには近過ぎて、失うことばかりを考えて直視することすら出来なかった赤い唇にも紅が色付く。

 それでもその髪だけはいつでも、美空がいつまでも変わらないような錯覚を悠輝に起こさせる。

「ねえ、こっち、戻って来ようか」

 気が付いたら悠輝はそんなことを口走っていた。自分でも僅かに驚いたが、訂正も誤魔化しの言葉も口にする気にはなれなかった。

 そうしてやっと、悠輝は自らがずっとそれを望んできていたことに気が付いた。

 太陽の光を浴びた海が白く反射して眩しかった。あの頃には当たり前過ぎて気が付きもしなかった美しさだった。

「仕事どうするのよ」

 驚くだろうと思っていた美空は静かに現実を告げただけで少しもいつもと変わらない。その口調は積極的に肯定していた訳ではなかったが、決して否定の色など持っていなかった。

「何とでもなるでしょ」

 まるでいつか己がそう言い出すのをわかっていたみたいだと悠輝は舌を巻いた。

「それとも東京にいたい?」

 笑い混じりのそれが、悠輝のただの意地悪だと美空も当然わかっていた。

 馬鹿じゃないのと呆れた反論が返ってくると思っていた悠輝の瞳を覗き込み、美空は楽しげに頭上で日傘をくるりと回した。

「どっちでもいいわ」

 ゆっくりと進んでいた悠輝の足が止まった。

 今度こそ美空が驚いてそれに倣い、悠輝を僅かに振り返る。白い日傘の中に集められた光の中で、美空はまるであの少女の頃のように優しく幼気な表情で悠輝を見つめていた。

「今度の春」

 抱きしめたい衝動を抑え、悠輝はかたい口調で言った。柄にもなく緊張が全面に出ていると悠輝は自らを情けなく思ったが、美空はまるで気付いていないのか柔らかく、けれどどこか悪戯っぽく笑っていた。

「ちゃんと転職活動してよ?」

「最悪、住む所はあるから大丈夫だよ」

 美空が僅かに目を開いて、最低と笑って悠輝に背を向けた。

 足早にその隣に戻り、細く白い指に手を絡める。驚く指先を引き寄せて、その傘の中に頭を入れた。車道脇に車が止まる。

「馬鹿野郎、完全声かけられなくなるやつじゃねーか!」

 驚愕と羞恥に押し出された声。美空の肩が跳ね上がった。

「相変わらず、空気読めないなぁ」

 俯いて日傘で顔を隠す美空の代わりに、悠輝が懐かしい顔に笑みを向ける。あの時に受けた拳の重みは今も忘れていない。

「不可抗力だろうが。つーかお前らこんなとこでぶらぶら歩いてると熱中症になるぞ。乗れよ」

 夜宮が車内から後部座席を指差す。白いワゴン車はきっといつもたくさんの人間を乗せて走っているのだろう。

 悠輝は目を細めた。

「どうする?」

 そして美空を振り返る。歩きたいと言い出したのは美空なので、当然お伺いは立てねばならなかった。

「公園で待ってて」

 二度程瞬きをした夜宮が美空から悠輝へと視線を移して、何を察したか苦笑する。

 歩いて十五分程先にある児童公園は悠輝がこの街を出る直前に出来たもので、悠輝にはあまり馴染みがない。そこから山道へと車を走らせれば、十分あれば悠に目的地である中学校には到着できる。

「美空は相変わらず我儘だなー。俺も暇じゃないんだけど。遅れて平良に怒られんのはお前の役目だからな、悠輝」

 言うなり発進した白いワゴン車を見送って、美空は溜息をついた。

「歩いたって遅れるような時間には出てないわよ」

 悠輝のよく知る夜宮はあれ程活発でも社交的でもなく、どちらかというと大人しくて目立たない存在だった。あの頃のクラスを纏めていたのは専ら平良であり、悠輝であり美空だった。

 何より悠輝の知る美空と夜宮の距離は、これ程には近くなかった。それが悠輝には少しばかり苦しかった。

「遅れていってやろうかしら」

「それは非道じゃない?」

 しないわよと睨まれて悠輝は小さく笑った。美空のことすら知らない部分が増えたと思っているのだから、久しぶりに会う彼らにはもっとそう思うだろう。

 同じ青春時代を過ごした仲間たち。もうその殆どがこの街を出ている。都会に比べて特別何かがあるわけではない。海と山と、少しばかりの人間が残るだけの小さな街。

 変わっていないようで、随分と様変わりをした。あの中学校の校舎が、もう子どもの笑い声を響かせることはない。

 それでも故郷だ。

「今日って、花火の日だっけ」

 不意に呟いた悠輝も美空が訝しげな顔をする。

 ずっとこの地を出ることを躊躇っていたのは美空で、そんな美空を知っていて戻ってくるという選択肢を潰していたのは悠輝だ。それでも、それ以上に美空が自らと共に生きることを選んでくれたのなら、自分はこの土地で生きようと悠輝は密かに決意したのだった。

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