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風散の季節 7

 炎の幕を突き破り、擬竜が飛び出した。

 麻微士に率いられた部隊は一気に前線をし延ばし、その勢いは二藍の喉元を食い破らんとするばかりである。

 左右両翼にいた淡然と砂鵬は、今まさに延宗軍を挟撃しようとしていた。醍斗王が後退しきる前に討ち果たすべく、陣鼓を打ち鳴らそうとしていたのだ。

 進撃を挫かれ、混乱し、延宗の後続部隊がその収拾に負われている今こそ好機である。このまま左右から挟撃すれば容易く敵を分断して撃破することが出来る。

 しかし――無傷のまま二藍の本陣に迫る部隊が一つ。

「むんッ、突破されただと!?」

 砂鵬は目を剥いた。梅鴉が手引きをし、淡然と自分とで練った策が完全なものにならないとは驚嘆すべきことだ。策は綺麗にまったはずである、それでもなお、思考の壁を超えてゆく人間の凄みがここにあった。

「砂鵬様、ご指示を!」近侍の者は云った。

 歴戦の将たる砂鵬も一瞬気を取られている。昇竜のように戦場を駆け上がる騎竜兵の部隊に情念の渦を感じ取ったのである。

 砂鵬は乾いた唇をひと舐めした。

「あれが麻微士か――部隊を分ける! ただちに本陣の救援を!!」

 右翼では淡然も同じように指示を下していた。寿円の率いる遊撃隊はすでに後退を始めている。ここで攻撃の手を緩めればそれこそ勝ちを喪ってしまう。二藍に次はない。

「我々はこのまま延宗を討つ! 背後を顧みるな」

 そうして盛大に陣鼓を打ち鳴らした。

 が、すでに延宗は態勢を整えようとしていた。先陣が崩壊し、その混乱が伝わって恐慌状態にあった二陣、三陣は、子良覇の迅速な指揮によって立ち直っている。混乱に乗じて敵を討つことは叶わなくなった。

「これより総力戦となる。者共、胆を太くせよ! 噛み砕くのだ!」

 子良覇の指揮が冴え渡る。

 戦場では速さが勝負を分ける――。

「往け――!!」

 淡然と子良覇はほぼ同時に攻撃命令を下した。

「我は竜人りゅうじんなり――参る!!」

 その頃、ついに麻微士は二藍の急所を捉えた。すなわち敬王のいる本陣である。

 両手に大刀を構えているのが今の二藍だとすれば、延宗はその懐に入れば小刀でも容易にその喉を斬ることが出来る。麻微士は命に代えても敵を貫くつもりである。

 左手で握る手綱からは擬竜の鼓動が伝わり、自分の鼓動と混じり合う。右手に握られた短槍は巨大な爪のように馴染む。鎧を通して身体から熱気がほとばしる。汗はとうに蒸発し、ただ純粋な熱の塊が草原をはしっていた。

 人竜一体――麻微士は鬼神となった。

「武人とは――」

 麻微士を真正面から見据える一人の将がいる――旺尖である。彼は本陣の守備として敬王の前に配置していた。迫り来る鬼神の部隊に二藍の兵は恐れの色をなしている。戦場全体を俯瞰すれば五分五分の戦でも、局地的に見ればここだけは劣勢であった。

 それだけ麻微士の特攻は効いた。

「――いたずらに武威を誇るものではなく、武を己のうちに納めるものである」

 盤実が亡くなってからずっと、旺尖は考えていた。武人のなすべきこと、その意味を。

 乱の波に呑まれ、一度はその志を失った。しかし、王を守り、敵に相対する今ならわかる。

 あの時、刻兎を討たんと立ち上がった時――すでにその選択は間違っていたのだ。武人ならば王の許で志を全うし、また、生も全うせねばならない。

 旺尖は想う――自分はあそこで死なねばならなかったのだ――と。宮中にて刻兎の罪を糾弾し続け、命を賭けて王に正しき道を示さねばならなかったのだ。

「死に場所を与えてくれたか麻微士……二藍の子よ」

 旺尖はひとり呟き、そして刮目した。

「背を向けた時にこそ死が訪れる――――我、後に続くを信ず!」

 そして、単騎だけで颯爽と駆け出した。向かうは怒りの龍と化した麻微士である。旺尖は己の矜持と使命だけを持って玉砕覚悟で飛び出した。すると、彼の侠気に感化された多くの兵たちが、ここぞ華を咲かせる場所だとばかりに蛮声を上げて旺尖に従っていった。

 不思議と恐怖はない。猛々しい血が熱く滾っているだけである。

 やがて旺尖は麻微士の部隊と激突した。先頭を駆けていた両者は最初にぶつかり合うことになる。旺尖は馬の腹を蹴り、剣を振り上げ、麻微士に斬りかかった。

「麻微士ッ! 礼を云うぞ!」

「くだらぬ――戯言を!」

 麻微士は槍を振り上げる。交差した刃は激しく火花を散らした。何合か打ち合った二人の武人は次で仕留めんと渾身の一撃を繰り出す。

「――!?」

 閃光のように衝撃が弾ける。次の瞬間、麻微士の脇腹に剣が突き刺さっていた。が、刺突を繰り出した旺尖の胸にも深々と槍が食い込んでいる。

 武士つわもの達の命が昇華し、天に消えてゆく。

 戦況は一進一退となった――。

 王を救援すべく右翼から本陣に向かっていた寿円は、敵の思わぬ反撃にあって自由に動けないでいた。延宗は鶴翼の陣を張る二藍をさらに包み込もうと陣を広げつつある。

 寿円の遊撃隊もまたその包囲の網に足を取られようとしていた。

 寿円を追撃する者――その男こそ泰弱坊である。

 戦場から離れて後退してゆく寿円の旗を見て、泰弱坊は全速力で追いかけた。揺れる兵車の上で槍を構えたまま泰弱坊は咲方士、児爛と共に駆けた。

「おい! 仁王立ちなんかしてねーで縁にでも掴まってろよ! 落ちるぞ!」

 児爛は腕を組んで寿円隊を見据える泰弱坊に怒鳴った。しかし泰弱坊は、かまわん、とだけ云って姿勢を崩さない。と、そこに咲方士の手が伸び、鎧を掴んで引き倒す。

「邪魔だ、汚い尻を向けるなっ」

「馬鹿っ、今いいところなんだよ! 邪魔するな!」

「邪魔はお前だ。前が見えんだろうが」

「なにィ、そっちこそ邪魔だろうが」

 面倒になった児爛は吼えた。

「うるせェ! テメェらまとめて降りちまえ! 舌噛みたくなかったら黙ってろぃ!」

 そうこうしているうちに、泰弱坊は寿円に追いついた。


 さて、同じ頃――戦場の端で不可解なことが起ころうとしていた。

 二藍、延宗の両部隊が戦闘を一時停止させたのである。両軍の兵士達はみな同じ方向を見て、一様に言葉を失っていた。理解が及ばぬのか、考えることを一切放棄してしまったような顔をしている。が、徐々に恐れが滲み始めた。

 彼らが見たモノは、群立する背の高い木々の上にいた。家屋ほどもある巨体を軽々と持ち上げ、左腕だけで幹にぶら下がっている。薄汚れた白毛に覆われ、垂れ下がった太い尻尾の先には岩のような塊がついていた。

 その姿は一匹の猿――しかし、想像を超えた巨大さであった。

 猿は金色の睛でゆるりと戦場を見渡し、腕の力だけで飛び上がると音もなく着地した。

 兵士らが密集する中に白い猿は降り立った。不気味な静けさが染み渡り、空気が凍りつく。

 大猿は木の幹ほどもある長い両腕を横に広げ、この世のものとは思えぬ声で云った。

「醜き人間ども、道を開けよ――じきに王がお通りになる」

 両軍の兵士らはその巨体が発する濃密な殺気と狂気にあてられ、力が抜け落ちたようにへたりとその場に座り込んだり、逃げ出す者などが現れた。誰一人として妖しき獣を討ち取ろうとする者はいなかった。

 すると――どこからともなく、蹄の音が響いてきた。

 そこに現れたのは二輪の馬車を引いた一頭の驢馬――梅鴉の驢馬である。大猿は驢馬に目をやると、切れ上がった口元に狂ったような禍々しい笑みを浮かべた。

「これは懐かしい……ああ、懐かしいにおいだ」

 驢馬は大猿の前で足を停め、尻尾を一振りする。そして湿った鼻息を出すと、渋い声でしゃべり始めた。

四凶しきょうは殺した――王を新たなあるじとするか……」

「主……これは面白いことを。あのような者達が我の主とは――アア、おかしい」

 大猿は両腕をだらりと下ろし、引きずるように驢馬に向き直る。そして太い指を差した。

「その女――お前の主だったのか?」

 すると、面倒だ、と云って車上で楽にしていた梅鴉がむくりと起き上がる。車から降りるとそのまま大猿に歩み寄り、目の前に対峙した。

「いつまで解語かいごの花を気取るのか、汚らわしい猿め。時を経ると口ばかりが達者になると見える――二度と聞けなくしてやろうか?」

 そう云って大猿を見上げると、するすると深紅の襟巻がまるで生きているかのように伸びてゆき、不思議なことに地面に触れた先端から溶けて広がっていった。紅く染まった地面は大猿の足元まで届いてゆく。

 ニタニタと嘲笑っていた大猿は危険を察知し、空高く跳躍するとそのまま姿を消してしまった。

「取り逃がすとは」驢馬は云った。

「違うわよ、トンちゃん。久し振りに使ったから勘が鈍ってたの――と云いたいとこだけど、違うみたい。この凰翼おうよくは明らかに畏縮していた……前にもこんなことが……」

「けものの王か」

 梅鴉は無表情のまま空を見上げた。暗雲が北に流れようとしていた。


 追撃を受けた寿円の切り返しは見事だった。

 後方に敵を確認するや、すぐさま馬首を巡らせ、小さな弧を描いて進路を反転させたのである。このまま速度を維持すれば、敵と交差する瞬間に横槍を入れることができ、一撃で壊滅に追い込むことが出来るだろう。擬竜は旋回能力が低く、よく訓練された軍馬の反応については来られないはずである。

 しかし、泰弱坊の指揮はその上を行っていた。

「寿円は必ず向かってくる! 敵が旋回を始めたら剣狼けんろうから小剣狼に進路を取れ!」

 泰弱坊の指揮は独特である。星の名で方向や角度を示す。決して効率的とは云えないが、星に馴染の深い延宗の兵ならば呑み込みが早く、また微妙な指示を下すことが出来た。剣狼と小剣狼は連星である。主星の剣狼を基点に、伴星の小剣狼は左斜め上に位置している。

 つまり、泰弱坊の思惑は寿円が旋回を終える前に叩くことである。

 往けェッ――――若き勇将の掛け声とともに部隊は一体となって緩やかに進路を変えた。

「くッ――」

 寿円は泰弱坊の旗印を確認し、唸った。

 すでに騎竜兵の矛先は寿円隊の左脇腹に狙いを定めている。二つの部隊の距離が徐々に縮んでいく。もうダメだと誰もが思った時である。

 突如として寿円が奇妙な行動に出た。

「諦めるな俺に続け!!」

 そう云って兵車を引いていた馬の一頭に飛び移ると、腰にいていた剣を一閃して綱を切り、単騎で部隊の先頭に躍り出たのである。そして何を思ったか馬上で立ち上がった。

「何だ?」泰弱坊は眉をひそめる。

 すると寿円は右足だけを鐙に置き、軽業師のように馬の右脇に身体をずらす。そして頬が地面に擦れそうなところで踏みとどまった。延宗からは馬上の寿円が消えたように見える。

「これは――」

 そうこうしているうちに、寿円隊は延宗の矛先から逃れるように進路を右に変え始めた。気付けば先頭にいた寿円の馬が後続の部隊を導いている。寿円は自分の体重で馬の進路を無理矢理変えさせたのだった。

「何て野郎だ!」

 戦場で曲乗りをやってのけた寿円を見て泰弱坊は舌を巻く。が、この男も負けてはいない。華麗な技を眼前で見せ付けられた泰弱坊は、負けじと擬竜に飛び乗り、同じように綱を切って独りで趨りだした。

「あっ、馬鹿ッ」

 児爛は泰弱坊を捕まえようと腕を伸ばすがむなしく空を掴む。すでに二つの部隊は主戦場から離れつつある。泰弱坊からすれば、目の前の寿円をただ追いかけるだけだった。

「おい咲方士ッ――アイツを止めて来い!」

 児爛は兵車に残っている咲方士を振り返る――が、咲方士は何故かきょろきょろと辺りを窺っていた。隊長が飛び出したことにも気付いていないようである。

「聞こえてんのかっ! おいっ!」

 すると咲方士は真っ直ぐ前方を見据え、漆黒の双眸をきつく絞った。

「何と間の悪い……」


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