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風散の季節 6

 翌朝、延宗軍は粛々と行動を開始した。通過点であった徳穂を最終目標に定める。

 徳穂の付近にある香葉の地に二藍軍が布陣すると考えられるため、行軍速度を整え、陣形の見直しを図らねばならない。

 三日後、延宗軍は香葉かようで二藍軍と衝突した。

 香葉は若干起伏のある平原地帯である。森に成長し損ねた木々がまばらに群生しており、見通しが利くとは云いがたい。が、擬竜を走らせるには何の問題もない。

 二藍軍は徳穂の邑を背にする形で布陣を終えていた。王の中軍を中央に構え、その左右前方を上下軍で構成する。延宗側から見れば大軍が横に広く展開しているように見え、実際の兵数よりも多く見える。

 その陣形の様子を聞いた醍斗王はすぐに対策を述べた。

「鶴翼とは小賢しい。先陣はオレがやる、お前たちは後に続け。貫いてくれる」

 鶴翼の陣は敵の包囲殲滅を想定した陣形である。突出した両翼で敵を囲み、攻撃する。戦場で包囲されることは敗北を意味する。すなわち、二藍は絶対の自信を持って必勝の陣形で臨んできたということになる。

 子良覇にはそれが不可解でならなかった。

「騎竜隊を擁する我らを相手に真っ向から臨んでくるとは、罠があると思われます」

「だろうな。子良覇、我が兵を預ける。よく続けよ」

「は――」

「そして――麻微士まびし! お前に別命を授ける。うまくやれ」

 麻微士は無言で揖した。

 かくして、その日の昼には両軍が動き出し、合戦が始まった。

 延宗軍が布いた陣は、蜂矢の陣と呼ばれる超攻撃的な陣形である。鶴翼の陣と対の形をなす魚鱗の陣をさらに攻撃的に尖らせた陣と云ってよく、その名の通り蜂の針の如き鋭さである。突破力に優れる反面、挟み撃ちに遭いやすく決死の陣形と云えるが、速度と防御力に優れた擬竜ならば十分に運用できた。

 鶴翼の陣の弱点は手薄な中央である。中央が破れ、本陣まで抜かれると両翼が分断したのち孤立してしまう。

 醍斗王はそれを狙った。魚鱗ではなく蜂矢を選択することによって短期決着を図ったのである。

 泰弱坊の部隊は左翼にある陸刀佗隊の指揮下にいた。気持ちとしては突出した先陣の醍斗王の部隊に続きたかったが、王が孤立しないように守備するのも重要な役目である。

「往くぞ――」

 泰弱坊は兵車の上で声高に号令を放った。


 その頃、香葉の戦場を遠くの丘から眺める一つの人影があった。

「始まったわね――トンちゃん」梅鴉ばいあである。

 呆けた顔をして、同じように戦場を眺める驢馬の引く、幌付きの二輪の馬車に彼女は乗っていた。柔らかい羽毛の座席にゆったりと背中を預け、本当に見えるのか見えないのか、右手で小さな筒を作ってその中を覗いていた。

「我らの他に客がいる」

 何と驢馬がしゃべった。重低音で渋みのある声だった。

 梅鴉は目を細めしばし様子を窺うと、本当ね、と云った。

「おっきいのが一匹と……それから――」

              ※

 地響きより速く、音が戦場を駆け抜けた。

 無数の擬竜の爪が生み出す振動が大地を伝播するよりも先に、大気を破った咆哮が届くほうが早かったのだ。擬竜の通った場所からは草も土も石も巻き上げられ、地面は短剣でえぐったように中身が露出している。一瞬で生じた疾風は乱立している木々の葉を千切りばら撒いた。

 対峙する二藍軍は騎竜兵の威に呑まれ、軍馬が怯え始める。騎兵や兵車の御者は手綱を引いて馬をなだめなければならなかった。兵士らの顔には脂汗が浮かび、物体と化した恐怖を目前にする人間特有の、諦めにも似た奇形の緊張感が陣中に漂う。

「押し込めい」

 醍斗王の揺さ振るような命令のもと、兵は前進する。

 波濤はとうのような突撃を始めた延宗軍に対し、二藍軍は動きを見せなかった。

 騎竜兵は擬竜のかたい鱗を叩く鉄鞭を振るい、二藍の張る鶴翼の陣の中央部、つまりは敬王のいる鶴の首を狙って速度を増している。

 しかし、二藍兵はジッと何かを堪えるように唇を横に結んでいた。

「存分に引きつけよ、急いてはならん」

 本陣の敬王を守る壁として中央に槍を並べる旺尖は、馬上で兵を抑える。さすがに旺尖の駆る軍馬はよく鍛えられており、擬竜を前にして怯える様子はなかった。

 動きを見せない二藍軍にやはりと思ったのは子良覇である。

 彼は醍斗王から麾下きかの兵を預かり、先陣を切る王に付き従うかたちで歩兵を走らせている。いかに延宗の騎竜兵が優れているといえども、戦での主力は歩兵である。騎竜兵でかく乱、翻弄したのちに歩兵で敵を壊滅させるのが戦法の基本となる。

「王を守れ! 王の道を拓くのだ!!」

 感情を表に出さぬ子良覇が腹の底から言葉を発した。それだけこの戦に不気味なモノを感じるのだった。

 今まで相手にしてきた二藍軍と決定的に何かが違う。静かな陣中の裏側に何かとてつもない策謀が渦巻いているような気がするのである。

「……だが」

 考えすぎかもしれない。二藍軍の突き出た左右両翼を蹴散らす醍斗王の勢いを見ていると、そんなことは思い過ごしではないかとさえ思う。たとえ敵が策を巡らせたとしても、王の駆る擬竜の牙の前にいとも簡単に破砕されるだろう。

 敵が伏兵を配置している様子はない。山岳地帯ならともかく、草原地帯の香葉に臥せられる兵などたかが知れている。それにもし鶴翼の陣形が敵の誘引策だとしても、果たしてこの勢いを止めるだけの策がこの世にあるのだろうか。

 先陣の醍斗王はすでに鶴の首に狙いを定めている。擬竜の上で手槍を掲げ、降り注ぐ飛矢など遅いと云わんばかりに雄々しく叫んでいた――狩りつくせい!!

「おお……」

 子良覇はここにきて感動の渦に溺れていた。神々しいまでの王の雄姿である。若かりし頃に見た王の雄姿が変わらずここにあるのだ。子良覇は王に憧れ、王の側で戦いたいと官海に入った。武人の家系でないにもかかわらず、戦争が近くなると血がたぎった。

 純粋な力の前に策など存在できようか――いや、できるはずがない。

 くだらぬ、自分は何と瑣末なことに捕らわれていたのだろう。そう思った。

「王に続け! 勝利は屍の先にある!」

 子良覇は戦場でも修辞を使った。それだけ彼の心が躍っていたのだ。

 しかし――そんな子良覇の情動は、淡然の放った号令によって打ち砕かれることになる。

 延宗軍の進撃具合を右翼にいて計っていた淡然は、ここぞと見極めた場所で声を上げた。

「いまだッ! かかれ!」

 号令を放つと同時に、巨大な軍旗を左右に振った。そしてそれを見た左翼の砂鵬も軍旗を揚げさせた。

「絡めとれ――」

 両翼の合図と同時に、醍斗王の前に伏兵が現れる。香葉の起伏した地形や木々の陰に隠しておいた兵である。その数は三百ほど。数人ごとに間隔を空けて配置されていた。

「今さら何をしようと云うのだ――蹴散らせいッッッ!!」

 醍斗王は構わず進撃命令を下した。

 が、その刹那、彼の視界を薄茶色の物が覆った。

 先陣に躍り出た二藍の伏兵が持っていた薄茶色の物――それは無数の巨大な『布』である。

 騎竜兵が伏兵を蹴散らさんと衝突しようとした瞬間に、その薄茶色の布は現れた。

 布は二人一組の伏兵によって張られている。それぞれの槍の先につけられ、戦場にいくつもの幕となって張り巡らされた。

 次の瞬間――止まれぬ騎竜兵は続々と茶色の布に向かって頭から突っ込んでいった。

「何事だ!?」

 子良覇は先陣がどのようになっているのかわからなかった。ただ一つ云えるのは、自陣に混乱が満ち始めていること。

 巨大な布に唐突に視界を遮られた騎竜兵は前後を失い、次々に倒れていった。さらに後続の兵士らがその勢いを止めることが出来ずに将棋倒しになっていく。

「何をしている! 布など切り裂いてしまえッ!」

 そう云って醍斗王は腰から剣を抜き、布に包まれ身動きを封じられている兵たちを救出しようとした。

 されど剣は布を切り裂くことはおろか、破ることすら出来なかった。布は刃を通さず、頑丈な革のように騎竜兵にまとわりついている。

 醍斗王は布が濡れているのに気付き、鼻につく嫌な臭いを感じた。

「これは……油…………いかんッ! すぐに布を取り払え!!」

 王の懸念どおり、それは油だった。油を染みこませた布だったのだ。

 懸念はすぐに現実となる――二藍の陣から無数の火矢が降り注いできた。

 先陣はたちまち火の海となった。油を含んだ布は騎竜兵の手足に絡みつき、動きを完全に封じる。さらにその油によって火は炎となって兵と擬竜を生きたまま焼き尽くす。

 延宗軍は深すぎる傷を負った。

「何たる恥辱かッ! 命にかえても雪いでくれん!! 麻微士、飛べい!!」

 醍斗王は火の中で叫んだ。

 同じ頃、蜂矢の陣の根元部分にいた麻微士隊が本隊から離れてゆっくりと動き、前進し始めた。これは合戦前に麻微士に下された別命だった。

 『先登せんとう危うくなれば我が意をもって動かれたし――』

 醍斗王は先陣である自分が攻めあぐねた場合に、後方の備えである麻微士に動けと命令していたのである。二重の多段攻撃を画策したと云っていい。ただし、この攻撃は戦況が悪化した時に発動するもの。擬竜を目の前で焼かれ、最悪の状況下で麻微士に攻撃命令を下すことこそが醍斗王にとっての最大の屈辱となった。

 陸刀佗の部隊も麻微士隊の動きに合わせて鮮やかに陣を変化させた。消火にあたる子良覇隊の救援と、何よりも王を救出しなければならない。

 陸刀佗は即座に子良覇と合流した。彼は炎の揺らめきと、巻き起こる熱風に興奮する擬竜を抑えながら云った。

「子良覇殿、王の所在は!?」

「お、おそらく両軍の狭間に!」

 拭っても拭っても汗が額を伝わってくる。これは暑さだけではあるまい。子良覇は炎の熱に照らされながら、腹の底では冷たいものを感じていた。

「子良覇殿、貴公に我が隊を預ける。儂はこれより手勢を率いて王の救出に向かう――――者共、往くぞ」

 そう云って陸刀佗は擬竜の首を巡らせ、数十騎の騎竜兵とともに灼熱の草原の中に飛び込んでいった。

 醍斗王は残った少数の兵に守られながら、徐々に後退を始めていた。陸刀佗の掩護を受けたのはそのすぐ後である。陸刀佗は自分の擬竜を王に譲った。

「王よ、これに乗ってお逃げください。我らはここで敵を食い止めまする」

「うむ、後は任せる――陸刀佗、死んでくれるなよ……お前たちもだ」

 醍斗王はその場にいた兵たちすべてに言葉を投げかけ、擬竜に跨ると速やかに後方に退いた。

 残った陸刀佗の戦いは厳しいものとなった。敵は炎の合間を巧みに縫って攻撃してくる。先に戦場に到着し、実地検分が出来たぶんだけ二藍軍に地の利があった。

「く……これまでか」

 陸刀佗が、いよいよまずいと覚悟した時である。

 延宗軍の後方から凄まじい地響きが轟いた。誰あろう、騎竜兵を従えた麻微士が合流したのである。無傷の手勢を率いた麻微士は颯爽と炎の舞台を駆け抜けた。

「怨敵二藍、覚悟ッ!!」

 復讐の鬼となった麻微士隊は、凄絶な様相を呈している先陣を飛んだ――否、跳んだ。

 鬼が吼える――延宗の反撃が始まった。


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